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【飯沼誠司(いいぬま・せいじ)】プロライフセーバー (2009年10月5日〜2009年10月9日オンエア)


毎週様々なアスリートをゲストにお迎えしてお送りしているスポーツリアルトーク。
この番組ホームページでは放送では触れることができなかった部分も含め、
インタビューの内容をお伝えしていきます。
先週のゲストは、日本初のプロライフセーバー飯沼誠司選手でした。



【飯沼誠司】(いいぬま・せいじ)
1974年東京都出身
高校時代は背泳でインターハイに出場。
東海大学進学後、ライフセービング部に入部しライフセーバーの道へ。
ライフセービング競技の花形種目アイアンマンレースにて頭角をあらわし活躍すると。
大学卒業と同時に、オーストラリアが主催するアイアンマンレースのワールドシリーズ
「ワールド・オーシャンマンシリーズ」に日本代表として出場し
日本人ライフセーバーとしては初めてプロ契約を結びます。
日本国内では全日本選手権アイアンマンレースでは5連覇という偉業を達成。






【まずはライフセービングについてお教えください?】
日本だと夏の活動だけになってしまうんですが、水辺で監視活動をして目的としては「事故を未然に防ぐ」というのがライフセービングの活動です。そして何かあった時に迅速にレスキューをします。人命救助が目的と思われがちなんですが「事故を未然に防ぐ」とゆうのが前提です。
 〜スポーツとしてのライフセービング競技があるんですよね?
人命救助の能力を上げるために日々トレーニングをしてるんですが、そのレベルを上げるために競技が始まったんです。
海とビーチの競技に分かれていまして、海では泳ぐ競技だったり、実際のレスキューを想定したボードレスキューと言ったお気に溺れている人を設定してレスキューボードを使って早く助けて帰ってきた者が勝ち、と言った感じで実際の活動を想定した競技が多いですね。
ビーチでしたら、ビーチフラッグスとか2kmビーチランとか砂浜でどう対応できるか?と言った事が問われるビーチの競技が多いです。
大体12〜3種目ありますがビーチフラッグスがテレビのバラエティなどで有名ですよね、しかしあれも瞬時の判断力が問われる競技なんです。うつぶせになって待っている間はどこに旗が立っているかがわからないんです、なので振り向いた瞬間にどの旗を取りに行くべきかを判断しなくてはならないんです。ゲーム的に思われがちですが実際に競技性はすごく高いんです。
全てライフセービングの精神にのっとった競技なんですが、オーストラリアなんかですととても人気がありまして大会が2時間ぐらいの特番で生放送で中継されたりして、国民的なスポーツになっているんです。
海外では日本のライフセービングのようなボランティア的な活動だけではなく「ライフガード」という公務員がいるんです、さらにプロのアスリートのライフセーバーがいて、その3者が上手くいいトライアングルになっているんです。
日本では夏だけのライフセービングと思われているんですが通年でトレーニングしている人とかライフセービングと言うものをもっと普及したいと思っている人たちがたくさんいますのでもう少し活動を広げていきたいな、と思っています。



