飯田コージ
1981年12月5日、神奈川県出身。2004年ニッポン放送入社。年齢当てクイズでは必ずプラス20歳上で答えられる。不自然な笑顔が魅力のニッポン放送アナウンサー。
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香港競馬通信
4月16日
今日、香港ジョッキークラブから驚きの発表がありました。
「ついに来たか」という思いが去来した、アンビシャスドラゴンの引退発表です。
香港年度代表馬のタイトルを2度獲得、最優秀マイラーのタイトルと、最優秀中距離馬のタイトルをそれぞれ2度獲得した、香港競馬史上に残るスターは通算30戦して13勝。
香港での総獲得賞金は5872万2850香港ドル(およそ9億200万円)。
これは香港の競馬史上6位の高額獲得賞金です。

トニー・ミラード厩舎の大エースは、地元沙田のG1の主役であり続けました。
2011年のクイーンエリザベス2世杯(2000m)、2012年の香港マイル(1600m)の国際G1に加え、ローカルG1レベルでも2011年の香港ダービー(2000m)を制しています。
電撃的な末脚を武器に国際レーティングでも最高124ポンドをマークし、2013年の国際ランキングで11位タイに輝いています。
これを上回った香港馬はエイブルフレンドしかいません。
アンビシャスドラゴンが124ポンドをマークしたのは、この年の3月のクイーンズシルバージュビリーカップ(HKG1・芝1400m)を勝った時。
結果として、この勝利が最後の勝ち鞍となりました。
ちなみに、2012年は同じく124ポンドで世界ランク13位タイ、2011年も122ポンドで23位タイに入っています。

管理するトニー・ミラード調教師は、
「ボクが管理してきた馬の中で最高の馬だったよ。何と言っても、この馬は多才だった。こんな万能の天才は見たことない。香港に移籍してから、1400m、1600m、1800m、2000mと、短距離から中距離までのG1をそれぞれ勝っている。ボクは香港で16年調教師やっているけど、こんな馬を管理したことないね。それに、負けはしたけど2400mのローカルG1でも2着に入っているしね。正直、この馬が若いころ、ボクは1200mならG1勝てると思っていたんだ。こんなに柔軟で器用な馬だとは夢にも思っていなかったからね。チャンピオンは距離を問わない。なぜなら、どんな距離でもこなすだけの能力があるから。その馬の名前は、そう。アンビシャスドラゴンだったわけだよ」
と、去りゆく愛馬を絶賛しました。そして、
「一方で、この馬はユニークな馬でね。世話をするには気を遣ったよ。この馬は他の馬と同じように繊細で、そこについては柔軟性はなかったからね。私のキャリア20年で初めて出会った一頭。だから、向こう20年、こんな馬には出会えないだろうね」
「でも、この馬はやっぱり特別だったんだ。落ち着いた、のんびりした馬でもあった。基本的にナイスガイだったからね。大体いつも意図通りの調教が出来たし、それゆえ思ったように育てることができた。意図通りに育てるなんて、ありそうでないからね。調教師冥利に尽きる馬だったけど、この馬を託してくれたオーナーのジョンソン・ラム氏に感謝だね。オーナーも含めて、ボクを支えてくれたチームが揃い、そこにこの馬がやって来た。攻馬手や厩務員を含め、だれ一人欠けてもこの結果は得られなかった。天の配剤とはよく言ったものだね。」
「G1を7勝。年度代表馬のタイトルも獲得。能力の高さを証明することができた。そして、休養を経て再び帰ってくることができた。願わくば、一日でも長く調教師として現役でいて、この馬のような一流の馬にもう一度出会いたいね。もちろん、簡単なことじゃないことはわかってる。このレベルの馬は一生に一度クラスだからね」

7人のジョッキーがアンビシャスドラゴンにまたがりレースを戦いました。
香港ダービーの時にはマキシム・ギュイヨン騎手。
続いてはダグラス・ホワイト騎手が4勝。
そして、ザック・パートン騎手が最後の3勝と、最終レースの手綱を取りました。
さらに、ジェラール・モッセ、ウェイチョン・マーウィン、ウンベルト・リスポリの各ジョッキーがアンビシャスドラゴンとコンビを組みました。

「乗った感想としては、この馬はジェントルマンだったね」
と明かすのは、ザック・パートン騎手。
「ゲートの中では、促さなければ動かないぐらい静かだった。
スイッチが切れていると本当におとなしかったんだけど、レースとなるとその末脚は全く時が止まったような切れ味だった。まさに桁外れの馬で、ボクが乗った馬の中ではベストマイラーだね。もうレースで乗れないと思うと、本当に残念だよ。香港マイルを勝った時は本当に痛快だった。この馬に乗るのは本当に楽しみだったんだ」
パートンは別れを惜しみました。

