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【寺内健・てらうち けん】水泳・飛込 オリンピック4大会連続出場(2010年5月17日〜5月21日オンエア)


毎週様々なアスリートをゲストにお迎えしてお送りしているスポーツリアルトーク。
この番組ホームページでは放送では触れることができなかった部分も含め、
インタビューの内容をお伝えしていきます。
先週のゲストは水泳・飛込で活躍された寺内健さんです。
オリンピックに4大会連続で出場したアスリート寺内健さんに、たっぷりとお話を伺いました。

寺内健さんオフィシャルブログ
http://ameblo.jp/ken-terauchi/



【寺内健・てらうち けん】
兵庫県出身1980年生まれ29歳。
生後6か月からスイミングスクールに通い、小学5年時に飛込に転向。
中学2年で日本選手権・高飛込で史上最年少優勝という快挙達成。
その後、日本の飛込界のトップに君臨。
1996年アトランタから2008年の北京まで4大会連続オリンピックに出場。
2009年4月に現役引退。




【寺内健さんと飛込との出会いは?】
水泳は生後6か月の時から親に連れられて通っていたんです。
ずっと競泳の選手をやっていたのですが練習が辛かったんです、その時にずっと教えていただいていたコーチに声をかけていただきまして競泳から逃げるような気持ちで飛込を始めたんですよ。
 〜それがおいくつの時なんですか?
小学校5年生11歳のときです
 〜私もまったく同じで、幼稚園からスイミングをしていて競泳がしんどくなって「辞める」と言えなくなってシンクロに転向したのがちょうど小学5年生の時でした
まったく同じですね、その頃が一番苦しい時なんでしょうね(笑)
 〜何が一番つらかったんでしょうか?
ただただひたすら泳いでいる事が辛かったんです。
 〜飛込みは何が魅力的に映ったのでしょうか?
最初はコーチから「板からピョンピョン飛び込んで好きな事をやっておけ」と言われ楽しい事ばかりをさせてもらっていたのでホントにずっと楽しかったんですけど、飛込みを始めたら始めたで怖い事と練習時間が長い事で「どっちもしんどいねんな」という風に感じました(笑)
 〜その最初に教えていただいたコーチが、有力選手を育てている有名なコーチだったんですよね?(馬淵崇英コーチ)
そうですね、ずっと日本のトップ選手を育てていらっしゃいまして、それは選手を引退してからいろいろ聞かせてもらったんですけど私を見た時も出会ったその日からコーチは「こいつをオリンピックに連れていく」という思いだったみたいです。
 〜当時小学5年生、どんな所が目に映ったんでしょうか?
やっぱり活発でちょろちょろ走り回ったところですかね。ただそれがコーチとしてはオリンピックに連れていく、僕としたらただ逃げてきて楽しい飛び込みをしているという感じだったので、そのギャップが練習になったときに辛かった時期もありましたね。
長い時で一日12時間練習していたのでそれは辛かったですね。
 〜他には周りに同じ年ごろの選手もいたのでしょうか?
1つ年上に、今でも無二の親友と言いますかずーっと一緒にやっていたパートナーで、そういう存在がいたからそういった練習も乗り越えてきたのだと思います。
 〜そして小学5年生で飛込を始め中学2年生の時には日本選手権で優勝、プレッシャーなどはありませんでしたか?
初めての大会だったのでプレッシャーも何もなかったです。
とりあえず決勝に行くぞという思いで、それで決勝に行ったら意外に調子も良いから「表彰台を狙おうかな」という気持ちだけだったので。
 〜瞬く間に日本一を獲得して、そこでオリンピックというモノは意識されましたか?
少しだけですね、日本でトップになったという事は今度は世界に出さしてもらえ、もしかしたら今度はオリンピックに行けるんじゃないか?という思いは少し持っていました。


