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【黒岩敏幸・くろいわとしゆき】スピードスケート (2010年2月15日〜19日オンエア)


毎週様々なアスリートをゲストにお迎えしてお送りしているスポーツリアルトーク。
この番組ホームページでは放送では触れることができなかった部分も含め、
インタビューの内容をお伝えしていきます。
先週のゲストはスピードスケートの黒岩敏幸さんです。
3大会連続で冬季オリンピックに出場し、アルベールビルオリンピックで銀メダルを獲得された黒岩さんに貴重なお話をたっぷり伺いました。


【黒岩敏幸(くろいわ・としゆき)】スピードスケート
群馬県出身、1969年生まれ現在40歳。
スケートが盛んな群馬県嬬恋村で生まれ育ち
1991年世界スプリント選手権で3位に入る。
翌年アルベールビルオリンピック500メートルで準優勝し銀メダルを獲得。
その後、リレハンメル、長野と3大会連続で冬季オリンピックに出場。



【黒岩さんとスケートの出会いは?】
群馬県嬬恋村はスケートが盛んでしたので本当に小さいときからやっていました。
写真を見ると3歳〜4歳ぐらいからスケートを履いていた写真がありますので「いつから?」と言われるとそのぐらいからやっていましたね。
ちょうど黒岩彰さんも活躍されていたので、黒岩彰さん憧れてずーっと頑張っていましたね。
 〜名字も地元も同じなんですよね?
そうなんです、彰さんがいて次に私が出てきて「スケートをやるには黒岩が必要なのか?」とよく言われました(笑)
 〜選手として本格的に始められたのはいつごろですか?
小学校の4年生ぐらいからです。課外活動で何かをやる時に友達も皆スケートを選んだので自分も入り、授業が終わったらスケートの練習、という毎日を送るようになったんです。
 〜氷のない夏の期間はどのように過ごされていたのでしょうか?
氷のない時期もスケート部というのはあるので、そこで体操をしたりとか球技運動をしたりとか走ったりとか、苦しい練習でも周りに友達がいたのでワイワイワイワイやっていましたね。
それでも夏場にどれだけいい練習ができるかですべりが変わってきます、しかし小さい頃はそんなことは分かりませんから「なんでこんなに練習するのかな?」と疑問に思うわけなんです。
そこで先生方は「じゃあこの練習が終わったらドッチボールをやるぞ」といった感じでうまく練習をさせていましたね。
 〜オリンピックに対するあこがれが出てきたのはいつごろからでしょうか?
そう思い出したのはやはり黒岩彰さんが1984年のサラエボオリンピックに出場された時です、村を挙げて応援しようという雰囲気になったんです。
その時、黒岩彰さんは期待されながら結果が出なくて皆が涙したのを覚えています、当時私は中学生だったのですが「オリンピックというものは本当に周りの人の気持ちを動かす凄い事なんだ、自分もこういうところに行ってみたい」と思いましたね。


【最大の挑戦は?】
オリンピックに3度出場したのですが、オリンピックに向かうためのキツイ練習ですね。
その中でも私がいちばん頑張ったなと思うのがアルベールビルオリンピックに向かうためのシーズンです。
その前の88年のカルガリーオリンピックで黒岩彰さんが銅メダルを取ってその次に私でしたので、私としても「続きたい!とにかくどんな色でもいいからメダルが欲しい」と言う気持ちがありました。
 〜そしてみごとに銀メダルを獲得されました
その時私は、あまりオリンピックというものを意識しないというか、初めてのオリンピックなのでオリンピックをわかっていなくて、世界選手権やワールドカップの流れのような感じで競技に臨んだという記憶があります。
シーズンはじめから海外に出て、とにかく海外の選手と戦って、その流れでオリンピックに入りましたので『オリンピックには魔物が住んでいる』とか気付かずに帰ってきてオリンピックの凄さがわかりましたね。
 〜その次は2年後のリレハンメルオリンピックに出場されました
アルベールビルでメダルを取って、次の年ぐらいからちょっと調子が悪くなって、さらに選考会の一カ月ぐらい前に足首を捻挫してスケート靴も履けないような状態だったんですが、監督、周りのスタッフ、メディカルスタッフの方々が「黒岩がオリンピックに出られるように」「力を発揮できるように」と力を貸してくれて、周りのスタッフのおかげで出させていただいたというオリンピックだと今でも思っています。
 〜そして4年後には長野オリンピックに出場されました
私の中で長野オリンピックは集大成といったオリンピックでした、私自身はメダルという部分では非常に難しいラインにいまして、代表には清水宏保、堀井学という世界でも勝てるすごい選手がいましたので、その選手たちが一番力を発揮できる環境作り、選手村での過ごし方ですとかチーム内での雰囲気を良くしてやろうかな、という気持ちで臨みました。
自国開催という事もあり、やはり金メダルを日本にとって欲しいという気持ちがありましたので。


