今日のゲストは
ロサンゼルスオリンピックで
金、銀、銅の3つのメダルを獲得した
体操元・日本代表の森末慎二さんです!
今回は、森末さんの『相棒』=「こだわりの用具」に迫りたいと思います!
森末さんの相棒は『プロテクター』
鉄棒やつり輪などを見ている視聴者の中には、素手で演技をしていると思っている人もいるそうだが、それだけでは「吹っ飛びますよ」。
大車輪などをする際には4G〜5Gの引力がかかってくるそうだ。
それを支えるのがこの手に装着するプロテクター。
「これが体操選手の命ですね。これが無かったら演技できないですから。」と語る森末さん。
しかもこのプロテクターはなんと、森末さんの手作り!
材料を購入して、自分の手でイチから作ったそうだ。
ところが、ロサンゼルス五輪の後、「森末モデル」のプロテクターが登場!
これに森末さんは憤慨!
「僕の許可なく勝手に作ったんですよ。儲けゼロです(笑)」
「アマチュアだったからなぁ。しょうがないですね。」と苦笑いする森末さんだった。
そんな森末さんに金子がより深掘りして聴いていくコーナー
『金子の深堀り!』
【ロサンゼルス五輪では風邪薬を飲めなかった】
−ロサンゼルス五輪の時は風邪を引いていた
「ドーピングがあるから薬は飲めなかったですね。あと、コーヒー紅茶は興奮剤(カフェイン)が入っているので飲めないですよね。熱を下げなきゃいけないので、サウナに行って一時的に熱を下げたり、日本から持って行ったレトルトのご飯をおかゆにして食べていました。」
【オリンピックは自腹】
−滞在は選手村だったのか
「もちろん選手村ですよ。僕らの時は、選手村といいながら、大学の寮を使っていました。
お金がある協会はホテルでしょうけど。プロ野球選手とかね?
飛行機もエコノミーに座っていましたよ。金メダル獲ったあともエコノミーでしたよ?
柔道の山下(泰裕)なんかもあの体でエコノミーでちょこんと座ってましたよ(笑)」
−国民栄誉賞を受賞した山下さんもエコノミーだったんですね。
「そういう時代でしたね。ましてやお金を払っていましたから。
あの頃は15万ぐらいだったかな?でも、当時の体操はメダルの可能性があったので
半額にしてもらいましたよ(笑)」
【「笑っていいとも」に出たくて体操協会を辞める】
「僕らの時代はアマチュアだったのでお金をもらってはいけないんです。
だからニュースに出演するのはいいけど、バラエティの笑っていいともはダメだった。
でも、僕はどうしても笑っていいともに出たかったんです(笑)」
そこで体操協会にどうしたら「笑っていいとも」に出られるかと相談したところ
「協会を辞めるしかないですよ。」「じゃあ辞めます!」
そこで体操協会を辞めて、「笑っていいとも」に出演。
その後、行くあてが無かった森末さんはそのまま芸能界に残り、現在に至るようだ。
そんな森末さんが今でも忘れられない言葉、大きなチカラになった言葉とは?
『今を考えろ』
体操競技をしている中で調子が良い時は、先の事ばかりを考えてしまうそうだ。
例えばある種目で自分が不安な部分の演技を終えると、もう終わったと思ってしまい、
ミスをしてしまう事がよくあるようだ。
そこで森末さんは今の若い選手たちを指導する際に「成功したと思うな。今を考えろ!」
そう指導しているそうだ。
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