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【勅使川原郁恵・てしがわらいくえ】スピードスケートショートトラック (2010年2月8日〜12日オンエア)


毎週様々なアスリートをゲストにお迎えしてお送りしているスポーツリアルトーク。
この番組ホームページでは放送では触れることができなかった部分も含め、
インタビューの内容をお伝えしていきます。
先週のゲストはスピードスケートショートトラックの勅使川原郁恵さんです。
3大会連続で冬季オリンピックに出場された勅使川原さんに貴重なお話をたっぷり伺いました。


【勅使川原郁恵(てしがわら・いくえ)】
岐阜県県出身、1978年生まれ。
3歳の頃からスケートを始め、
ショートトラックの世界で頭角を現すと中学2年生の時に大会史上最年少で全日本選手権大会に優勝。
その後も日本のトップ選手として活躍し、
長野、ソルトレーク、トリノと冬季オリンピックに3大会連続で出場
トリノオリンピック後に現役を引退。




【勅使川原さんとショートトラックの出会いは?】
3歳の時にスケート場に行ったのが出会いなんです、父親がスケートの選手でして地元岐阜のコーチもやっていたんです。
そのお父さんに毎日付いていくというのが日課になっていて、スケート場に行かないと落ち着かないという子供でしたね。
でも子供用のスケート靴もないので、つま先にティッシュペーパーを詰めて自分に合うようにして滑っていたんです。
私には姉が2人いるのですが姉がスピードスケートの選手をしていて、ただ滑るだけじゃなく姉のように早く滑りたいな、と思って私もスピードスケートを始めたんです。
 〜女の子にとってはフィギュアスケートにも憧れたりしたのでしょうか?
します(笑)衣装をみるとわかると思うんですけど、フィギュアスケートって凄いキラキラでスカート履いてて可愛いじゃないですか、
小さいながらにああいう格好っていいなーって思ったんですけど、でも性格的に男の子みたいな性格でしたので「皆よりも速く滑りたい」というのをずっと思いのほうが強かったんですね。
あと小さい頃に私が一番好きだった事があって、スケートってカップルの方が手をつないで滑っているじゃないですか、その手と手の間をすり抜けて行くというのが小さいながらに得意で、
その後の反応がすごい好きだったんですよ「あー」となって「でも、あの子速いよー」と言われるのがうれしくて毎回毎回やっていましたね(笑)
 〜その後スピードスケートからショートトラックに道を変えられたのは?
私が子供のころはスピードスケートは屋内のリンクが少なくて外で練習していたんです。
そうすると氷が張っている時期がだいたい11月ぐらいから3月ぐらいまでで夏は氷が張っていないという状態だったんです、
そうすると練習する期間も短くなるので、私はそれが嫌で父親に「一年中滑れるスケートリンクはないの」という話をしたら
「ショートトラックは室内のリンクで一年中氷が張っているから、こっちはどうだ?」と連れて行ってもらったんです、
そして実際に見て「これは小さいリンクだし小さい私の体には合っているんじゃないかな?」と思って始めたんです。
それが小学校5年生のころですね。



【最大の挑戦?】
大きな大会で言うとオリンピックです。
長野、ソルトレーク、トリノとオリンピックに出場しました、初めてのオリンピックは1998年に行われた長野オリンピックだったんですけどその時は本当に緊張しましたね。当時はまだ10代だったので。
でも日本で開催されたオリンピックに出れたのは本当に運が良かったな、と思います。
そんな長野オリンピックは自国開催という事もあり応援してくださる方が本当に多くて「がんばれ郁恵ちゃん」という声が多くて会場が揺れる感じだったんですよ、それが今でも忘れられないですね。
結果も3種目出て全て入賞できたので、よくやれたと思います。
でも本当にメダルまであと一歩だったんですよ、目の前に選手がいて抜かしたらメダルだったのでそのゴールシーンの瞬間は今でも覚えていますね。
「掴んで転ばせちゃおう」と、思わず手が出てしまいそうになるぐらいだったんですけど「これはダメダメダメそんなことしたら失格になってしまう」と思ってゴールしたのを覚えていますね。
そこでメダルが取れなかった分、次のソルトレークをメダルを!と思い目指せましたし、そこでもメダルを取れなかったので、次のトリノでまた頑張ろう!と続けられたのはよかったんじゃないかな、と思います。
 〜オリンピック以外でも勅使川原さんは14才の時に全日本チャンピオンになられた経験もお持ちなんですよね?
14歳でしたので、その時は信じられなかったんです。
自分が日本で一番になったというのが夢のような感じだったんですけど、周りからいろいろ質問とかインタビューとか受けることによって
「日本代表として気持ちをしっかり持たなければいけないんだな」ということを気づかされて、そこから日の丸を背負っていい成績を残そう、と思うようになりましたね。



