飯田コージ
1981年12月5日、神奈川県出身。2004年ニッポン放送入社。年齢当てクイズでは必ずプラス20歳上で答えられる。不自然な笑顔が魅力のニッポン放送アナウンサー。
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香港競馬通信
3月19日
誰にでも向き不向き、相性の良し悪しというものはあるものです。
私も、中継からスタジオの報道番組に配置換えになり、かなり戸惑ったんですが、
幸い相性が悪くなかったようで、何とかやっていますが、
これで相性が悪かったら大変だったろうなぁと思います。

競馬の世界にも、やはり向き不向きというものが存在します。
大レースを総なめにしているジョッキーでも、
なぜかここの競馬場ではあんまり勝てないとか、
なぜかこのレースは勝っていないとか…。
ダービーというレースは、そういう魔力のようなものがあるようで、
かつて柴田政人という名人が、なかなかダービーのタイトルを手に入れられずにファンをやきもきさせました。
1700勝近く勝っても、日本ダービーのタイトルだけは獲ることができなかった柴田政人騎手。
勝利の女神がほほ笑んだのは、騎手としては大ベテランとなった44歳のとき、
1993年のダービー、ウイニングチケットでした。
生涯のライバル、岡部幸雄のビワハヤヒデを半馬身しのぎ切ったウイニングチケット。
府中競馬場を埋め尽くした17万の観衆から湧き上った「マサト」コール。
競馬ファンなら誰もが思い出す一コマです。
と書こうと思ったんですが、もう19年も経つんですね。
ん〜、私も年を取ったということでしょうか?

さて、ダービーシーズンの6月ではなく、
なぜ3月の半ばにダービーの話をしたのかというと、
マサトのダービーと同じようなことが、香港ダービーで起こったんですね。
昨日行われた香港ダービー。勝ったのは、フェイフェイという馬でした。
今回の主役は、優勝ジョッキー、ダグラス・ホワイトではなく、
管理する調教師、ジョン・サイズ氏です。

香港のトップ調教師として、
ジョン・ムーア師とともにここ10年以上君臨し続けてきたジョン・サイズ師。
しかし、この“ダブル・ジョン”、管理する馬のタイプは対照的でした。
ちょうど、マサトと岡部のように、華やかなムーアと地道なサイズといった感じ。
ムーア師は人脈を生かして、イギリスなどから現地の重賞を勝ったような実力馬を香港に持ってきて、
大レースを中心に勝っていきます。
ビバパタカのように、移籍初戦が香港ダービーという具合です。
一方、サイズ師はオーストラリアやニュージーランドから、
レーティングの低い馬を持ってきて、下級条件から地道に勝ち星を積み重ねていくのです。
「鍛えて馬を強くする」という具合に、
リーディングトレーナーも何期もものにしてきたサイズ師が不思議といままで勝てなかったのが、
香港ダービーだったのです。
実に、2001年に香港で開業してから、苦節11年。
念願のダービー制覇は、劇的なものでした。

それは、レース本番からさかのぼること3日。
15日に行われた枠順抽選会から始まっていました。
14頭で行われるダービー。
その抽選で、ジョン・サイズ師のフェイフェイは、
なんと大外の14番枠を引き当ててしまったのです。
この欄でも何度か書いていますね。
香港競馬で外枠に入ったということは、
その時点でトップハンデを背負ったも同然だと。
この瞬間、サイズ師は半ばあきらめたんだと思います。
しかし、どん底から勝利の女神を振り向かせたのは、
馬自身の底力と、天才ダグラス・ホワイトの腕でした。

「大外14番枠からだと、やれることは限られる。
本意じゃなかったんだけど、前へ行くしかなかったよね」
レース後、ホワイト騎手が明かしました。
その説明通り、ポンとスタートを切ったフェイフェイは、
逃げ馬直後の3番手に上手くつけ、直線早目に抜け出しました。
最後は、ライバル、ジョン・ムーア師のセイムワールドをハナ差凌いで優勝。
サイズ師はさぞかし手に汗を握ったことでしょう。
勝利調教師インタビューでは、
「大レースを勝つのはいつだっていい気分だね。
この香港で勝つべきビッグレースはやっぱり、ダービーさ。」
と、手放しで喜んでいました。
そして次走について、
「クイーンエリザベス2世杯(4月29日)は視野に入れてるよ。
ただ、馬の調子によるけどね。」
日本からはルーラーシップなどが参戦予定のこのレース。
悲願を遂げた調教師と不利をはねのけた若駒が、
日本馬に厳しく立ちはだかりそうです。


 
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