11月30日
■帰ってきた天才〜ディエゴ・マラドーナ■
ディエゴ・アルマンド・マラドーナがアルゼンチン代表監督に就任した。
1960年生まれ。「神の子」ももう48歳になる。

左利きだが右足もうまい。160センチ台だがヘッドもうまい。手も使える。
ドリブルするとマラドーナとボールが一体になる。
というよりマラドーナがボールになっている。
手につく足につくというレベルでも、「ボールが友だち」というレベルでもない。
マラドーナ自身がボールだった。

1986年ワールドカップ・メキシコ大会は、
「マラドーナのマラドーナによるマラドーナのための大会」といわれた。
準々決勝のイングランド戦、0−0で迎えた後半4分、
イングランドDFのバックパスのミスを逃さず、「ヘッドで」ゴールしたマラドーナ。
我々、テレビで見ていた人間にも、それがマラドーナの拳であることがわかった。
当然、イングランド選手も「ハンドだ」と抗議したが、審判はゴールと認めた。
のちに、マラドーナが「神の手とマラドーナの頭によるゴール」と語っている。
体のどこでも使えたマラドーナだからこそ生まれたゴールだとも言える。

「神の手」から4分後に、「5人抜き」が生まれた。
ハーフライン付近でボールを持ったマラドーナは、チェックに来たイングランドの
ベアズリーとピーター・リードをかわすとドリブルで突進。
CBテリー・ブッチャーを左足アウトで抜き、もう一人のCBピーター・フェンウィックを
左足のインサイドで抜くと、最後はGKピーター・シルトンを抜いてボールを流し込んだ。
マラドーナがボールになった瞬間だった。

その一方で、5人抜きを演じたイングランドの存在も忘れてはならない。
あの場面、ブラジルなら狡猾な手段で止め、イタリアなら囲んでいたかもしれない。
一人ずつマラドーナに挑み、抜かれたイングランドの騎士道精神が生んだ5人抜きである。
時代劇でも、斬られ役がいて初めて主役は映える。
一人ずつ「やあやあ我こそは」と出て行ってこそ、見事な殺陣が披露できるのであって、
全員が一度にかかったら桃太郎侍も太刀打ちできない。
当時は、囲んでプレスをかけてボールを奪うことは少なかった。
イングランドの騎士道精神と、牧歌的なサッカーが伝説を生んだともいえる。

マラドーナはその後、薬物に手を染め、
94年アメリカ大会の途中、ドーピング違反でワールドカップの舞台を去った。
97年に現役を退いたあとは不遇だった。
薬物中毒や肥満で入退院を繰り返し、2003年には一時危篤状態に陥った。
ボールと一体になれなくなり、現役を退き、
マラドーナがマラドーナを演じられなくなったもどかしさもあったろう。
堕ちた神の子がもう一度、ワールドカップの舞台に立つチャンスが来た。

アルゼンチン協会も思い切ったことをしたものだ。
世論調査の結果、マラドーナ監督の就任には「7割の国民が反対」だそうだ。
しかし、協会はマラドーナに救世主的な期待をしているんではないか。
代表の成績以上に、サッカー人気をもう一度高めようという狙いが。
あるいは、金融危機の中でサッカー景気刺激策といってもいい。

ポジショニングも進化した。プレスの質が上がった。
欧州も南米もサッカーの違いは昔ほどではない。
20世紀のサッカーを超える魅力を提示していない現代サッカーに、
20世紀からマラドーナが帰ってきた。
7割の不支持にも「マラドーナファンでないなら国民をやめるべき」
と相変わらず面白いことを言ってくれる。

天才の考えは想像もできないが、
何か面白いことをやってくれるのでは、と期待せずにはいられない。



(二宮清純氏のコメントより抜粋して再構成しました)




 
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