【最大の壁・挫折は?】
14才で日本一になったのですが、それからずっとトップというのをキープできていたわけではなくて3位になったり4位になったりすることもあったんです。その時に挫折を感じましたね。
後輩とかもどんどんどんどん強くなって負けることがしばしばあって、やっぱり落ち込みますよね。
『勝って当たり前』といった選手が3位4位だといろいろ言われるんですよね、ホントにその時はどうしたらいいのかな?と迷いましたね、そして「誰に相談したらいいんだろう?」という悩み・不安もありました。
いちばん身近な相談しようとも思いましたけど、両親に心配かけてしまうと思ってグッとこらえて自分の胸の中で考えるという事もあったのですごく苦しかったですね。
それに周りから「勅使川原終わったな」と言う声が聞こえた事もあったんですよ、その時は本当に辛かったですね「終わった」と言われた瞬間に「スケートを引退しなければいけないのかな?」と言う気持ちになったこともあります。
それでも、私は「ここで負けてはいけない」という風に思い「みんなが終わったというけど私はまだ終わっていないと言う事を見せればいいんだ!」という風に思ってトレーニングを積んでいったんです。
 〜そういう時に一番ご自身の支えになったのは?
同じショートトラックの女子の選手はみんなライバルなので、その分男子の選手にいろいろ聞いてもらったりスケートの手入れなどもやってもらったことが支えになりました。同じ競技の選手に助けられたことはたくさんありましたよ。
あとは、やっぱり気持ちが一番大切で「とにかくもう一度頑張ろう」と自分を信じる心ですかね、それを持ってやっていました。
 

【勅使川原さんにとってのマイチャレンジソングは?】
私がスケートをしていた時にワールドカップや世界選手権のスタート前によくかかっていた曲なんですけどQWEENWe will rock youです。
メーンでかかるのは決勝なんですけれど、その時に「ダッダッタン!ダッダッタン!」とはじまって、この曲を聴くとスケートをやっているときは「よし!頑張ろう!」と思いましたね、今聞くと落ち着かないんですけど(笑)
選手もドキドキするでしょうけど、今聞いても足が震えますね(笑)
 〜引退後は様々な活動をされていますが日本ウォーキング協会の親善大使でもあるんですよね
「歩くことを始めよう」という事で私と荻原健司さん次晴さんの3人で「R9プロジェクト」(あーるないんぷろじぇくと)というのを立ち上げたんです。
R9は普通に読むとR(あーる)と9(く)で「歩く」になるんです。
歩くことは美容健康面にとてもいいのはご存知かと思うんですけど、歩いているといろんな方とお話しすることが出来るんですよ、そういう事でコミュニケーション
あと、綺麗な景色のところを歩くと「あーいい景色だな」と感じるじゃないですか、そういったことで自然を大切にしようという気持ちも芽生えるじゃないですか、そういう様々な事を感じられるのがウォーキング・歩くことだなと思って、それを分かち合いたいなと思ってやっています。
 〜そして現在開催中のバンクーバーオリンピックの聖火ランナーも務められたんですよね
そうなんです、日本でただ一人のメンバーに選ばれまして、昨年の11月17日にカナダのノバスコシア州というところに行って走ってきました。
距離は300メートルほどだったので、それこそ一歩一歩重みを感じて進んで行きました。
でも感動しましたよ、ずっと選手として3度のオリンピックに出てきたんですけど、また今回も聖火という事でオリンピックに参加できて光栄でしたし、周りの子供たちの笑顔をみて「頑張るからね−」といった感じで走ってきました。
 〜今オリンピックを迎えてご自身としても楽しい時期でしょうね
楽しいですけど、選手の気持ちになると同じ年齢の選手たちもいますし、ショートトラックのメンバーで言うと一緒に練習してきたメンバーもいますので「がんばってー!」という気持ちで、足が見ながら動いてしまいますよね、なんかもう足が筋肉痛になってしまいます(笑)