ホワイト騎手は香港クラシック三冠やクイーンエリザベス2世杯でアンビシャスドラゴンの手綱を取りました。
「香港で乗った馬の中ではベストの一頭だね」
と、香港で13度リーディングジョッキーに輝いた名手は認めました。
「ボクのジョッキー人生の中で、信じられない感触があったのはこの馬だけだね。特に、この馬の末脚は規格外だった。この馬はチャンピオンであり、ここまで現役を続けたのは尊敬すべき偉業だね」

アンビシャスドラゴンのキャリアは地味なスタートでした。
2010年2月3日のレースで12頭立ての8着。
ハッピーヴァレーのクラス4、1200m戦でした。
当時管理していたのはフランシス・ルイ調教師。
結局、3歳時は4戦して2着が2回ありましたが勝ち鞍は一つもありませんでした。
その後の大活躍を、誰一人予想できないほど地味な戦績だったのです。

そんな「ドラゴン」はミラード厩舎に移ってから。
2010/11年シーズンからこの南アフリカ人の管理下に入り、開花します。
8戦して、2つのクラスで7勝という快進撃。
その中には、HKG1香港クラシックカップ(1800m)と香港ダービー(2000m)、さらに国際G1クイーンエリザベス2世杯と、まさにシンデレラストーリー。
しかも、負かした相手はカリフォルニアメモリーやビバパタカ、ジターノエルナンドという錚々たるメンバー。
そして、シーズン7勝というのは、香港競馬史上最多勝タイ。様々な意味で昇り竜のシーズンでした。

明けて2011/12年シーズンは、HKG3ナショナルデーカップでの規格外の勝利からスタートしました。
ハンデ戦のこのレース、前のシーズン快進撃のアンビシャスドラゴンは133ポンド(60.32キロ)という酷量ともいえるハンデを科されながら、18ポンドもハンデが軽いディスディンドフォーグローリー以下を2馬身半差で下します。
このシーズンはまさにドラゴンが充実期に入ったシーズンで、香港古馬三冠のうち最初の二つ、HKG1スチュワーズカップ(1600m)とHKG1香港ゴールドカップ(2000m)を制覇。
そして、三冠目のHKG1チャンピオン&チャーターカップでは惜しくも2着に敗れ偉業達成はなりませんでした。
また、このシーズンの3月末、キャリア唯一の海外遠征、ドバイデューティフリー挑戦もありました。
絶頂期で期待されましたが、国際G1の壁は厚く、7着敗退。
レース前のスタンドの熱狂に惑わされたこともアピールされましたが、残念な結果に終わりました。

2012/13年シーズンも、始動はハンデ戦でした。
この馬には斤量に負けないタフさがあったようで、この年はマイルの沙田トロフィー(HKG2)からスタート。
こちらも同じ133ポンドを背負い、後に勝ったり負けたりのライバルとなるグロリアスデイズを下しています。
この馬とは次走1着2着が逆になりましたが、12月の香港カップでは再び1着アンビシャスドラゴン、2着グロリアスデイズと香港ワンツー。
前年には香港カップに出走し、ややハ行を発症し涙を呑んだゲンの悪い香港国際レースでしたが、雪辱を果たした格好になりました。
また、このシーズンにキャリア最後の勝ち鞍、クイーンズシルバージュビリーカップ勝利もありました。

この2012/13年シーズンのクイーンエリザベス2世杯に敗北した後、次シーズンへの調教中に屈腱炎を発症。長期休養を余儀なくされます。
この際、香港ジョッキークラブが新設したビーズリバーの調教施設がフル回転。
無事に現役復帰に漕ぎ着けました。
現役馬として十分戦えるレベルにまでは回復しましたが、しかし往年の圧倒的な強さは影をひそめました。
18か月ぶりの実戦復帰となった今シーズン。
去年10月のHKG2沙田トロフィー(ハンデ)ではファンの声援の後押しもあって、4分の3馬身差の3着。
その後3戦しましたが、輝きは失せたままでした。

アンビシャスドラゴンの現役最終戦は3月15日。エイブルフレンドの5着に終わったG1クイーンズシルバージュビリーカップでした。
往年の爆発的な末脚の片りんは伺わせ、上がり400mは22秒45と勝ち馬に勝るものでしたが、しかしその末脚も優勝をもぎ取るだけの力強さはもはや見ることはできません。
しかしながら、スタンドからは惜しみない拍手が送られていました。
沙田にいるそれぞれのファンたちは、その爆発的な末脚を記憶の中に鮮明に覚えているようでした。

香港競馬の一時代を築いたアンビシャスドラゴン。
その引退セレモニーは、クイーンエリザベス2世杯の日、4月26日の沙田競馬場で行われます。


 
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