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【初芝清・はつしば きよし】プロ野球解説者 元・千葉ロッテマリーンズ(2010年4月26日〜4月30日オンエア)


毎週様々なアスリートをゲストにお迎えしてお送りしているスポーツリアルトーク。
この番組ホームページでは放送では触れることができなかった部分も含め、
インタビューの内容をお伝えしていきます。
先週のゲストはプロ野球 元 千葉ロッテマリーンズの初芝清さんです。
明るいキャラクターでファンも多く、現在は解説者として活躍中の初芝さんにたくさんのお話を伺いました。


【初芝清・はつしば きよし】
東京都出身、1967年生まれ現在43歳。
二松学舍大学付属高校、東芝府中を経て1988年ドラフト4位でロッテオリオンズに入団。
1995年には打点王のタイトルを獲得するなどチャンスに強いバッティングが持ち味。
2005年に現役を引退、明るいキャラクターで今なおファンも多く。現在は解説者として活躍中。






【初芝清さんと野球との出会いは?】
僕は東京で育ったんですが、途中で埼玉に引っ越すことになったんです。
それまでボーイスカウトをやっていたんですが、その引っ越した先でも入ろうと思ったんですが無かったんです。
それでなにもやる事が無くなって、そしたら同じクラスの子が野球をやって「野球のチームに入ってるんだけどやらない?」と誘われたのがきっかけです。
それが小学校4年生の終わりごろですね。
 〜野球を始めてすぐに野球が楽しくなりましたか?
結構厳しいチームだったんで、どちらかというと早く辞めたかったですよね。
野球が楽しいと言うよりも厳しいという感じの方が強かったですよ。
 〜中学でも野球を続けられましたが、それはどのような経緯で?
本当はバレーボールをやりたかったんですよ、でも周りが野球をやりますし、それに僕だけ学区の問題で小学校の野球チームで一緒だった友達たちがごっそりと違う中学校に行ってしまったんです。
それで「もう野球はやりたくないな」と思っていたんですが、いつの間にか自然な流れで野球部に入っていましたね。
 〜そして高校は名門の二松学舎付属に進まれました
ちょうど僕が入る時にセンバツの甲子園で準優勝をしたんですよ、それで強いなというイメージがあったんです。
高校もこれがまた厳しいという印象で、僕に寮入っていたんですが寮に入っていた一年生が2人しかいなかったんです。
それで常に合宿所にいるというのが3学年あわせて10人しかいなかったんです、そのうちの1人に入ってしまったので。
まわりは毎日家に帰るんです、僕ともう1人の一年は常にグラウンド・学校・寮にしかいられないので24時間野球部といった感じで厳しかったですね。
練習が終わるとグラウンドから帰っていくんですが、寮はグラウンドのすぐ横なので僕らはみんなが帰るのを見ながらまだ練習という感じでしたから、今と思えばとても鍛えられて良かった事だと思うんですけどね。



【初芝清さんにとって最大の努力は?】
社会人の時代ですね、東芝府中という社会人チームだったんですけどもとにかく厳しかった。
当時は「東芝府中には行きたくない」と言われるぐらい厳しいチームでしたから。
でもそういう情報は大学生の間で浸透していたんですが、僕は高校卒業して東芝府中に入ったのでそういう情報を全く知りませんでしたから、入ってみたらとにかく練習量が多くて厳しかったですね。
午前中は仕事をしてだいたい1時くらいから練習が始まるんですけど寮に帰ってくるのが8時9時ぐらいでしたから。
もしかしたらプロよりも練習をしていたんじゃないでしょうかね、その当時は。
 〜東芝府中にはやはりプロを目指して在籍していたのでしょうか?
この頃は「なりたい」ではなく「オレはプロになれる」と言う気持ちでやっていました。
特に会社の部署がすごい良い部署で「君は野球が第一、仕事が第二だよ」と言ってくださる職場でしたのでスゴイ気持ちが楽でした。
 〜そして1988年にドラフト4位でロッテに入団されましたが、当時の思い出?
はじめてのキャンプですが、とにかく練習に物足りなかった「社会人の方が厳しかったな」と思って、物足りなかったので自分でやるんですよね、それを周りの人たちが認めてくれたのかな、という。
とにかく、やらなきゃ気が済まないという風に育ってきましたから、プロの練習は物足りなかったというのは覚えていますね。


【初芝清さんにとって一番の壁・挫折は?】
中々僕は壁や挫折を感じる事がありませんでした。脳天気というか、常に前向きでポジティブシンキングですから。
それでも打てない時期というのはつらいですよね、野手というのは「打って」というモノが一番強いですからねでもスランプという風には感じた事はありません。
 〜打てない時期はどう自分を奮い立たせるのでしょうか?
とにかく練習ですよね、練習している時は余計な事を考える事が無いんですよね。考えれば考えるほどどんどん悪い方向に考えてしまうので、練習で発散すると言うのはありました。

