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度重なるケガで引退を考えた森末慎二が引退を踏みとどまった恩師の言葉

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今日のゲストは
ロサンゼルスオリンピックで
金、銀、銅の3つのメダルを獲得した
体操元・日本代表の森末慎二さんです!


1957年、岡山県岡山市出身。
1984年のロサンゼルスオリンピック「種目別・鉄棒決勝」で10点満点を出し金メダルを獲得。
跳馬では銀メダル、体操団体で銅メダルを獲得し、一つの大会で3つのメダルを獲得。
平行棒ではオリジナル技モリスエを生み出し、現在でも多くの選手に使われています。
現在ではタレント活動の傍ら、日本体操競技で理事を務め、学生の指導なども行なっています。


そんな森末さんに、金子がより突っ込んで聞いていくコーナー
『金子の深堀り!』

−オリンピックの大舞台、緊張などは無かったのか?
「僕、かなり緊張しぃなんです!オリンピック前は五百円ぐらいの円形脱毛症ができるぐらい!だからオリンピックの映像見ると、僕はアフロヘアーなんです!なるべく見えないようにみんながウォーミングアップしている時とかでも僕は、ずっとハゲを隠していました(笑)」

−そんな中、プレッシャーをどのようにはねのけたのか?
「練習を試合のようにやっていこうと思ったんです。練習中も本来は怪我をしないように、補助マットを敷くんですけど、補助マットを抜いてやっていました。だから練習で手が震えるんです。そうやって練習した事で、試合の時に”やってきたじゃん”って。自分にプレッシャーをかけるんです。」
「だからよくプレッシャーをどのようにはねのけたのか?って聞かれるんですけど、そんなものはないです。あるとすれば準備しかない。

−森末さんは競技人生でオリンピック出場は一度だけで引退されました。
「僕は一回出れば十分でしたから。オリンピックに出た時点で、僕の夢は完結しちゃったんです。本当に失礼かもしれませんが、そのおまけで金、銀、銅のメダルが付いてきたという感じ。だから本当は金メダル獲った次の日にはやめたかったですね」

−その時点で辞めなかった理由はなんだったのか。
「ただ働き口が決まってなかったし(笑)当時お世話になっている会社に行って、1年間仕事を探しますんで、いさせてくださいって言いに行きました。その後、一年ぐらいで芸能界の方に入ったんですけどね。」


そんな森末さんが今でも忘れられない言葉、大きなチカラになった言葉とは?
『良かったな、これで同じになって』
大学3年生の時に、左のアキレス腱を断裂する怪我をしてしまった森末さん。
懸命にリハビリに取り組み一年後に復帰するも、今度は右のアキレス腱を断裂する怪我をしてしまったという。
あまりの辛さに森末さんは、病院のベットで体操競技から「引退」する事を考えていた。
そのとき病室を訪れた日体大の監督、阿部和雄さん。
病室で心身共に傷ついた森末さんにこんな言葉をかけたそうだ
「良かったな、これで両方同じになったな」

左足は一年後に元どおりになった、そして今、怪我をしている右足も一年後には元に戻る・・・。
そう前向きに考える事ができた森末さんは復帰へ向けてトレーニングを開始したそうだ。

「これが無かったら僕は体操を辞めてましたね」そう語る森末さんだった。


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