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【弘山晴美・ひろやまはるみ】 マラソンランナー (2009年5月11日〜2009年5月15日オンエア)


【弘山晴美】
徳島県出身、1968年生まれ。
鳴門高校、国士舘大学を経て1991年に資生堂に入社。
中距離・長距離トラックランナーとして頭角を現し、
1994年に1500メートル3000メートル日本記録更新。
1997年に5000メートル日本記録更新。
アトランタ、シドニー、アテネのオリンピック3大会連続出場。
2006年名古屋国際女子マラソンで37歳にしてマラソン初優勝。
今年3月の東京マラソンを最後に現役引退。






陸上との出会いは?
小学校の頃から走るのは好きだったんですが、バレーボールをやっていたんです。
でもバレーボールではずっと補欠で選手になれなくて、中学に上がった時に何をやろうかと考えた時に、兄も陸上をやっていたので「私も陸上をやろうかな」と思って始めました。
最初は短距離の100メートルからはじめて、面白かったんですが急に練習しすぎてすぐに肉離れをしてしまいました(笑)
高校大学までは400メートルや800メートルをやっていて、会社(資生堂)に入ってからは中距離をやっていたんです。
その会社で身近に谷川真理さんが先輩としていらしゃったんです、その会社に入った年に谷川真理さんが東京国際女子マラソンで優勝をして、それを見た時に「すごいな、私もマラソンやってみたいな」と初めて思いました。
初めてのマラソンはそのちょっと前で大学の時です、その時はマラソンの練習や調整も知らず、朝ごはんも普通に食べて出場したんです。そしたら後半になってお腹がペコペコになってしまって(笑)エネルギーが切れてふらふらでゴールしました。



最大の挑戦は?
トラックからマラソンに変わった時、1998年でちょうど28歳の時です。その前からずっとマラソンをやりたいと思っていたんですけど、しばらくトラックでスピード付けてからという思いがあったのでこの年になりました。
きっかけは、ヨーロッパのグランプリレースに出た時に世界の選手とのトラックでの力の差というのを感じてしまって、世界の強豪選手とのトップ争いをしたいと思った時にそれが出来るのはマラソンかな、と感じたんです。
2000年のシドニーをマラソンで目指そうと決めたので、逆算して1998年からスタートしました。
結果、マラソンでは選ばれず落ち込んで、布団の中にくるまってふて寝などしていたんですが、ずっとそうしているのも嫌になったんですが大阪で一緒に走ったリディア・シモン選手が「また頑張ってください、シドニーで会いましょう」という事を言ってくれたので、それからトラックで頑張ろうと思い10000メートルで出場する事ができました。



最大の壁・挫折は?
一番大きいのはシドニーオリンピックでマラソンに選ばれなかったことです。その時はリディア・シモン選手以外にも他の実業団チームの監督さんとかからも「もう一回走っているところをみたい」と言ってもらってすごく嬉しかったですね。
選ばれなかった理由探しみたいな事を、布団にこもって色々やっていたんですけど、私が選考レースだった大阪国際女子マラソンに向けて頑張ったことは間違いじゃなくて結果として選ばれなかっただけなので、ここを乗り越えないとその先の人生でも「あの時選ばれなかったから」とそのせいにしてしまいそうで、それが嫌だったので「ここで頑張らなきゃ」と思いました。
その時旦那は特に何も言ってくれなかったんです(笑)でも後から聞いたんですがあまりの落ち込みように「何も言えなかった」みたいなんです。
あと、ゴールの時にいない事が多いんです、それも成績がいい時に限って(笑)一番印象的なのは2006年名古屋でマラソン初優勝した時も誰もいなくて、しばらくしてから来ました(笑)
今年引退するまで中学から28年間走り続けたんですが自分でもよく続いたな、と思います。



マイチャレンジソング
渡辺美里さんの「My Revolution」です。高校の時に先生の車で遠征に行っていたんですけど、この曲が入ったカセットをいつも聞いていました。この曲を聴くと、いろんな所に遠征に行った事とか試合に行った事を思い出します。
四国を出る時もあれば、四国内もありましたが、高速もなかったので何時間もかけて車で移動していました。
現役時代は合宿で家にいることも少なかったんですが、今はゆっくりしています。今までは遠征が多く、帰ってくると2人分の荷物で家の中が溢れかえってしまって、レース前なのでそれを片づけることもやらなくて見ないようにしていたんですけど、今はようやくキレイにして快適な生活になりました。





未来へのチャレンジ
今は現役を終えたばかりで大きな目標は見つかっていないのですが、走るという土台を今まで作ってきたので、今後それを活かしていくかを考えているところです。
将来的には現場で指導をしたい、という気持ちはあります。
走る事も出来る限りは続けて行きたいです、マラソンは3時間15分を切ればエリートマラソンに出場できるのでそれに挑戦できるうちはマラソンの大会に出たいと思います。
東京マラソンで引退レースをしてもう一度ここを走ってみたい、と思ったんですけどホノルルマラソンも走ってみたいですね。
今はマラソンブームで女性ランナーもだいぶ増えました、ウェアなどもおしゃれになってみんな楽しそうに走っているので私も楽しく続けていきたいと思っています。
でも、ウェアはおしゃれなんですがシューズを見ると、テニスシューズみたいなモノとか、スニーカーみたいなモノで走っている方が多いので、ランニング用のシューズで走ってほしいですね。ケガも減りますし、その方が長く続けられますので。





お話を伺って
素敵なワンピースであらわれた弘山さん。
この華奢な身体のどこに42. 195キロを走り抜くエネルギーが隠されていたのかしら??と思うほど。
日本の女性アスリートがマラソンに強い秘訣は?と伺うと『まじめに練習するからかな』とのお答え。
中距離・長距離トラックから少しづつマラソンに移行していかれた弘山さんもきっと『まじめな練習』を
積み重ねて強くなっていかれたのでしょうね。

引退されてこれまで思うようには出来なかった”主婦業”を楽しんでいる、と語ってくださっていましたが、
今度はアスリートを導く側としてまたお目にかかれるのを楽しみにしています。

(政井マヤ)


政井マヤ
パーソナリティ:
政井マヤ
メキシコ生まれの元フジテレビアナウンサー。フジテレビ時代には、スーパーニュース、ワッツ!?ニッポンなど情報番組を主に担当。2007年3月に俳優の前川泰之さんと 結婚、女児を出産。2008年からスポーツリアルトークのパーソナリティを務めている。
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