 〜引退をされた時の話も聞きたいのですが。引退をされたのが2005年、その年初めての日本一になられました。この時は引退が惜しくなりませんでしたか?
引退を表明してセレモニーをする選手って、だいたい次の試合からは出ないじゃないですか。
でも、僕の場合はプレーオフに一位で進出するか二位で進出するか、というところでしたのでセレモニーで自分がしゃべる言葉にも続きがあるという言葉を伝えなくてはいけない、というモノがあって。普通で有れば「今日ここでユニフォームを脱ぎます」といった締め方がありますけど僕の場合どうしたらいいのかな?というのがあったのですが最後に「僕は夢があります、このチームがプレーオフを勝ち進み日本一になってバットを置きます」と言ったんですよ。
だけどそれを言った以上、日本一になってくれなければすごいカッコ悪いなと思っていたんですよ(笑)でもそれも周りの選手たちのおかげで日本一まで行けたので良かったんですけどね。引退表明してからの一ヶ月間は夢のようなフワフワした感じでしたね。
 〜初芝さんが引退を決意した一番の理由は何だったんでしょうか?
一番はけがですよね、僕は股関節が悪くて三年ぐらいずーっと隠してプレーをしていてその痛みです、そして打つボールに対して体の反応が遅れてきたというのを感じていたんです。
今までしっかり捕まえてきたタイミングのモノが少しずれる体が反応してくれないさらに痛みもある、それでこれはそろそろかなというモノは感じていましたね。
 〜38歳までロッテ一筋で現役を続けられた事はどう思いますか?
幸せの一言ですね、それしかないです。


【初芝清さんにとっての思い出の一曲・マイメモリーソングは?】
爆風スランプRUNNERです。
当時ロッテに入団して寮生活でしたから、どこの部屋に行ってもこの曲ばかりで、寮全体でかかっていたという印象に残っていますね。
 〜この曲を聴くとどんな事を思い出しますか?
まず練習をしっかりやると言う事が第一にあの頃の気持ちが第一に思い浮かぶんですよね
曲のリズムに合わせてバッティングをやるとか守備を受けてたとか、寮だけではなくグラウンドでも良くかかっていましたから。
 〜RUNNERの替え歌もあったとお聞きしましたが、それはどのような歌詞だったのでしょうか?
それから何年か経った後ですが、僕らは川崎球場を経験していますので「今はたとえ弱いロッテだとしても」と替え歌にして「ひどく熱かった川崎」て言う感じで良くカラオケで歌っていました(笑)
そういう風に歌っていても心の中では「今に見てろよ」という気持ちで歌っていましたね。
 〜音楽と言えばヘヴィメタルもお好きなんですよね?
はい、聴くのは大好きですね。特に車を運転しながら聴く事が多いですね、現役の時はバスの中や部屋の中で聞いたりしていましたけど。
 〜どんなアーティストが好きなんでしょうか?
僕はジューダスプリーストとかアイアンメイデン、KISSもそうですしあとチルドレン・オブ・ボドムとか、もう激しいのが好きです。
 〜髪の毛ツンツンにしたりファッションは影響は受けなかったんですか?
したい!とは思っていたんですけど、そういう風貌じゃないなーと自分では思っていましたから(笑)


【初芝清さんの今後の大きな目標は?】
引退してチーム、ロッテを離れていますからやはりロッテには戻りたいと言う気持ちはありますね。
それがどういう形かはわかりませんけど、今までお世話になったし育ててもらった球団なので恩返しはしたいというのはありますね。
 〜今は解説者のほかにも市民球団かずさマジックで野球のコーチもされているんですよね、?
はい!やっています。これはロッテのスカウトの方に「ちょっと野球を教えてみないか?」という事でお話をいただいて、僕は一時的な野球教室みたいな考えでいたら年間でやってほしいという事で、引退して2年目からかずさマジックに入っているんですが。それからは社会人野球にどっぷり浸かっているというか、プロにない厳しさが社会人には有るんですよね、負けたら終わりのトーナメントという部分もありますし、都市対抗野球が最大の目標なんですけどそこを目指すチームの手助けというところではすごい楽しいですね。
僕自身社会人出身ですから、余計に思い入れもありますよね。
そろそろ予選も始まり6月に最大の予選があるので、そこを目指してます!もう6年都市対抗に出ていないので。
でもやっぱり自分がやっている方が楽だな(笑)と思うんですけどね。

政井マヤ
パーソナリティ:
政井マヤ
メキシコ生まれの元フジテレビアナウンサー。フジテレビ時代には、スーパーニュース、ワッツ!?ニッポンなど情報番組を主に担当。2007年3月に俳優の前川泰之さんと 結婚、女児を出産。2008年からスポーツリアルトークのパーソナリティを務めている。
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