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【清水宏保・しみずひろやす】スピードスケート(2010年10月18日〜10月23日オンエア)

夢に向かってチャレンジするアスリートをクローズアップ!
先週、そして今週のゲストはスピードスケートの清水宏保さんです。
長野オリンピックで日本のスピードスケート史上初の金メダルを獲得した清水さんに貴重なお話をたっぷり伺いました。





【清水宏保・しみずひろやす】スピードスケート
北海道出身1974年生まれの現在36才。
スケートの名門・白樺学園高校でを経て日本大学に入学。
在学中の1993年にワールドカップ初出場で初優勝。
オリンピックは1994年のリレハンメルから2006年のトリノまで4大会連続出場し、
長野では500メートルで金、1000メートルで銅、ソルトレークでは500メートルで銀と合計3つのメダルを獲得。
今年3月に現役を引退され、今は新たな人生のスタートをきったばかりです。



【現役生活おつかれさまでした、3月に引退されてから7ヶ月経ちましたが現在はどのような心境でしょうか?】
36歳まで現役をさせていただいたのですが、本当にやりきった感がありましてすっきりした気持ちで、つぎのステージに向かって気持ちはすでに切り替わっています。
 〜この7カ月はどのように過ごされたのですか?
現役を終わってから色々自分でビジネスをしてみたいな起業をしてみたいなと言う思いがありましたので、それに向かっての勉強であったり準備であったりビジネススキルを磨くためのトレーニングを今現在行っています。
 〜ゆっくりお休みになっているのではなく、もうすでに動き出しているのですね!
人によっては現役生活やオリンピックが終わったら少しぐらい休みたいと思う人は沢山いらっしゃるんですけど、僕は休むことなく自分にストイックにやり続ける事が自分にとって性に合っているのでそのままやっていきたいなと思っています。
 〜アスリートとして体をずっと動かされていたわけですけど引退した今でも体を動かしていらっしゃるのですか?
急に運動をやめてしまうと不整脈が出てしまうんです。30年間以上脈拍数を200以上に上げていたので、それで普通の人の脈拍数に落としてしまうと心臓がびっくりしてしまうので徐々に徐々にトレーニング量を落としていかないといけないんです、なので今は週に1回か2回は運動するようにしています。
 〜スケートリンクからは離れているのですか?
スケートは現役が終わってから2回ほど滑りに行きました。
今までは結果を求められてスケートをやっていましたが、今は結果やノルマが全くない訳じゃないですか、なのでたまに滑りたいなという欲求がありまして、それで先日も妻が誕生日だったのですけども妻と一緒に神宮のスケート場に滑りに行ってスケートデートをしてきました(笑)


【清水宏保さんとスケートの出会いは?】
北海道帯広市の生まれで、地域柄ウィンタースポーツが盛んな地域だったんです。帯広は夏は+35℃、冬は−30℃まで冷え込む寒暖の差が激しい地域でして、冬場は学校の授業でもスケートをやるんです。
そういう地域に生まれたのが大きいのですが、何よりも僕自身が重度のぜんそく患者なんです、そのぜんそくをコントロールしようと言う事で始めたのがスピードスケートだったんです。
 〜それは何才の時にでしょうか?
3才の時にはスケート靴を履いて、やはり最初は滑れないので氷の上で寝そべって遊んでいたり、氷の上で平泳ぎをして遊んだりしていたみたいです。
 〜それは家族とスケートリンクに遊びに行ったのですか?
−30℃まで冷え込む地域なので近所の沼とかが天然の氷なんですね、なので始めてスケートをやったのは近所の沼だったんです。
 〜まさに北海道で生まれたからこそのエピソードですね!そしてぜんそくに立ち向かおうとスケートを始めていったんですね
小児ぜんそくからずっと今もぜんそくなんですけど、小児の時に少しでも運動してコントロールしていこうという親の発想だったんですね。
 〜スピードスケートが面白いと思い始めたのはいつごろか覚えていらっしゃいますか?
ちゃんと滑れるようになったのが、沼で上手い人の滑りを見て見よう見まねで滑ったら滑れちゃったんですね、その時普段の生活の中には無い感覚ですね、進んでいく感覚やスピード感というのが日常の世界ではありえない世界だったのでそれが楽しいなと思いましたね。


【清水宏保さんにとって最大の努力と言うと?】
オリンピックの前などはまだ誰もした事の無い事をしたいと思い色んな努力をしてきましたね、しかしそれより以前高校生の頃に「オリンピックに出場したい!」と強く思った時があって、その時から自分自身向き合ってみんなと同じトレーニング以外に家に帰った後とか夜寝る前だとか朝誰よりも早く起きてトレーニングをしたりだとか、量と言う事で現わせば高校生の頃が一番努力をしたのではないかと思います。
 〜周りも友達でありライバルが多い中人よりも多い練習を心掛けられたんですね
やはり人と同じ事をやっていたのでは絶対に成長できないですし、同じ練習メニューをやるにしてもどれだけ自分が気持ちを入れて考えながら自分でこなしていくかで同じ高校の3年間、同じ大学の4年間で結果として全然別のものになってくるのでやはりしっかり考えて取り組むようになりましたね。
 〜高校は名門の白樺高校、スケートをしようと思って進まれたのでしょうか?
そうですね、スケートをする事の為だけに白樺高校に進学して、そこから将来的には日本大学に行こうという気持ちで、すでに高校に入る時から大学まで自分の中で決めていました。
 〜そして高校生にして全日本スプリントで総合4位と言う結果を手にされました、この時はどのような目標を持たれていたのでしょうか?
年間ランキングと言うものが毎年出るのですけど、その頃20位ぐらいだったんですね。そこから「トップに躍り出るにはどうしたらいいか?」と色々考えた時に間の19人の事を全く考えていないでトップの選手の事だけを考えていたんです、そのトップの選手に勝つためにはどうしたらいいかと思って毎日トレーニングしていましたね。
 〜ちなみに当時のトップ選手は?
当時大学生だった黒岩敏幸さんです。
 〜黒岩さんにもこの番組にも以前ゲストに来ていただいたんですよ。
そうなんですね!その黒岩さんに追いつくために、勝つためにトレーニングをしていて。
なので黒岩さんがトレーニングしている姿をこっそり影から見まして、それをノートにどういうトレーニングをしていたかを書いてました。
黒岩さんがトレーニングをしているのを見れる間はずーっと影からばれないように、あまりじっくり見ると失礼に当たりますし練習の邪魔になりますので、邪魔にならない程度で覗かせていただいて練習をまねさせていただいた事もありました。
 〜その先にはオリンピックも見据えられていたんですか?
一番大きなきっかけとなったのは高校2年生の時に父親が亡くなったことです。
それまで父は僕を先導してくれていたんですけれども、その父がいなくなった事で自分自身がもっと努力していかなくてはいけないんだと言う事に気づかされましてそこから大きく意識レベルが飛躍しましたね。


