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元日本代表ストライカー福田正博が浦和レッズからの移籍を考えた時に引き止めた人物とは?

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今回のゲストは
ミスターレッズとしてファンから絶大な人気を誇った、
元日本代表ストライカー福田正博さんです!




今回は、 福田さんの『相棒』「こだわりの用具」に迫りたいと思います!
福田さんにとっての相棒は・・・?

−1つのメーカーも添い遂げる選手多い中、福田さんはだいぶ浮気。
ぼくは最初ずっとプーマだったんですけど、
大学時代のときから!
社会人になってからもプーマでしたけど、
その後アディダスを履き、
そしてミズノさんを履かして頂き、
そしてまた今はずっとプーマなんですけど。
ちょっと色々経緯がありまして、時代の流れがそこにはあるんです!

−プーマからアディダスへ行った方は、
 世界広しと言えどなかなかいない?
まぁちょっとねダスラー兄弟の問題がありますからね!
プーマとアディダスは!
当時ですね日本代表のメーカーやっていたのが、
アディダスだったんですよ!
そこで仲良くさせてもらっていって、
そこで話をさせてもらったってだけなんですよ!
ぼくあんま考えてないんですよ!特別いろんなこと!

−福田さんが代表やっていた頃は、
 1年ごとにメーカー持ち回りだったんですよね??
そうですそうです!
全部靴も変えなきゃいけないような時代だったので、
そういう中でアディダスになったので、
アディダスの人と仲良かったので、
ちょっとそういう事なんだけどって話をしたら、
アディダスになっただけで、そんな深い意味はないんですけど!

−そのあとまた2年間で浮気?
色々あって、怪我もあって、
足にちょっと合ってなかったというのも若干あって、
じゃあもっと俺の足に合うのは何かなと思って、
ミズノさんにちょっと話をしたら、
ミズノさんが色々やってくれて、
ミズノさんで1年か2年やったんですけど、
やっぱりそれもちょっとしっくりこなかったので・・・。
結局プーマに戻った!
プーマがやっぱり一番自分に合うな、落ち着くなという感じでしたよ!



そんな福田さんに、金子がより突っ込んで聞いていくコーナー!
『金子の深堀り!』

-現役時代レッズ一筋!
途中浮気しようと思ったことは?

ありますよ!94年終わった時点ですね!
やっぱり相当、ぼくの中に焦りがあって、
僕自身もうまくいかないと!
代表からも外れてたんですよ!
その中で、地元神奈川じゃないですか?
マリノスに行きたいという思いがあって!
本当に焦っていたんですよ!
どんどん他の選手達が代表で活躍してくような時代で、
自分だけ取り残されてるような感じがして!
チームもなかなか思うようになってない!
このままいてもちょっと厳しいなと思って、
マリノスに行きたいなと本当に思ってました!
ただその当時、移籍するの簡単じゃなかったじゃないですか?
現実的ではなかったけれど、チームが嫌だとかではなく、
自分がここにいたらダメになってしまうんじゃないか
という恐怖感があって、
チームとしてもっと整っているチームに行きたいなと。
当時浦和が混乱していたので…。


-当時でいうとガンバ、グランパス、レッズに行っちゃったら
 代表の芽はないという感じだった。?

そうですね!
そのくらいチームは混乱していたと思うんですよ!
ちょっと遅れを取っていたので!
やっぱりマリノスとかそういう部分では、
先を行っていたので、神奈川出身だし、
マリノスに行きたいなというのは思っていて、
マリノスのことはちょっと考えていたんですよ!
ただ実は95年になりました、
契約というのは1月末できれますよね?
ぼく1月末まで契約してないんですよ!
2月の頭に契約したんですよ!
ずっとどうしようか、
浦和とはちょっと契約できないと言って、
ずっとズルズルいってたんですよ!
キャンプには参加してたんですけどね!
94年の監督だった横山さんが、95年にGMになられたんですよ!
1月過ぎて、2月になった時に、今でも忘れないですけど、
当時キャンプをやっていたのが、
鹿児島の指宿だったんですけど、そこで呼ばれて、
「お前このまま何も浦和で成し遂げてなくて、
出て行っても次で何かできる保証はないぞ。
浦和もお前が言うように混乱している。
だけど外国人の監督を初めて招聘した。
もう1年頑張ってみろ」と言われたんです。
外国人の監督の中で頑張ってみろと!
その一言で、横山さんに言われたから俺は残ったの!
そこでじゃあやらしてもらいますと言って、契約を結んだんです!


そんな福田さんが今でも忘れられない言葉、大きなチカラになった言葉とは?
『何も恐れずに戦ってこい。』

これはハンス・オフトから貰った言葉なんですけど、
どういう時にどういうシチュエーションで言われたかというと、
92年のダイナシティカップ。決勝が韓国。
大雨が降って試合時間が遅れました。
ウォーミングアップ終わって、控え室で選手が待っていました。
それでミーティング会場で、ホワイトボードがあって、
韓国のスターティングメンバーが貼ってあった。
それをオフトが、選手全員集めて、
おもむろにそのメンバー表を取って、
クシャクシャに丸めて、地面に叩きつけて、
『何も恐れずに戦ってこい』と言ったの!
その一言で、物凄く勇気を与えてくれた。
韓国というコンプレックスから解放してくれた瞬間だった。
やれるんだと思った瞬間。


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