1242 ニッポン放送
HOME > 栗村智あなたと朝イチバン > 栗村智 朝のひとりごと
みのりの日記
栗村 智
栗村 智
 
diary
12月11日
小沢昭一さん
またまた、世の無常を恨む訃報が・・・。
他局の長寿番組とはいうものの、
何とも味わい深く、軽妙な語り口が大好きだった、
「小沢昭一の小沢昭一的こころ」のパーソナリティー・小沢昭一さんが、
昨日、83歳でお亡くなりになりました。
麻布高校から早稲田に入り、世に「落語研究会」というサークルを
初めて作った方としてまず一番。
そして、俳優として「痴人の愛」「幕末太陽伝」「にあんちゃん」の名画に出演。
80年代に放浪芸・民衆芸能の研究に熱心で戦後の落語界に明るい人。
あらゆる点で私の青春時代、憧れに憧れた人なのです。
今となっては、数々の思い出を辿るのみ・・・。

平成17年(2005年)新宿末広亭・6月下席。
夜、連日満員札止め 寄席に出演した時の
小沢さんの味わい深い高座が一番の思い出ですねぇ・・・。
トリの小三治さんの呼びかけに応じての特別出演で、
毎夜、膝前(とりの二人前の出番)で「髄談」として、
昔の寄席の思い出、心に残った芸人さんの噂を
面白楽しく語っていらっしゃいました。
そして終いにハーモニカで、思い出の唄の演奏が、
何とも哀愁がこもっていて・・・。
「寄席は、私にとって心のふるさと」とおっしゃりながら、
務められた高座円熟の語りは、江戸前の粋な着物とともに、
強く瞼の裏に焼き付いているのですよ。
ご冥福をお祈りいたします。

あの時の高座速記が本になってます。
講談社「小沢昭一的 新宿末広亭十夜」(2006年7月発行)。
11月29日
人生の特等席
クリント・イーストウッドが、メジャーリーグのベテランスカウト役で
久しぶりにスクリーンに登場。
時間をみつけて、おっとり刀で、いつものシネコンにとびこみました。

人間の老いの現実に苦しみながら、
昔ながらのやりかたで、選手のスカウティングを続ける
アトランタ・ブレーブスのベテランスカウトのガス。
父親の視力の衰えに気づき、自らの仕事をなげうって
父の目の役割を務める一人娘・ミッキーの親子が、
有望選手の実際にその才能を見届けようと、
ノースカロライナの片田舎に出かける。
アマチュア野球の球場のスタンド風景、
アトランタブレーブスのホーム「ターナーフィールド」のロケーションが、
アメリカの片田舎の風景や、街道沿いのモーテルや、
街道沿いの安レストランの様子とともに
スクリーンいっぱいに広がります。

いかに野球が、アメリカ国民に浸透しているか・・・。
いかにベースボールが、ナショナルパスタイム(国民的娯楽)かを、
感じながら、野茂を追って吉井を、長谷川を、石井一久を、
大魔神・佐々木を、イチローを、そして松井稼頭央を追って、
アメリカ中駆けずり回った
90年代後半から2000年初頭までの記憶がよみがえって、
”哀愁をたたえた”イーストウッドのまなざしと相まって、
何度も何度も涙をぬぐっていました。
アトランタ・ブレーブスのスカウトの物語ですから、
何度も「ターナーフィールド」が、
スクリーンに広がるんだもの、懐かしいわけで・・・。
96年から04年まで、かつての「フルトンカウンティースタジアム」、
そして、96年「アトランタオリンピック」の競技場を改装して、
97年に完成した「ターナーフィールド」には、
何度となく足を踏み入れましたからねえ・・・。
懐かしいったら、ありゃあしない・・・。

一番の思い出は、2004年4月6日のメジャーリーグ開幕戦、
「アトランタブレーブス対ニューヨークメッツ」。
松井稼頭央選手、初打席初球ホームランを実況した球場なんです。
映画を観てても、あの時のセンターバックスクリーンに
吸い込まれていく飛球が脳裏に浮かんでくる。
それはそれは、衝撃的な経験でした。
長いメジャーリーグの歴史上、初めての出来事だったんですよ。

ジョージアの青い空と、ノースカロライナの草原の緑。
アメリカならではの風景も満喫できる素晴らしい映画です。
何だか、私の思い出を押し付けてしまったようで少々気が咎めますが、
まずは、ご覧あれ!
11月20日
そうだ!和装があるじゃないか!
最近、人に会うたびに、でっぷりと出たお腹を見て、
「おいおい、このお腹、なんとかならんのかい?
酒の飲みすぎ、ビールじゃないの?」と、
自分を棚に置いて、厳しく突っ込まれて、
辟易としてしまっているのですが・・・。
当方、お医者様から「減量は厳禁、このままの体重を維持しなさい」と、
きびしい制限を受けて生きてます。
いちいち、久しぶりにあった人に、
「腎臓の肥大で、でっぷりお腹で失礼いたします」とは、
いえませんからねえ。

