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| 飯田コージ |
| 1981年12月5日、神奈川県出身。2004年ニッポン放送入社。年齢当てクイズでは必ずプラス20歳上で答えられる。不自然な笑顔が魅力のニッポン放送アナウンサー。 |
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亘理で出会った被災者、斉藤さん |
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| 4月19日 |
「1ヶ月経ったけど、まぁだなんか夢ン中いるようだ…。」
宮城県亘理町の海沿い、荒浜地区で取材をしているときに出会った、
マリンショップサイトウの斉藤さんは、
泥と瓦礫で何にもなくなってしまった店舗跡を見て、そうつぶやきました。
あの日、荒浜港のすぐ近くにある自分の店の中にいた斉藤さん。
津波で、斉藤さんの身体は一瞬にして吹き飛ばされ、
300mほど離れた湾内に放り出されました。
「運がよかったの。あんとき、どっかの建物に当たってたら、
もうダメだった。」
波はその後、横方向へ流れ、あらゆるものを引きずり込んでいきます。
お店の前にあった新築の家々も、跡形もなく、消えてしまいました。
引き潮で、底へ底へと引きずられる海流の中、
斉藤さんは何度も海水を飲みながらも、何とか泳いでいました。
すると、目の前に現れたのは、流されてきた無人の漁船。
最後の力を振り絞って、その船によじ登りました。
「もう限界近くって。水面から1m半ぐらいあったんだけど、
30cm登ってはちょっと休んで。また登って休んで…。」
その間も、近づいてくる瓦礫を蹴っては避け、蹴っては避け、
何とかよじ登り、一夜を明かします。
その漁船にあった古いヤッケを羽織り、一晩ガタガタ震えていたそうです。
そうして命拾いした斉藤さん、しかし、翌日も翌々日も助けは来ませんでした。
「頭上をヘリがいくつも通るの。
でも、手ぇ振っても叫んでも、降りては来てくれないのよ」
亘理の北隣、岩沼市には、津波で大きな被害が出た仙台空港があります。
震災直後、空撮で空港周辺の映像を嫌というほど見せられましたが、
海岸線は何十キロにもわたって、跡形もなく押し流されていました。
想像を絶する被害状況。
救援ヘリも、飛べども飛べども足りませんでした。
震災から4日目。ついに斉藤さんは決意します。
「あんまり助けがないから、自分で陸まで行ったのよ。」
流れてくる瓦礫で一人乗りのいかだを作り、
手で漕いで、陸地まで。
さらりと言いますが、これには、
斉藤さんの今までの経験が生きました。
斉藤さんはボートやヨットで、
北は北海道から南は沖縄まで、日本の海を縦横無尽に越えてきていたのです。
潮の流れを巧みに生かし、
まったく風景が変わって目印もなくなった陸地へ正確に筏を導く。
素人の私には、それだけで神業に思えます。
そして、4日ぶりに故郷の土を踏んだ斉藤さん。
避難所でしばらく休んでいると、
むこうから娘さんがやってくるではありませんか!
「おいって、声掛けて袖引っ張ったんだけど、
何すんのよっ!って、手ぇ払われたんだわ。
家族みんな、俺は死んだと思ってたみたいで、
娘はもう、幽霊見たみてえに呆然としてたわな」
現在は、旧知のボートオーナーなどの船を修理しています。
「俺ぁあんとき一度死んだのよ。
だから、これから頑張るだけ。」
あれだけの経験をしていながら、
時に笑いを混ぜながら、自分の被災状況を話してくださいました。
そう。亘理の被災者の方々は、おしなべて明るい。
このパワーが、復興の原動力になっていくのでしょう。
斉藤さんは、最後にこう言いました。
「どうだ?兄ちゃん。
俺の話、映画にできるだろ?」
斉藤さん…、アンタ強すぎだよ。

亘理の沿岸部は、いまだにこのような風景が広がっている |
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