【ライフセービングとの出会いは?】
3才から高校3年生までずっと水泳をやって来たんです。しかし高校3年の時にタイムに伸び悩みまして大学に行ってどうしようか?と思っていた時に、たまたまライフセービングクラブがあったんです。100名ぐらいクラブ員がいたちゃんとしたクラブで興味があったので説明会に行ってみたんです。そしたら凄く迫力のある映像を見せてもらいアメリカで実際に行われていたレスキューとかオーストラリアのプロの大会のシリーズを見せてもらって、いままで競泳ではインターハイに出ていましたがひ弱でしたし落ちぶれていた選手だったので、自分がもっと男らしく勝負したい!と思っていた時にライフセーバーの男らしい姿を見て「男はこうあるべきだな」と思って憧れから入部しました。
競泳時代は練習が本当に辛くて、色も白くて細くて「今と雰囲気が違う」と当時の同級生には言われるんです、自然が鍛えてくれた部分があると思いますし自分にはそれが合っていたのかな、と思います。
その後大学在学中に学生選手権で優勝する事が出来たんです、その成績と世界大会の結果を見てオーストラリアからオファーが来たんです。当時世界に250万人ライフセーバーがいて30人ピックアップされたんです、その中に選ばれて宝くじに当たった気分でした。会社もOKを出してくれないかな、と思っていたんですが「そんな人材がいるならば挑戦しなさい!」とOKをだしてくれまして、ちょうど旅行会社だったのでオーストラリアやハワイやアメリカに寄った時に各支店に挨拶してきなさいと言われ理解のある感じで本当に良かったです。
 〜大学生で初めて4年間の間に学生日本一になられたんですね。いつごろ向いていると思いましたか?
高校3年生の時にあるレースで、屋外のプールでコースロープも緩くて雨が降っていてすごくコンディションが悪いレースがあったんです、本当に波が立つような感じだったのですが、その時にベストタイムを出したんです。
少し荒れた状態を好むのかな?と思って大学に入ったら「海向きの泳ぎだ」と言われてその時自分は競泳のプールのような静かな場所よりも、ちょっとグシャグシャでコンディションが悪くても力を出せるんだ、と思ってそこから自分にはこれが向いているんだ、と思って頑張りましたね。


【最大の挑戦は?】
1997年に初めてプロ契約をしてそのシリーズ戦に出た時です。僕がライフセービングを始めたきっかけになったのは大学の時に見たライフセービングのビデオ、それから4年後にビデオに映っていた選手と同じスタートラインに立つ事が出来たんです。そこでも僕は本当にある意味舞い上がってしまったんですけど「ここからがスタートなんだ」と実感しました。
シリーズは世界を転戦して競技を通じてライフセービングの素晴らしさを知ってもらい事故をなくそうと言うアピールをするという目的なのですが、世界の各地のビーチ例えばハワイとかで「このビーチで一番多く溺れるのは日本人なんだよ」と言われたんです、さらに聞くと「日本にはライフガードと言うものがまだまだ浸透していないからだよ」そして「日本人はビーチにつくとライフガードも探さず、安全なエリアも探さず、目の前についたビーチでそのままエントリーして泳いでしまう。海はどこでも泳いでいいのではなくライフガードのいる安全な場所で泳がせるよう、お前らが頑張るんだ」と海外のライフガードの方に言われてしまったんです。
僕は海外の選手と戦える、すごい選手と戦えると舞い上がっていたんですが、いろんな国に行けばいくほど、いろんな選手と話せば話すほどそういう事を言われ「舞い上がっている場合じゃないな、これからが挑戦なんだな」と思いましたね。
ライフガードが定着させる事は事故を未然に防ぐことにもつながりますから、そこからやらなければいけないな、とすごく自覚しましたね。
 〜海では旗の色で遊泳エリアが別れているんですよね?
エリアフラッグと言うのが遊泳エリアの左右両サイドに立っているんです。
日本ですと遊泳状態が良好な時は青。注意の時は黄色の旗、遊泳はできませんが波打ち際でなら遊んでも大丈夫な時です。そして禁止の時は赤旗で見ずにはいる時にも許されないんです、落雷や地震の恐れがある時です。
ビーチについたらまず確認してみてください。