【最大の壁・挫折は?】
アルベールビルでメダルを取って次のシーズンから成績が伸びず、すぐ2年後にリレハンメルだったんですけど、そこの2年間のシーズンが私の中で非常に苦労した時期だったかなと思います。
 〜スポーツ選手には輝かしい成績を上げた翌年に不振に陥ることはよくある気がするのですが?
私も今考えると、練習はしていたんですがただやっていた練習というか身に付かないといった感じで、バーベルを上げるにしても「100キロを挙げていればいいんだ」数字的にも「この数字を出しておけばいいんだ」といった感じで研究心がなくただやっていたという感じだったかと思います。
それでシーズンで結果もでませんでしたし、「黒岩メダル取ったから天狗になって練習しなくなったんだ」という声も聞きました。
そういう中でどうにかしようどうにかしよう、と焦りにつながり、ケガにもつながったと思います。
 〜その時、一番励みになったのは?
先ほども話しましたが、やはり周りの方の支え、感謝の気持ちもありましたが、最後の最後では「自分を信じる」という部分がありましたね。
周りにいるスタッフも「結果はどうでもいいんだよ、とにかく黒岩が力を出せてやりきったと思えるレースをしてくれ」という風に言われて私の中で何か吹っ切れた部分がありましたね。
それまでは「これだけ周りがやってくれているから」とちょっと周りのスタッフの期待を背負っていた所があったのですが、その一言で吹っ切れましたね。
リレハンメルのスタートラインに立った時には「ここまで周りの人たちがやってくれたんだから後は足が千切れてもいいから最後まで滑り切ってゴールするぞ」と言う気持ちになっていましたね。


【黒岩さんにとってのマイチャレンジソングは?】
長野オリンピックの時にテーマソングになったWAになっておどろうです。
この曲を聴くと清水宏保が金メダルをとったシーンや岡崎朋美が銅メダルを取ったシーンが浮かんできて「あの感動をもう一度」といった感情になります。
最初に聞いた時は子供が幼稚園や保育園で踊るような感じで「オリンピックで頑張るぞ!という感じではないな」と、ピンとこなかったのですけど、
大会が始まり何回も何回も聞いているうちに、この曲を聴くと気持ちがリラックスしてテンションが上がってくるようになってきて来るようになりました。
 〜長野の時は男子スケート陣の主将的な立場でした、選手村ではどんな過ごし方をされていたのでしょうか?
食事の際は必ず一緒に行って、スピードスケート短距離陣とは、まぁふざけた話もしましたし真面目な話もしました、ほんとにいい雰囲気でしたね。
あと、自分の競技が終わった後はスキーのジャンプに応援に行ったりしていましたね。もちろん、次に控える競技の方もいますのでそこは邪魔にいい雰囲気を作っていました。
 〜プライベートの事もお伺いしたいのですが、娘さんもいらっしゃるという事で今はおいくつなんですか?
今は1才と2か月です。
娘にも一度はスケートを履かせたいと思っているのですが、私の妻が踊るほうのバレエをやっていたのでその絡みでそっちをやったり、スケートもやったりしてほしいかなと思っています。
よく周りの人からは「2つあわせてフィギュアスケートをやったらいいのでは?」と言われるんですけどね。
名前は舞桜(まお)と言うのですが、浅田真央ちゃんにちなんで名づけたので、どういう方向に進むかは本人に任せますけど、彼女のように輝いてほしいなと思っています。



【最後に今後の目標をお願いします】
私自身、スケートでこれだけ大きくさせてもらったというか、いい経験をさせてもらっていますので、その恩返しができればな、と思っています。
今は、家のほうが建築業なのでそれをやりながらスケートへの恩返し、指導にしても普及にしてもそちらの方向で進めていけたらなと思っています。
その中でもとにかく小さい子でもスケートが履ける環境づくりはしたいな、と思っています。
どんな子でも一度はスケートを履いた事がある、という風になってほしいですね。
 〜黒岩さんの思うスピードスケートの魅力は何ですか?
やはりスピード競技ですので、あの速いスピードを体感できる事ですね。
ジェットコースターが好きな人がもう一度ジェットコースターに乗りたくなるような感覚はあるので、小さい頃は恐怖心もあってそこに向かっていく勇気がいりましたけど、そういう部分も楽しいかと思います。
 〜滑ってて怖くなるぐらい速くなる時もあるんでしょうね?
ありますね。オリンピックに出るほとんどの選手たちも、怖かった所が結果的にミスにつながっているので、やはり試合になると普段出なかったスピードが出てしまってそれでカーブが曲がれなくて転んでしまったというのを良く聞きますので。



インタビューを終えて
黒岩さんにインタビューをお願いしたのはバンクーバーオリンピックの開幕直前。このオリンピックには解説者として参加される黒岩さん、帰り際に『男子のスピードスケート、期待してください!』とさりげなく、それでいて力強くおしゃっていたのですが…開幕してすぐ!!男子500mでの銀、銅、2つのメダル獲得という快挙。ご自身もアルベールビルの500mで銀を得ている黒岩さんの歓びはひとしおだったことでしょうね。


「スピードの快感と恐怖」とおっしゃっていた言葉が印象的でした。氷や雪の上での競技は夏のオリンピックに比べてここが決定的に違うのかも…と思いました。白銀の世界でのスリリングで熱い闘い…それが魅力なんですね!!

プライベートでは1歳になるお嬢さんのパパ。奥様はバレリーナでいらっしゃるので、娘さんは”まおちゃん”というお名前だけに…フィギュアスケートをされるのかしら??なんて勝手ながら期待してしまいます。きっと今週末はご家族で真央ちゃんの応援していることでしょうね。
(政井マヤ)


政井マヤ
パーソナリティ:
政井マヤ
メキシコ生まれの元フジテレビアナウンサー。フジテレビ時代には、スーパーニュース、ワッツ!?ニッポンなど情報番組を主に担当。2007年3月に俳優の前川泰之さんと 結婚、女児を出産。2008年からスポーツリアルトークのパーソナリティを務めている。
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