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【浅田梨奈・あさだりな】ボウリング(2010年8月2日〜8月6日オンエア)

夢に向かってチャレンジするアスリートをクローズアップ!
先週のゲストはボウリング日本代表の浅田梨奈選手でした。
華麗なルックスでも注目を集める美少女ボウラーの浅田選手にたっぷりお話を伺いました。


長野県出身、1990年生まれで現在19歳
2006年に全国高校選手権で一年生ながら3位入賞し一躍脚光を浴びると
翌2007年には初優勝、全日本ナショナルチーム入りも果たします。
6月に行われた第24回東アジア・パシフィック選手権大会では銅メダルを獲得。
さらにプロに混ざりP★Leagueにも参戦し優勝も経験、日本ボウリング界期待の新星です

浅田梨奈選手の日々の様子を載せた日記はこちらをチェック!
「ケータイDEボウリング」 http://www.motherld.com/bowling/




【浅田梨奈選手とボウリングとの出会いは?】
両親が趣味でやっていたのですが、私が競技としてやる意識は全然ありませんでした。
でも小学校3年生の時に母親から「親子ボウリング大会に行かない?」と言われてその時に夢中になってしまって、そこから競技にと言うのがきっかけです。
 〜ちなみにこの時の結果は?
全然ダメだったと思うんですけど全く覚えていなくて、とにかくボウリングが楽しかった事と、ボウリングが上手く出来なくて悔しかった事しか覚えていないんですよね。
それが悔しくてボウリング場に通うようになって、レッスンにも通うようになりました。
 〜周りの友達にはボウリングをやっている子は少なかったのではないでしょうか?
全然いなくて小学生の時は周りに「競技でやっている」と言うのが、恥ずかしいのではないのですが変な風に見られるかもしれないので嫌だな、という思いも少しありました。
 〜それでも辞めずにずっと続けられたのはなぜでしょうか?
ボウリングが楽しいと言う思いと、上手くなりたいと言う気持ちが強かったので続けていましたね。
 〜ちなみに小さい頃は大きくなったら何になりたいと思っていましたか?
美容師さんか保育士さんになりたいと書いた思い出があります(笑)プロボウラ―になりたいとかナショナルチームに入りたいとは思ってもみませんでしたね。


【浅田梨奈選手にとって一番の努力は?】
全日本高校選手権で優勝した時は凄い嬉しかったんですけど、その年は本当に自分を1つ2つレベルアップさせたくて一生懸命だった事を凄く覚えています。
しかし後から思い返したら凄い頑張った事なんですが、どちらかと言うと今とこれからする事を最大にしていきたいと思っています。
高校3年生で全日本ナショナルチームに所属できる事になったので、そこから逆に頑張らないといけないと自分の中で意識もどんどん変わって行ったので、結構海外の試合などチャンスもいただいているのでもっと頑張りたいと言う気持ちでいっぱいです。
 〜ナショナルチームに入って何が一番変わりましたか?
自分の気持ちですね、入った当初は自分の中で不安と焦りで凄くいっぱいいっぱいで楽しんで上手くなるという感覚よりも「やらなくてはいけないんだ」と言う気持ちで必死になって焦っている気持ちが凄くあったんですが、今は逆に焦らず自分のペースでしっかり上を向いて行こうと変わりましたね。
 〜転機となった事はありましたか?
先輩や周りの人に言われた言葉が自分の励みになって「焦らなくて良い」とか「今までの自分通りコツコツやる事」だとかそういう言葉が本当にうれしくてその積み重ねですね。
 〜テレビでオンエアされているP★Leagueに参戦されたのもこの時期です、P★Leagueに出始めた時はいかがでしたか
緊張をして頭が真っ白だったと言うのが一番最初の感想です。
しかし、今まで応援してくださった方以外にも新しく私の事を知ってくださって応援してくださる方が沢山増えた事は凄くうれしかったですし、P★Leagueを始めて自分のプレイをテレビで見る事が出来て自分のプレイを見る事は中々ない事なので見ながらも成長出来てきたのではないかと思います。
 〜P★Leagueはプロボウラ―の方も出場されていますが浅田選手はプロではなくアマチュアなんですよね、プロとアマチュアの違いは?
プロの選手の方はトーナメントで賞金を獲得したり個人で活動していくパターンが凄く多いです。アマチュアの選手は各地で所属がまずあってそこから全国大会などの大会に出場したりします、そしてアマチュアのトップには全日本ナショナルチームがあり海外など国際試合に出られると言うのが大きな違いですね。