【寺内健さんにとって一番の努力は?】
小さいころから練習に休みというモノが無かったんです、毎日毎日日曜日も練習して、ただその毎日の積み重ねが努力かなという風に思っています。
 〜飛込みというと競技自体は一瞬ですよね?その一瞬の為に毎日努力が積み重なっているんですね
そうですね上から下まで1.6秒ですね、それは高飛び込みも飛び板飛込も同じなんですよ。
高飛び込みの場合はコンクリートの台から飛び込みますが、飛び板の場合は飛び板を踏んで一回だいぶ上がるので、だいたい同じぐらいの滞空時間になるんです。
その一瞬の為に、多い時で一日12時間から13時間、量で行ったら300本から400本くらいですね、階段上がって飛んで階段上がって飛んでの繰り返しです。
 〜階段なんですね、4階分ぐらいあるんですよね
そうですね4階分ぐらいです、中国とかだったら実はエレベーターがあったりするんですよ。
中国は飛込大国なのでエレベーターが付いているんですけど、やはり館内は湿気が多いのでよく止まるんですよ(笑)
一時間ぐらい僕も閉じ込められた事がありまして、そういう事もあってだいだいみんなあまりのらないですね(笑)
 〜今、お話も出ましたが中国にも合宿で行かれていたんですよね?
そうですね小学校5年生で飛込を始めたんですが、その半年後ぐらいに「中国に合宿に行くぞ」とコーチに言われまして。
ただ飛込を始めてなんで中国に行くのかも分かっていなかったですし、期間が最初3ヶ月半と設けられていまして、それで中国に行ったら次の日の朝5時からトレーニングが始まってそうれが3ヶ月半ずーと続きました。
それでようやく3ヶ月半を目の前にしたときにコーチから「お前だけ一か月残れ」と言われまして、向こうの上海のチームに入れられて中国語も多少出来たんですけど後の一か月は中国で一人でやりました。
 〜小学校5年生ですもんね?
最初「後一か月残れ」と言われた時はワンワンワンワン泣きましたね「帰りたい!」と、それで親から電話がかかってきて「もうちょいがんばり」と言われても「イヤやイヤや」と言ってたんですけども、いざコーチが帰ると凄い鬼コーチだったので「あ、コーチが帰った、自由や」と思いまして(笑)そこから一か月意外に楽しかったですよ。
後から聞くと上海の選手も「あの子あんなに小っさいのに一人で海外にいさせられて可哀そう」と思ってくれていたみたいで、周りのコーチもすごく優しくしてくれていたみたいだったので。
 〜でも、そこで得たものも大きかったんでしょうね?
大きかったですね、やはり飛込の世界では中国は断トツに強いのでやっぱり中国の選手の演技というのはものすごく美しいですしインパクトも強いモノですからそれをズーッと直で見れたという事はオリンピック行くきっかけの一つなんじゃないかなと思います。


【寺内健さんにとって一番の壁・挫折は?】
オリンピックには4回出場させていただきまして、その中で3回目のアテネオリンピック、その時には「メダル行けるだろう」と言われていまして自分でもそう思っていまして、ただそれをしょい込みすぎて自分が本来やらなければいけないパフォーマンスが出来ずに、ただただ周りの期待を乗せただけで戦っていた事が実は一番つらい大会でして、このアテネオリンピックは壁と感じましたし自分に失望した大会でありました。
やっぱりその大会でメダルを狙うべくして結局取れなかったという事が「自分のやってきた事がなんやったんやろうか」とかいろいろ振り返る事が多かった年ではありましたね。
 〜アテネは8位入賞という結果ですが
入賞ですが、その前のシドニー大会でも8位だったので結果だけ見たら「この4年間メダルの為にやったのに成長してへんやないか」という風に自分ではすごく感じてしまいました。
その前の世界選手権では「メダルを狙う」と言ってメダルを取れたので自分的には気持ち的にも肉体的にもノリに乗っていたつもりだったんですけども、ただやっぱり世界選手権とオリンピックの海外の選手が懸ける思いというのは違うモノなんだなという風に感じまして、台の上に立った時に2万人ぐらいの観客が自分だけを見ていて、その時凄く孤独なんですよね正直戦っている時は、ただそれはいろいろな経験もふまえて克服してきたと思っていたんですけれども、いざアテネでその場に立った時にいつもよりもさらに孤独に感じまして、それが「色んな人応援してくれてるのに」とかちょっといらない気持ちが入ってパフォーマンスをしてやっぱり体が動かなかったのが敗因の一つですね。
 〜短い競技だけにメンタルというモノが一瞬にして出てしまうんですね
そうですね、コーチからすぐに顔を見て「お前今マイナスなこと考えてるやろ」と見抜かれてしまうぐらいわかりやすいモノなので。
 〜そのアテネオリンピックに至るまでにご自身にとって一番支えになったものは何でしょうか?
弟が一緒に飛込をやっていたんですけれども、メダルを取った世界選手権の際にもシンクロナイズドダイビングという2人で一緒に飛込みをする競技に出場していて、その弟がずっと一緒に練習のパ−トナーとしていてくれた事が一番の支えでしたね。
それもシンクロナイズドスイミングも2人でオリンピックに出ようと目指して、弟の方が中々故障とかあって残念ながらてれなかったんですけどもその過程の中で一緒にやってくれた事が自分としては大きかったです。


