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陸上を始めたばかりでネガティブ思考だった吉川選手を変えた言葉

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今回のゲストは、2020年の東京パラリンピックで活躍が期待される
パラ陸上界のニューヒロイン 吉川琴美 選手です!



【プロフィール】
吉川琴美選手は、1999年生まれ。東京都出身。
今年の春、高校を卒業されて、6月2日に19歳になったばかりです。
4歳の時に脳出血のため、右半身がまひ。
現在も右手、右足首などに障害が残っています。
中学3年の時に、障がい者陸上大会に出場したことがきっかけで、本格的に競技を始め、恩師・塩家吹雪(しおや・ふぶき)コーチと出逢います。
塩家コーチの指導のもと、才能が開花。
競技を始めてからわずか半年で、半身まひクラスの女子100m、200m、400m、4✕100mリレーの4部門で、日本記録を樹立する快挙を成し遂げました。
去年8月、スイスで開催された「世界パラ陸上競技・ジュニア選手権」に出場。
女子200mで、自身の持つ日本記録を更新して、みごと銅メダルを獲得されました。
さらに12月にドバイで開催されたアジアユースパラゲームズでは、200mで金メダルを獲得、
2年後の東京パラリンピックでメダルが期待されています!

そんな吉川さんに、金子がより突っ込んで聞いていくコーナー!
『金子の深堀り!』

−今、どれぐらい障害が残っているんですか?
右手はグーパーが出来なくて、つまんだり細かいという作業はできないんですが、肘の曲げ伸ばしはできるので、荷物を持ったり、引っかけたりということはできます。
小さいときは周りと比べちゃうところがあって、自分は右手がなんで動かないのかなって思って生活をしていたんですが、今はそういう考えは思っていなくて、この右手が動いていたら陸上にも出会っていなかったなって思います。

−陸上を続けられた理由は?

100mを走り切ったあとに「自分で走って、自分で風を切っている」っていう感覚が気持ちよくて
また走りたいなっていう思いがでてきて、そこからまた、陸上をやりたいなって思いました。

−塩家コーチと出会って得たものとは?

「パラリンピックという大きな夢」を与えてくれました。
出会って半年ぐらいで、「パラリンピックに行くぞ!」って言ってくれて「お願いします!」って感じでした。

−東京パラリンピックに向けてどういう心境ですか?
(プレッシャーと楽しみが)半分半分な感じです。
今はただ走るだけじゃなくて記録も考えなきゃいけないので、ただ「走って気持ちよかった」だけじゃなくなってきました。
でも、どうやったら記録がでるかを考えながら練習したり、取り組み方などを考えるのはすごく楽しいです。


そんな吉川さんが今でも忘れられない言葉、大きなチカラになった言葉とは?
『がむしゃらに走れ』

この言葉は吉川さん陸上を始めたばかりのころの塩家コーチのコトバ。
私は陸上をやる前はスポーツは何もしていなくて、陸上の「り」の字も知らない状態で
「スタートをうまく切れなかったらどうしよう」「腕をちゃんと振れなかったらどうしよう」とネガティブなことばかり考えていました。
その時に塩家コーチが「がむしゃらに走れ」と言ってくれて、ネガティブな考えをなくしてくれて、そこから思い切り走れるようになって(良い)タイムが出るようになりました。

次回の放送は、20日(水)21時00分からの放送です!
お楽しみに!


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