誰かのために何かを考えるというということは実に幸せなことだと思います。 【山本博(アーチェリー・オリンピックメダリスト)インタビュー】

【ニッポンチャレンジドアスリート】
このコーナーは毎回一人の障がい者アスリート、チャレンジドアスリート、および障がい者アスリートを支える方にスポットをあて、スポーツに対する取り組み、苦労、喜びなどを語ります。

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山本博(やまもと・ひろし):1962年生まれ。横浜市出身。日本体育大学体育学部社会体育学科卒。
指導者として大宮開成高校時代にインターハイで全国制覇。
ロサンゼルスオリンピックでアーチェリー男子個人銅メダル、アテネでは銀メダルを獲得した。

―山本博、1962年横浜市出身の53歳。21歳の時、ロサンゼルスオリンピックアーチェリー男子個人で銅メダル、20年後、アテネオリンピックでは41歳で銀メダルを獲得し「中年の星」と呼ばれた。現在も現役選手として活躍する一方、2013年より母校・日本体育大学の教授に就任。2014年からは東京都体育協会の会長も務めるほか、車いすアーチェリーの選手に指導を行うなど、障がい者スポーツにも積極的に関わっている。山本が障がい者スポーツと関わるようになったのはある伝説のアーチェリー選手との出会いがきっかけだった。

山本 1984年、私が初めて出場したロサンゼルスオリンピック大会の時にニュージーランドからネロリ・フェアホールさんという女性の選手が出場しました。その時に世界中が車いすの選手がオリンピックに出場したということでとても話題になりました。フェアホールさんはそれ以前もアーチェリーで国際大会に出ていましたから、オリンピックに出る前に彼女とは何度か試合で会うことがあって、その時に車いすの人も我々と同じ試合に出れるんだなということを知って驚きました。

―大学卒業後、埼玉で高校の教師になった山本。埼玉県では当時から車いすアーチェリーの全国大会や健常の選手と車いすの選手の交流大会が行われており、山本も自然と車いすアーチェリーと関わっていた。

山本 私自身、埼玉県の教員になって、指導するアーチェリー部の生徒たちと全国の障がい者のアーチェリー大会などでボランティアでお手伝いを20年近く続けていたものですから埼玉に来て自己記録を更新してもらいたいという願いの中で少しでも快適に競技に臨めるようにいろいろなお手伝いをさせていただいてました。

―2004年、アテネオリンピックで20年ぶりのメダルを獲得し世間でも話題となった山本。しかも銅から銀へのステップアップだった。長年、試行錯誤して結果が出なくても山本はなぜあきらめず、挑戦を続けたのか。

山本 私と同じようなトライをしている選手が多くいるわけなのですが、 いつの日かあきらめてしまう。20年間、メダルから遠のいても諦めなかったのは可能性が自分の中で感じられたからです。可能性を感じないのに引退もせず、選手を継続していたらそれはもう往生際が悪いというように私自身思います。だけど、私の中で可能性を感じるわけです。だから僕の中では諦める気にならなかったのです。

―山本はリオパラリンピックに出場する車いすアーチェリー選手、平沢奈古と交流がある。平沢は2004年のアテネパラリンピックで女子個人銅メダルを獲得したが、今回、12年ぶりのリオパラリンピック出場を決めた。

山本 今回、リオパラリンピックに出場される平沢さんは登録が埼玉県なんです。私が埼玉県の高校の教師をしていた時代、埼玉県の大会に出ると平沢さんが出場されていました。

―平沢は健常者の全国大会にも出場しているがそのことがアーチェリーの特性であり、素晴らしいをところだという。

山本 平沢さんが全日本社会人に出場しても、全日本選手権に出場してもお互いに不満も疑問もありません。車いすに座っていても、車いすだから有利になることも、不利になることもないという発想がみんなあります。

―リオで12年ぶりのメダルを目指す平沢。山本は平沢にぜひ達成してほしいことがある。

山本 何点というスコアですね。リオの舞台で何点出せるのか、そのスコアにこだわっていただきたいと思います。、僕がロサンゼルスでメダルを獲って次のアテネに出場して銀を獲るまでの20年に近いような12年を過ごされているのではないかなと思うので、リオではメダルを意識するのではなく、記録にこだわってほしいと思います。記録にこだわって誰もが出せない記録を出せば負けることはないのですから。

―2020年、東京でオリンピック・パラリンピックが開催される。長年、オリンピックに関わって来たメダリストとして山本は4年後の大会をどうとらえているのだろうか。

山本 今回の大会決定で今まで多くの選手・役員がスポーツ界への資金的な支援、援助を訴えてきたわけですが、なかなか前に進まなかった。前に進まなかったことがオリンピックが決定したことから、びっくりするほどの勢いで進んでいます。また、パラリンピックについてもユニフォームとか公式ブレザーの違いなど、いろいろなことでオリンピックとパラリンピックに隔たりがありました。それが今世界的にもパラリンピックの認知度が上がって支援の輪が広がり、そこで東京が決まり、日本のオリンピック・パラリンピックを目指すアスリートの皆さんの環境は日本のスポーツ史の中において最も恵まれた状況になりました。

―また、山本は2014年から東京都体育協会の会長も務めている。開催都市の関係者として大会の成功を目指す立場でもあるが、一つ心配していることもあるそうだ。

山本 2020年東京オリンピック・パラリンピックまではいいけど、その後大丈夫なのか。開催後、今と同じような強化システム、強化資金がオリンピックにもパラリンピックにも提供される保証はありませんし、また、間違いなく今よりも予算はカットされるはずです。そういった状況の中で。省庁の対応もしっかりと2020年後のことも見据えて考えていってもらいたいという心配のほうが大きいです。

―山本からのメッセージ。

山本 今の日本の若者というのは多くのことで恵まれていて,満たそうという心がないから満たすための工夫だとか、満たすための努力をする方法ということがよくわからない。ぜひ、一生懸命工夫をしたり努力するということが将来その人にとって実に豊かな人生を生み出すきっかけになるということをわかった上で身近にいるお子さんたちとの向き合い方を考えていただきたいと思います。
また、障がいを持った皆さんと出会った時も、障がい者の皆さんが必要とするもの、満たされていないものは何かということを考えて行動をしていただきたい。人々に何が必要なのかということを考えながらみんなで日本をもっとよくしていくことをお伝えしたいと思っています。

(2016年7月25日~7月29日放送分より)

ニッポンチャレンジドアスリート
ニッポン放送 毎週月曜~金曜 13:42~放送中
(月曜~木曜は「土屋礼央 レオなるど」内、金曜は「金曜ブラボー。」内)
番組ホームページでは、今回のインタビューの模様を音声でお聴き頂けます。