4月 7日
■1988年(昭和63年)■「ソウル五輪〜鈴木大地の金メダル」
バブル全盛だった1988年。
巨人の王監督が辞任し、阪急がオリックスに、南海がダイエーに身売り。
プロ野球にとっても激動の年だった。
いわゆる「10.19」もこの年だった。
首位西武が日程終了、2位の近鉄は残り2試合でマジック2。
ロッテに2連勝すれば逆転優勝という川崎球場でのダブルヘッダー。
「大変なことになっているぞ」と聞いて、二宮は途中から球場に駆けつけた。
第2試合の綾はロッテ・有藤監督の10分間の抗議だった。
結果、時間切れ引き分けで近鉄はあと一歩及ばなかった。
「野球が時間が負けた」という悔しさがあった。
しかし、近鉄は翌年の優勝で報われる。日本シリーズでは巨人に3連勝、4連敗。
何かとドラマを起こすチーム、近鉄バファローズはそれから15年で幕を閉じる。
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 東京五輪以降、右肩上がりで来た日本のスポーツが壁にぶつかったのがソウル五輪だった。前年の世界大会で実績を上げ、「金メダル有力」「メダル確実」と言われていた日本選手が本番で敗退。いずれも「プレッシャーに負けた」と言われた。
 その不振の日本選手団の中で、逆に相手にプレッシャーを与えて金メダルを獲った選手がいた。競泳・100m背泳ぎの鈴木大地である。
 100m背泳ぎの予選では米国のバーコフが世界記録を出していた。決勝に勝ち残った当時順天堂大学3年生の鈴木は、テレビのインタビューで「決勝の秘策は?」と聞かれて、ぶっきらぼうに「ナイショ」と答えている。言えるわけがない。鈴木と彼を指導する鈴木陽二コーチにはまさに秘策があった。
 スタートと同時に潜って両足のキックで進む「バサロ泳法」の距離・キック数を伸ばす作戦。秘策は相手に知られていては意味がない。バーコフが世界記録を出したことによって、秘中の秘の箱を開けた。最悪の状況で最善のカードを切ったのだ。
「奇襲」バサロ延長でリードを奪った鈴木は、隣りのレーンのバーコフにプレッシャーをかけた。世界記録保持者も猛烈に追い込むが、0.13秒の差で鈴木が逃げ切った。手の平ひとつ分の差である。
 鈴木は爪を伸ばしていた。センサーで関知するゴール板に数ミリでも早く触ろうという執念であった。五輪本番前には競泳会場となるソウルのプールを訪れ、練習を行っている。仰向けに泳ぐ背泳ぎでは、天井を見て、あと何mとターンやゴールまでの距離を判断する。そのプールを熟知しておく必要があった。
 1972年ミュンヘンの田口信教、青木まゆみ以来、16年ぶりに日本の水泳界にもたらされた金メダルは、鈴木大地と鈴木陽二コーチが綿密な準備と、強かな戦略と、飽くなき執念でつかんだものだった。

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◇1988年の出来事◇

●カルガリ冬季五輪●ソウル五輪●さよなら青函連絡船●巨人・王監督辞任
●昭和天皇の病状悪化により特別報道体制●リクルート疑惑
●潜水艦「なだしお」が漁船と衝突事故

◇1988年生まれ◇

福原愛(卓球)、田中将大(野球:楽天)、斎藤佑樹(野球:早稲田大)


★次回は、1993年にスポットを当ててお送りします★





 
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