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【宮下純一(みやした・じゅんいち)】北京オリンピック競泳銅メダリスト (2009年10月12日〜2009年10月16日オンエア)


毎週様々なアスリートをゲストにお迎えしてお送りしているスポーツリアルトーク。
この番組ホームページでは放送では触れることができなかった部分も含め、
インタビューの内容をお伝えしていきます。
先週のゲストは、競泳元日本代表の宮下純一さんでした。
北京オリンピック400メートルメドレーリレーで銅メダルを獲得した宮下さんにたっぷりお話をお伺いしました。



【宮下純一】(みやした・じゅんいち)
1983年、鹿児島県出身の25才。
鹿児島県立甲南高校、筑波大学と進み、大学を卒業後は芸能プロダクションのホリプロに入社。
2008月北京オリンピックでは100メートル背泳ぎ代表に選考されると、
準決勝でアジア・日本新記録を樹立し決勝進出。
さらに400メートルメドレーリレーの第一泳者として銅メダルを獲得。
2008年10月に現役を引退、現在はスポーツキャスター・タレントとして活躍中。






【水泳との出会いは?】
僕が水泳と出会ったのは5歳の時で、実はぼく泳げなかったというか顔に水が付けられないところからのスタートだったんです。お風呂も顔に水がかからないようにして洗うぐらいに水がかかるのが嫌いで、幼稚園の水遊びの写真が今でも残っているんですがみんな水着で笑顔で映っているんですが僕1人だけ洋服を着て大事な集合写真ですら水に入るのが嫌いだったんです。
それでその時の幼稚園の先生が母に「小学校に行ったら絶対水泳の時間があるから、純一君の為にもぜひスイミングに連れて行って下さい」と言われて、母親に引っ張られて行ったのがスタートです。
なのでオリンピックでメダルを取った時も母に「あの、アンタがねぇ」と言われましたし、小さい頃から僕を知っている人達にはびっくりされました(笑)
 〜すぐに水には慣れたんですか?
ホント最初は無理やりだったらしいのですが、母に聞いたら1年後には泣かずにプールに行くようになっていたらしいです、それからは順調で5歳で水泳を始めて10歳で全国大会のジュニアオリンピックに出場したので「不思議なものだな〜」って言ってました(笑)


【最大の挑戦は?】
やはりオリンピックへの挑戦だと思います。僕が一番目標にしていた試合はメダルを取った北京ではなくその前のアテネオリンピックだったんです、水泳の男子のピークは大学の3〜4年と言われていた時代でちょうどアテネの時は僕が大学3年生で迎える試合だったんです。記録もずーっと伸びてきていたので正直「このままオリンピックに行っちゃうんだろうな」と思っていたんです。
選考会で標準記録を超えた上位2名がオリンピックに派遣されるんですが、僕はその選考会で3位だったんです。次を目指すにしても4年後、大学を卒業し社会人になってまでやらないといけないという中で迷いも生じ悩んだ挙句、自分が小さい頃から思い描いていたものは「オリンピックに出たい」と言うものでしたので最後はその気持ちに押されて北京オリンピックに挑戦しようと思った事が最大の挑戦です。
卒業にあたって色々な企業の方から声をかけていただいたのですが、最も自分を応援してくれて自分も頑張れる会社にしようと思いました、そして自分を追い込みたかったので今所属しているホリプロにお世話になることを決めました。ホリプロに入れば注目度も上がりますし自分が引き下がれない状況におけると思ったんです。
会社にも仕事の為に行きましたが、そのたびに社員の方が応援してくれたのでよかったですね。
そして自分が思い描いていた最高の形でメダルを手に入れる事ができました、小さいころの文集には「金メダル、金メダル」と書いていたのですが、メダルの色は関係ないですね個人で最後の上位8人に残って、リレーで日本のトップ4人に入れてあの強豪の中で戦えたというのが僕の最高の集大成だったと思います。


【最大の壁・挫折は?】
一番を挙げるとするならば、社会人に入ってプレッシャーに負けそうになってしまいそうになった事がありまして、大学で水泳をやっていた時は自分が「好き」と言う気持ちだけでやってきていましたので「次の試合がある」と言うような考え方で「この試合になんとしても可あなくてはならない」と言う気持ちは少なかったんです。しかし社会人になりますと試合の数も少なくなります、やはり国際大会に出ないと認められない部分がどうしてもあるので4月に行われる日本選手権で絶対代表の座を取らなければならないんです、しかも競泳の場合は何回も選考会があるわけではなくその1つの大会で予選・準決勝・決勝と戦ってその決勝で2位に入らなければいくらいいタイムを出していても代表になれないんです。
その一つの試合にかけるというプレッシャーを今まで感じた事が無くて、さらに会社の名前を背負って出ていますからその重みも感じました。
今まで水泳を始め、水泳の選手コースに入った小学校3年生から大学4年生まで記録が止まった事がなかったんです、一度もスランプを味わった事がなかったんですが社会人になってからいきなりタイムが止まったんです。しかし今まで一度もスランプを味わった事がなかったので対応する能力が無いんです、何を疑えばいいのかわからない状態なんですが、人間て自分を疑いたくないものですからまずはコーチを疑ってしまって「コーチのメニューがおかしいのではないか?」とコーチと衝突したこともあります。
それでコーチの事は納得した次は周りのチームメートだったりして「宮下さんカリカリしてるんじゃないですか?」と言われたこともあいます。しかし考えてみたら原因は自分にあって「標準を合わせていく」と言う事に慣れていませんでしたし、プレッシャーを自分にかけ過ぎていたんじゃないかなと思います。自信を持ってノビノビとやるほうがいいのに「やらなきゃやらなきゃ」と言う考えを持っていた事を自分の中で気づいて、そこで「水泳を楽しんでいなかったな」と仕事なんですけど仕事として割り切ってやり過ぎていて「もっと水泳を楽しめばいいじゃん」と思えるようになった時に「こういう風な自分になる為に今コレをするべきだ」と言うのがわかってそれを乗り越えられた時に自己ベストも出ました。
本当に対処の知らない挫折と言うのは怖かったですね、大学ではないので同級生もいないのでなかなか相談もできませんでしたので親に電話してましたね。でも家の両親は「頑張れ」って言わないんですよ「好きな水泳でしょ、楽しくやりなさい」と言う風に言ってくれました。小さい頃からそうなんです、応援に来るけどレース前には声をかけないしスタンドの隅で見てるだけで家に帰ったら水泳の話はしない、本当に陰から支えられてくれたなと思います。
そんな両親も北京に応援に来てくれて、いつもは怖い父が「誇りに思う」と言ってくれて本当に形として恩返しが出来て良かったと思います。