【寺内健さんにとっての思い出の一曲・マイメモリーソングは?】
ヒップホップの海外のアーティストなんですけどBIG PUNStill Not A Plaer(Feat.JOE)という曲です。
オリンピックに出場させていただいて、そのオリンピックの試合直前に絶対に聞いていた曲なんです。
ここぞという時は必ず聞いていて、勝負曲といいますかオリンピックの4大会では必ず聞いていました。
 〜曲でテンションを上げて階段に登っていきますが台の上は静かですよね、そのギャップはいかがでしたか?
でも頭の中ではガチャガチャとうるさい曲が余韻として残っているので、この曲は8ビートなので傍から見たらリズムに合わせて階段に登っていたかもしれません(笑)
 〜そして1.6秒の短い世界へ飛び込むんですね
「ピッ」とコールが鳴って自分の番が回ってきてからは逆に何も考えていないので後はもう平常心で演技に臨むといった感じですかね。
 〜それでは板の上でも頭の中で曲は掛かっているのでしょうか?
板の上では掛かっていないですね、ただ水の中に入って「今のは良かった」とかって体で分かるので分かった瞬間にまたバーっと掛かってきてテンションが上がるんです。
普段からそういったヒップホップやブラックミュージックが好きなので、ずーっとうるさいのを聴いているので逆に本当に静かな時は自分が演技をしている時だけだったと思います。
 〜元々そういった曲が好きだったのでしょうか?
父親がめちゃめちゃヘビメタが好きだったんですよ、バンドやってギター弾いたりもしていて。
それで小学校のころはヘビメタを聞いて中学ではロックを聴いてある時のタイミングからヒップホップを聞くようになって、やっぱり黒人の曲が一番好きだったのでそれからはヒップホップですね。

 〜引退後の生活でいろいろ変わったと思いますが一番変わった事ってなんでしょうか?
身近な事で言えば、まず、毎日早起きすると言う事ですかね。
選手の時は合宿があれば朝練とかありましたけど合宿が無ければ午後からの練習だったので割とゆっくりしていたんですけれども、今はホントにマンガにある見たいに朝パット目が覚めてパンをくわえて出ていくぐらいの毎日が続いているという感じですね。
 〜今はミズノで社員として働いているという事でスポーツマンからビジネスマンといった感じですよね
そうですね、ただ毎日スーツ着て営業させていただいているんですけど例えば階段を上がる時でも筋肉を意識して上がっている自分がいるんですよ、上りだった太腿の裏のハムストリングを意識して「今日は張りはどうかな?」とか(笑)何かどこかで抜けていないんですよね。
 〜今も飛込をする事はあるのでしょうか?
やはりイベントなどに参加して模範演技などで飛ぶこともありますので、ホントに月に数回ぐらい練習したりとかして本当に気持ち良く飛べる範囲でやっています。
 〜でもずっと飛ばないと寂しくなるでしょうね?
動いている事が当たり前だったので、まだ正直机の前にいる事がなれていない状態ですね(笑)


【寺内健さんの今後の大きな目標は?】
今はスポーツメーカーであるミズノにいるんですけれども、スポーツが身近にある生活・スポーツって素晴らしいモノだと言う事を伝えて行く活動、社員としてもそうですし、飛込を広めていくという活動も含めてスポーツを広げていきたいなって思っています。
 〜今はイベントの企画・水着のデザイン企画の仕事など多岐にわたるお仕事をされているんですよね?
水着を作る工程を入社してから初めて見たんですけど、私の履いていたVパンツなんてホントに小さくてそれこそ「工場でボタンを押したらポンと出てくるんちゃうか?」と言うような気持だったんですけど、実際に見たら1個の水着を作るのにいろんな人の気持ちがこもっていまして、選手にはそういう作っている人の気持ちも含めてどこかでみんながサポートしているという風に思ってもらって心強い気持ちで試合に臨んでほしいなと思います。

 〜改めて飛込の魅力とは何でしょうか?
一瞬で散ってしまうような、でもあんな高いところから回転して飛んでドンと音してあれって1トンぐらいの衝撃が手にかかっているんですけれども、それで飛沫があがらないというのを見たらすごい迫力があってさらに美しいというのがあります。
ですので目の前で見てもらわないとその迫力というのは伝わりませんので、ぜひいろんな方に見に来てもらえるように、と思っています。

 〜最後に今後はこんなチャレンジをしてみたいという目標はありますか?
飛込の事で言いますと、私は音楽が好きでたまになんですがDJをやっていたりするのでイベントとして試合とは別に観客が見て楽しめるような音楽と飛込を合わせた一種のショーみたいなものを何かやりたいなと感じています。
アメリカではストリートダイビングというモノがありまして、ミュージカルみたいな形でストーリーが合って例えば犯人が出てきてそれを追って10メートル駆け上がって犯人を捕まえようとするけど犯人が飛び込んで、それを追ってみんなも飛び込んで、といった冷や冷やする場面もあったりして凄い面白いんですよね、そこから本当の試合が始まったりするんです、そうすると観客としては凄くとっつきやすいんです。
日本でも自分がそういった事が出来るように頑張りたいと思います。

政井マヤ
パーソナリティ:
政井マヤ
メキシコ生まれの元フジテレビアナウンサー。フジテレビ時代には、スーパーニュース、ワッツ!?ニッポンなど情報番組を主に担当。2007年3月に俳優の前川泰之さんと 結婚、女児を出産。2008年からスポーツリアルトークのパーソナリティを務めている。
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