【チャレンジソングは?】
Def TechCatch The Waveと言う曲でこの曲を聴くと盛り上がるし、自分でもやるぞ!と言う気になります。ちょうど2001年から5年間位ライフセービングをやめていた時期があるんです、その間違う仕事などをやりながら色んな挑戦をしていたんですがやはり自分の原点はライフセービングあるという事にはなれてみて気づいて、戻る為の原動力となった曲です。
 〜今はTATEYAMA SURF CLUBを設立し館山を拠点としているんですよね?
新たにリスタートを切る際、どこがいいかな?と色んな場所を自分の中で考えたのですがそれまでライフセービングがキチンと発展していなかった場所が館山だったんです。本当にアルバイトの人や経験のない人がビーチに立っていたんですがやはりそのままだと事故がもしかしたら起きてしまうかもしれない部分があったので、自分に出来る事があれば、と思い館山市とうまく協力して4年前からスタートしました。
1日にライフガードは30人ぐらい必要なのですが、始めたばかりのころは人も少なくてレベルもなかなか高くなかったのですが、今年で4年目なのですがようやく大部いい形になってきました。
 〜冬はどうされているんですか?
TATEYAMA SURF CLUBはライフガードだけでなく地域密着型で色んな水に課かあるスポーツをやっているんです、例えばアウトリガーカヌーという横に添え木のついたカヌーで4人乗りのものを3艇もっていて地元の方と交流したりとか、今はジュニアのライフセーバーの育成していまして下は3才の子から中学生くらいまで将来の館山の海を守ってもらうために頑張っています。
 〜趣味は何でしょうか、プライベートでも海に行かれるんですか?
趣味もサーフィンや釣りと言った感じでどちらも海に関わっているんです(笑)それ以外には最近野菜を育てるのが楽しくてトマトとかキュウリとかいろんなモノを作ってやっと今年の夏出来たんです、夏のライフガード中はみんなに配って「これでみんな元気になる」って喜んでいましたよ
最終的には自給自足みたいな事をやってみたいとは思うんですが、野菜とかがたくさん取れてもまだうまく料理する能力が無いので後輩とかに「食材があるから上手くやってくれよ」とお願いしています(笑)



【将来の目標は?】
ライフセービングを職として確立する事が一番の目標です。それによっていろんな方に認知されますし、それが事故を未然に防ぐ事につながると思います、あとジュニアのライフセーバーを育ててますのでもっともっとジュニアのメンバーを増やして、将来の日本の海は安全だ、と言う風にしたいですね。
今までの日本のライフセービングは大学のライフセービングクラブの4年間で完結してしまうんです、TATEYAMA SURF CLUBを作ったのはでOBとして活躍できる場所、そしてそれ以前のジュニアの活動が出来る場所を作ればもっともっとライフセーバーの質が上がるかなと思って設立したんです。
もちろん僕自身もライフワークとしてライフセービングをやっていきたいので、自分がやらないのにやりましょうと言ってもしょうがないので出来るだけそこに情熱を注いでやっていきたいと思っています。
他にも、日々のビーチクリーンで海の環境を少しでも守ることも大切だと思っています、今すごく感じるのはジュニアのライフセーバーの子に「自分たちの使う場所は自分たちで掃除をしよう」とゴミを拾わせるとわかるんですが、誰かがゴミを捨てた時にそれがいけないことだとわかるんですよね、せっかく自分がゴミを拾ってキレイにしたところを汚されると嫌だという気持ちが出てきます、それが僕の中ですごくうれしですね。
まだまだ日本の海はきれいですし、館山の海にはサンゴとかがいるんです、今は環境破壊などと言われていますがまだ損なわれていない部分もあるのでその部分を守ろうと言う気持ちになれば、これ以上広がらないとは思っています。






インタビューを終えて

「ライフセーバー」。分かっているつもりで、よくは知らなかったスポーツ。

日本でこのライフセービングを広く知らしめることになった飯沼選手。爽やかな外見に隠されているのは熱さ。それも”たくましさ”への憧れだったとは、意外!でした。今はスポーツとしてのライフセービングももちろんのこと、ライフセービングが日本に根付くこと、そして海での事故が減ること、海の環境が守られること…を目指して活動されている一方、ご自身の芸能活動も本格的に…と本当に多方面にその活躍の場を広げていらっしゃいますが、きっと原点であり目標は”強くてかっこいい男”なのでしょうね。

これからも爽やか、かつ熱く日本の海を守っていってください!!子どもたちの活動を目を輝かせて話されている姿が印象的でした!

(政井マヤ)


政井マヤ
パーソナリティ:
政井マヤ
メキシコ生まれの元フジテレビアナウンサー。フジテレビ時代には、スーパーニュース、ワッツ!?ニッポンなど情報番組を主に担当。2007年3月に俳優の前川泰之さんと 結婚、女児を出産。2008年からスポーツリアルトークのパーソナリティを務めている。
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