【チャレンジソングは?】
ケツメイシさんがすごい大好きでオレの道オマエの道と言う曲をオリンピックのレース前によく聞いていました。オリンピックの前に発売されたケツノポリス6と言うアルバムに入っていて、この曲の中に「100人いれば100通り1000人いれば1000通りの生き方があるはずどれも間違ってない全部正解だと思う!」と語りかけるところがあるんです、それで僕は2番手でオリンピックに出たのですが1番手の森田選手と一緒に練習した事があってやはりライバルの練習ってすごく気になるんです、僕って結構左右されやすくて相手がやっている練習をやってみたりとか相手の調子に惑わされる事があるんです、しかしこの歌を聞いた時に「僕のスタイルも間違っていないだよ」と言われたような気がして、ホントにその詩の部分だけ聞く事があって助けられた一曲です。
北京で練習中も試合前も、自分の思った通りにやっていこう、と思えたのもこの曲のおかげなんです。6月に発売されて8月にオリンピックがありましたので本当に『運命』と思います。



【将来の目標は?】
僕は小さい頃から水泳だけをやってきましたが、学んできた事は水泳だけではなかったんです。色んな人と関わりがあったり繋がりがあったので色んなことを学ぶことが多かったんです。僕はその大切さだったり楽しさを、今から水泳をはじめたいという子供から怖くて顔を水に近づけられない子供達(笑)が「水泳って楽しいな」と思ってもらうために水泳の楽しさを伝えていければいいかな、と言うのが今の目標ですね。
本当に多くの子供たちにスポーツをしてほしいな、と思います。水泳をしてもらうのが一番うれしいのですが、水泳ではなくても体を動かして外で遊んで人とのふれあいを感じてもらえればいいかな、と思います。
 〜今でもプライベートで泳ぐことはあるんですか?
子供たちへの水泳教室のほかに週に一回ぐらいプールに行って泳いでいます。他の人たちと一緒に普通に泳いでいるので「はやいわね〜、次試合に出たらいいのに」と言われたりする事もあって(笑)「ゼヒ次の試合に出てみます」と会話してみたりして楽しく泳いでいます。
 〜最後にプライベートでの目標などあれば?
僕は九州鹿児島の出身で雪山に行った事が無くて、雪が降ったらキャッキャ言うくらいに雪を知らないの所で育ちましたから。それで大学の時も雪が降ったさいに雪だるまを作るのに熱中して授業に遅れてしまったこともあったんです(笑)
なのでゼヒ今年の冬はスノーボードにチャレンジしたいな、と思います。25才にして初めての雪山へのチャレンジです(笑)





インタビューを終えて

お名前に”純”という字があるのを、あとで気づいて『なるほどーー』と思ったくらい、宮下さんにお似合いの一文字。しかも、続いて一番の『一』がついている。
社会人になるまでずっと右肩上がりの成績を出し続け、挫折を知らなかったという”おそるべき”経歴の持ち主。しかも、水泳をはじめたのは、小さい頃から水が苦手で幼稚園の先生に勧められたから…というのも面白すぎるエピソード。
ホリプロに入社して選手生活を続け、一度はもう挑戦しないと思っていたオリンピックに出ていきなりのメダル獲得。そしてすっぱりとその頂点での引退。裏方からタレントへの転向…とそのキャリアインタビューのあいだ中、”常人”を超えた何かを感じてしまった私。しかも、その明るさと爽やかさも突き抜けていて…。
宮下さんのミラクルな人生はまだまだ続きがありそう!!これからの活躍でもきっとびっくりさせてくれるでしょうね!

(政井マヤ)


政井マヤ
パーソナリティ:
政井マヤ
メキシコ生まれの元フジテレビアナウンサー。フジテレビ時代には、スーパーニュース、ワッツ!?ニッポンなど情報番組を主に担当。2007年3月に俳優の前川泰之さんと 結婚、女児を出産。2008年からスポーツリアルトークのパーソナリティを務めている。
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