今日のフライデースクープは、ニッポン放送60周年 特別企画で、
テリーさんが演出したバラエティ番組「天才たけしの元気が出るテレビ!!」
でもおなじみ、俳優の松方弘樹さんがゲストでした!
(なんかめちゃくちゃ高そうな時計です)
お送りしたテーマは
【松方弘樹が語る、ニッポン放送を彩った銀幕スターたち!】!!
映画の黄金時代を築いた銀幕スターたちにまつわる秘話、
その銀幕スターがかつてニッポン放送で出演した番組の"貴重音源"大公開、
そして、松方さん自身の武勇伝も伺いました!
■貴重音源①「美空ひばり」さん
1989年(平成元年)3月21日午前9から午後7時までの10時間特番
「ニッポン放送ホリデースペシャル・美空ひばり感動この1曲」をOA。
▼思い出は?
松方
「お嬢は僕と口を3年くらい聞いてくれなかった。
最初は、"オールスター映画祭"で年に1回会うくらい。
それが僕が3年目くらいになった頃、『あなた近衛さんとこの坊や?』と。
それからしばらくしてお嬢のお母さんから
『お嬢は東映をやめて舞台出るから、うちのお嬢の相手役やりなさい』と」
そのとき松方さんは、
『知名度から言って、ポスターの9割はお嬢のポスターになるなぁ...』
と断ると、『あんた強情なのね』と怒られた。
そんな"お嬢"の声を聞いた松方さんは
思わず目頭を熱くしていたのが印象的でした。
■貴重音源②「石原裕次郎」さん
1982年(昭和57年)4月10日放送
「ラジオ広場!やあ!裕次郎です」(※初回の放送)
▼出会いのきっかけは?
当時は五社協定といって各映画会社に所属し、他社の映画には出演できず、
交流が全くなかったのが、日活ホテルで飲んでいると、聞き覚えのある声が聞こえ、
振り返ると、姿かたちの良い人が立っていて、「おーい松方!」と。
そのまま成城の自宅に招待され、一緒に飲み、
結婚したばかりのまきこ夫人の膝で眠る裕次郎さんを見た。
■貴重音源③「山城新吾」さん
1987年(昭和62年)3月11日放送
「山城新伍の新伍一番勝負」
▼山城さんはどんな人だった?
非常におしゃれ。稼ぎは全部ファッションにつぎ込んでいたので、女性にもモテた。
。でも、俳優仲間で一番モテたのはぶんちゃん(菅原文太)。
でも。最終的には、お酒を飲まない新吾さん、里見さんがモテた。
(僕とぶんちゃんは酔っぱらうから)
▼他に、仲の良かった銀幕スターは?
鶴田浩二さんが、「オレに似てる松方はお前か?」とて来てくれて、
非常に可愛がってもらった。当時の映画は、鶴田浩二、高倉健の2本立てが人気だった。
辰兄は、映画を撮るときに「男6女6にしろ!数を揃えろ!」
と、むちゃくちゃなことをしていた。
▼里見さんは?
「仏の里見」と呼ばれるくらい優しい人で怒るのを見たことがない。
▼どんな遊びをしていたの?
当時はお茶屋さん(舞妓、芸者さん)遊びが多く、YKKだったから良かった。
(口が固いという意味)
若い頃から"出世払い"でいいと言ってくれるお店に通っていた。
■元気が出るテレビの話
▼なぜ、「元気が出るテレビ」のオファーを受けた?
あの当時、役者がバラエティに出演することは今のように見られることではなく、珍しかった。
実は、ビートたけしさんに興味があって、たけしさんと共演っていうのはしたかったし、
人がやってないことをやりたかったので当時の俳優さんでは他にいなかったから。
周りは120%反対だった。
▼当時のエピソード
テリーさんを「伊藤さん」と呼ぶ松方さん。曰く
顔合わせの時に、松方さんとたけしさんは既に来ているのにテリーさんは来なかった。
▼映画が黄金時代を築きその数年後。銀幕スターのギャラはいくらぐらいだった?
当時は映画というのは2本立て。
あの頃は多い時には一か月に16本の仕事があったことも。
若手俳優dめお、1本10万円(※当時の初任給は大卒で3万円の時代)
先輩は20億円くらい貰っていたはず。それが10年とか20年と続いた時代。
監督も10億円近く貰っていたと思う。
エキストラも5000人が詰めかけるなど、今考えるとあり得ない時代。
そんな松方さん、9月3日から幕をあける舞台「友情 コスモスのバラード」をはじめ、
映画「クラブアンダルシア」「イン・ザ・ヒーロー」「太秦ライムライト」などなど、
精力的に俳優業をこなしています。さすが、今もなお銀幕のトップ!!