「R9プロジェクト」 HPはこちらから

【最後に今後の目標をお願いします】
やはりスポーツにずっと関わっていきたい、と思っています。
スポーツの素晴らしさをどんどんどんどん広めていきたいと思いますし、健康面の方も勉強して皆さんに伝えていきたいと思いますので、美容と健康そしてスポーツに関してスペシャリストになりたいと思います。
 〜特に食に関してはこだわりがあって選手時代からいろいろ工夫されてきたんですよね?
そうですね、昔はそういった事をしっかり考えていなくて例えばショートトラックの試合ですと予備予選、予選、準々決勝、準決勝、決勝とあって、それが2種目続いたりしますので多い時は1日に全力で10試合以上する事があるんですよ。
それが20分おきとかにあったりして、それこそエネルギーを蓄えていないと最後の最後の肝心な決勝で自分の力が発揮できなかったりするんです。
私も一回決勝のスタートの時にエネルギー切れがあって、手が全部痺れてしまったんですよ、それで体も思うように動かなくなって、その事を経験して「よし、これはもうしっかり栄養補給をして、これからはこう言う失敗をしないようにしよう」と思ってからすごくしっかり考えるようになりました。
 〜最後に勅使川原さんが伝えたいショートトラックの魅力を教えてください?
ショートトラックは駆け引きがとても魅力なんです、選手がどのタイミングで先頭に出るか?とか、あとはコーチとのやり取りもレース中に結構あったりして、実はコーチと目を合わせながら「次の周で行くぞ!」みたいなサインが出てたりするぐらい駆け引きが行われているんです。
それだけに、何が起こるかわからない競技、ぜひぜひゴールするまで最後まで目を離さないで見ていただきたいな、と思いますね。
あとは、今回のバンクーバーオリンピック、ショートトラックの日本女子リレーチームはメダルまでかなり近いところに来ていると思いますので、ぜひそちらにも注目していただきたいと思います。


インタビューを終えて
バンクーバーで始まったオリンピック。カナダ国内の聖火ランナーを日本人で唯一務めたのがこの勅使川原さん。

日本女子のショートトラック界をリードし続け、3度の冬期オリンピックに出場。しかも14歳で日本一になってからトリノで引退するまで14年間も!!それを可能にした”負けん気”がきっと彼女にあったのでしょうね。スランプに陥ったときに他の女子の選手にはライバルだからこそ相談出来なかった…という言葉にトップを走る孤独とプライドが感じられました。

しかし、そんな言葉とは裏腹にハキハキとした明朗な話し方と笑顔が印象的な女性。食べること、料理が大好き。”健康と美容”をテーマにした本も書いていて…とても多彩。

日本ウォーキング協会の大使らしく、足下は歩きやすそうなスニーカーで、颯爽とスタジオを後にされました。これからの多方面での活躍が楽しみです。
(政井マヤ)

政井マヤ
パーソナリティ:
政井マヤ
メキシコ生まれの元フジテレビアナウンサー。フジテレビ時代には、スーパーニュース、ワッツ!?ニッポンなど情報番組を主に担当。2007年3月に俳優の前川泰之さんと 結婚、女児を出産。2008年からスポーツリアルトークのパーソナリティを務めている。
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