【浅田梨奈選手にとって一番の壁・挫折は?】
2007年に国体のボウリング競技のポスターに起用していただいたのですけど、そのポスターをきっかけに私の事を知ってくださったりプレーを見てくれる方がとても増えたんですけども、まだその時は自分で納得のいくプレーが全然できていなくって、選手の方やボウリング関係の方々からも注目されたりしてとてもうれしい事なんですけども周りの流れについていけなくて「自分はボウリングをしたいだけなのに、どうしたらいいんだろう?」と自分の心の中で凄い葛藤をしたりだとか、そういう時期がすごくありました。
 〜その時の国体の結果は?
予選で上位8人が決勝に残るのですが、私は9位か10位で2ピンか3ピン足りなくて大泣きしたのを覚えています。
ちょうど高校2年生の時の国体がナショナルチームに入って2カ月ぐらいで初めての試合だったんです、ポスターのプレッシャーにさらにナショナルチームというプレッシャーも掛かってきて凄く苦しい思いをしました。
頑張りたいと言う気持ちが凄く強かったのでその分悔しい気持ちも強かったですね。
 〜そこから立ち直れたきっかけは?
色んな人の支えや両親の支えなど色々自分の中で凄く感謝していて、色んな人が助けてくれたり声をかけてくださったり。
もちろん良い声をかけてくださる方もいたんですけど自分の中で「キツイな」と思う言葉を懸けてくる人もいたんです「なんでナショナルチームなの?」とか、でも今考えるとそういう言葉があったから「悔しい」と思って頑張ろうと思ったりもしたので、今となっては感謝しています。
 〜今振り返ってこの国体はどういう経験になりましたか?
スポーツ選手やボウリング選手で凄く悔しい思いをしている人がもちろん多いと思いますけど、私の場合は短期間にそれが凄く凝縮されてきた気がするんです。
でもその悔しい思いをたくさん積み重ねて今に至るのでその1つとして一番最初のきっかけになっていたので自分が変われるきっかけになったのではないかと思っています。


【浅田梨奈選手にとっての思い出の一曲・マイメモリーソングは?】
AIさんのYOU ARE MY STARです。
今年の1月の後半から2月の頭にかけて中東のクウェートでアジアユース選手権が開催され、その個人戦のあさにたまたまずーっとこの曲を聴いていて試合に臨んだら、2ゲーム目で海外で初めて300点パーフェクトを出す事が出来たんです、その個人戦では銅メダルだったんですけど始めてチーム戦ではなく自分でメダルを持つ事が出来て凄く嬉しくてその大会以降試合の朝には毎回必ず聞くようになっています。
試合の時だけではなく雰囲気を思い出すので「よし頑張ろう!」と思いたい時にも聞いています。
 〜そんな浅田選手の素顔は19才の女子大生、友達と遊びでボウリングに行く事はありますか?
今まで無かったんですけど、今年の年明けに一度だけ行ったんです。ボウリング場にあるシューズとボールを借りてやったのですけど、競技とは違う楽しさがあってみんなではしゃいで本当に楽しかったんです。


【浅田梨奈選手の今後の大きな目標は?】
現在ナショナルチームに入っているんですけど、これから国内の試合はもちろん国際試合も沢山あるのでいい色のメダルが取って帰ってこれるような強い選手になりたいと思います。
シングルス、ダブルス、チーム戦と色々あるのですが、まだ最高では銀メダルなので金メダルを手にした事が無いのでいつかは手にしたいですね。
でも精神面や技術面に戦略面など自分には足りない所がまだまだたくさんあるので、やらなければいけない事もその分だけあります、そういう所を自分で納得して出来るようになってから金メダルを首にかけられる選手になれたらいいなと思っています。
 〜現在はアマチュア選手ですが将来はやはりプロボウラ―に進むのでしょうか?
今はプロへの道は考えていません、全日本ナショナルチームとしてやりたい事がまだまだたくさんあるので、今はそれをコツコツコツコツと積み重ねて色んな試合に出たりとか自分のやりたい事をしっかりやっていく、その目標の方がプロという道よりも気持ちが強いですね。
 〜最後に浅田梨奈選手が感じているボウリングの魅力を教えてください
ボウリングはお子様からお年寄りの方まで年齢問わずいろんな方が親しめると言う事と、これが正解、これがゴールと言うモノが無いので、ゴールが無い事が一番魅力ではないかと一番思います。

政井マヤ
パーソナリティ:
政井マヤ
メキシコ生まれの元フジテレビアナウンサー。フジテレビ時代には、スーパーニュース、ワッツ!?ニッポンなど情報番組を主に担当。2007年3月に俳優の前川泰之さんと 結婚、女児を出産。2008年からスポーツリアルトークのパーソナリティを務めている。
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