【他に努力と言うとどんな事が思い浮かびますか?】
オリンピックに初めて出た時に、オリンピックに出る事しか自分の中で準備をしていなかったんです。それでそういった準備しかしていなかったのでオリンピックでは全く結果を残せなかったんです。
それはやはり自分自身で心の準備も体の準備も出来ていなかったからそういう事になったという事に気付きまして、そこからはメダルを取るための努力をしなくてはならないそういった気持ちの持って行き方をしなくてはならないと言う事で、1994年のリレハンメルオリンピックで5位だったのですけど、それ以降の4年間長野オリンピックまでは人がやらないような努力、試みであったり実験であったりを重ねた事、そこが第2の努力でしたね。
 〜20才から23才までの4年間、例えば人がやらない試みと言うとどんな事をされたのでしょうか?
どのスポーツでもそうなんですけどそれなりの歴史があがある中で、それがいい意味でも悪い意味でも固定観念を持ってしまう常識と言うものがありますよね、その常識を覆そうと言う事でトレーニング方法と言うモノや考え方を変えていきレースまでのアプローチの仕方をいろんな方法でトライしていきましたね。
まず、リレハンメルオリンピックに500メートルと1000メートルで出場したのですけど、500メートルでダメだとわかった時に1000メートルのレースが残っていましたが本来ならばオリンピックと言う大事なレースで慎重にいかなければならない訳じゃないですか、しかしそこをあえて慎重にいかずあえていつもやっていない事を4年後に向けて計画性のある失敗を試みた、実験をさせていただいたんです。
練習ではなくレースの本番でトライする事によって、極度の緊張感の中での中でも再現できると思ったので。それ以降は練習でトライするのではなく、レースで普段やらない事をやってみたりだとかしましたね。
オリンピンクの舞台であればある程大事な舞台あればある程失敗を恐れるのでそこは大事に行きたいと思いますからね。
それ以外にもその都度色んな事をやっていて「大丈夫清水君、普段やってない事やって」と言われる事もあったんですけど、本当に、細かすぎて例えばウォーミングアップをあえてやらなかった場合レースに出たら人間はどうなのだろう?みたいな感じでレースに臨んでみたり4年後に臨むために色んな事をしましたね。


【清水宏保さんの現役時代のプライベートの過ごし方は?】
まとめてとれるオフと言うのが年間の中で2週間ぐらいなんですよ、後は週1で休みがって多い時で連休がたまにあるんですけど、そういった時はウェイクボードであったりサーフィンのロングボードなどをやったりしていました。
 〜スケート選手の清水さんがオフの時には海にいかれていたんですね。
そうですね、でも自分の中では氷が水になっただけでそういった意味では滑る感覚と言うのは一緒なんですよね。なのでバランス感覚も似ていますしトレーニングの一種として捉えてやっていたので、リフレッシュにもなるけどトレーニングにもなる、筋肉に他の刺激が入れると言った感じでしたね。
 〜マリンスポーツからスケートに役立たれた事は何かありますか?
やはりバランス感覚ですね、微妙なバランス感覚。
スピードスケートと言うのは縦の筋肉も横の筋肉を使うんですね、例えば自転車やマラソンだと縦の動きしかないですよね。スピードスケートと言うのは縦だけではなく横の筋肉も使うんです、そういった意味で横の動きと言うのはサーフィンであったりウェイクボードと言うのは横のバランス感覚なんです、そういう事でバランスをフィードバックしていたというのはあります。
 〜まとまったオフと言うのは夏にあるモノなんですか?
春先ですね3月とかなのでサーフィンはできないので、大体普段できない事をしています。
例えば遠征遠征でなかなか家にいる事が出来ないので家の片付けですとか、買い物に行ったりとかしていましたね。
現役時代は日常が非日常と言った感じなので日常的な事ですね、年間の3分の1は海外にいて国内にいても色んなところを転々としてホテル暮らしだったので。
 〜3月に引退されてからは、全く違う生活になられたという感じでしょうか?
そうですね、この普通の生活が物凄く新鮮ですけど、そのうち逆にどこか行きたくなるのかな?とも思いますけどね。

政井マヤ
パーソナリティ:
政井マヤ
メキシコ生まれの元フジテレビアナウンサー。フジテレビ時代には、スーパーニュース、ワッツ!?ニッポンなど情報番組を主に担当。2007年3月に俳優の前川泰之さんと 結婚、女児を出産。2008年からスポーツリアルトークのパーソナリティを務めている。
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