一人で不愉快になっていたのですが・・・。
大好きな趣味の落語が助け舟になってくれました。
ヒントは普段、日陰の桃の木みたいに痩せてひょろっとしている、
噺家の柳家わさび君の楽屋での
悪戦奮闘の高座着着替え姿でした。
「なにしろ、あたしやせてますから・・・、
まず胴巻きをお腹に巻いて、さらにバスタオルを2枚はさんで・・・
それから、長じゅばんを・・・・」
まるで、安物の春巻きみたいで、羽織をきるまでに、
汗をビッショリかいてしまう始末。
「喬太郎師匠なんて、車のエアバッグのようなお腹してらっしゃるから・・
チョチョチョイのチョイで支度できるのがうらやましくて・・・」という、
わさび君のぼやきが、私の曇っていた視界を、
きれいに拭いとってくれました。

「そっか・・・俺も着物を着ればいいのだよ。」
でっぷりと飛び出したお腹・・・洋装ならベルトがうまく閉まらない・・・。
かといって、サスペンダーはいやだ!
きものなら、やせている噺家さんが苦労する角帯も、
綺麗にへそ下を通って、左右の腰骨に
しっかりと止まってくれるのですもん。
てなわけで、最近は公式の結婚披露宴の司会やパーティーは、
京お召の紋付羽織、立食なら紬の羽織に紬の縞の長着と、
少しずつモデルチェンジをはかっています。
女房が着物好きでよかった・・・。
着物に関しては、ぜいたくしても理解を示してくれて助かっています。

ただ、品物がピンきりで、着れば着るほど、
化繊より絹物が抜群に着心地が良いというのがわかるもんですから、
際限がなくなってしまいそうで、
それがちょっと問題ですけどねえ・・・。
お召を作ったのが2年前・・・。
それからまた始末して、お金ためて、
今回は紬のあられ模様の羽織に、
紬の縞の長着を仕立てました。
着物に合う襦袢につける半襟も、色が違うので変えなければ・・・と、
呉服屋さん(これが、婦人物中心で、なかなか男物が、
そろっているところがないのですが・・)をまわっていたら、
便利な半襦袢を見つけました。
普通は色とりどりの半襟を襦袢に、
いちいち縫いつけたりするのが面倒なんですが、
なんと半襟をジッパーで取り外しできる優れものを見つけました。
どこかの横着ものが発明したもののようですが、
すでに、たい平師匠も使っていらっしゃるそうで、
まだまだ、着物の知恵がついてきそうで、楽しみですねえ。

最近は、襲名披露中の11代目文治師匠・白酒・兼好師匠、
付録で一朝門下の二つ目朝也君(わが中大落研の後輩)は、
高座だけでなく普段から、着物姿で過ごしています。
師匠方から、さらに着物の知恵をいただこうと思っているのですよ。
たまに楽屋にお邪魔した時、師匠型のきものを触る癖がついて、
嫌がられてはいるのですが。・・・
11月 6日
浪速の「肉吸い」
おととい7年ぶりに、競馬の重賞レース
「アルゼンチン共和国杯」(GV)の実況を担当しました。
競馬は、体調を崩してからは、引退するつもりでしたから、
実況で使用する「KOWA’10×50」愛用の双眼鏡も、
後輩の洗川アナに預けたままになっていました。
まるまる6年間、競馬を見ても、声を出して実況はしないで、
自分の馬券確認のみですごしてましたから、
レース実況を再度やるということについては、
少し恐怖感がなかったわけではありません。

2か月ちょっと、競馬場で練習して臨みました。
目に映ったものを、瞬時に口に出す作業は、
年齢が嵩むごとに鈍くなってしまうので、
いやぁ、緊張しましたね。
まっ、なんとかかんとか、間違わずにやることができたので、
ホッとして、夕暮れの競馬場を後にしましたが、
1時間30分以上かかる帰りの電車の中、
緊張のあまり、ほとんど昼食をとっていないのを思い出したのです。

そうなんです。
毎週GTレースが東西で目白押しのこの時期、
80年代から90年末まで、毎週大阪・京都出張で、
忙しくレース中継を、やっているころ、
しゃべる前におなかに触らず、
あっさりした関西の肉うどんとお稲荷さん、
あるいはバッテラを食べて、
マイクの前に座っていたのを思い出しました。
東京にもあるにはあるんですが、味が違うのですよ。
関西のそれは、放送前の食事に最適でした。
「うまかったなあ〜関西のうどん!」

当時、大阪・毎日放送の競馬中継のキャスターだった、
初代・森乃福郎師匠が食べてはるのをみて、
マネして食ったのがきっかけ。
「師匠おいしいもんですねえ〜」のお愛想のつもりの声掛けに、
おっ、師匠はん
「こんなんより、千日前のうどん屋行ったら、肉吸いちゅうてね、
肉うどんのうどんをぬいた、お肉のいっぱいうかんでるおつゆに、
半熟卵落としてあるやつに、ご飯がセットになってる。
そりゃあ、舞台に上がる前にぴったりの食い物がありまっせ!
そっちのほうが、これよりよっぽどうまいよ。一度試してみなはれ」
そのお勧めに、翌週試してみた、
千とせの「肉吸い」、美味かったですね。
なんでも、スグそばにある、なんばグランド花月に、
お店から出前を取っていた、
当時吉本のスーパースター・花紀京さんが、
お店に無理を言ってから、定番のメニューになったんだとか・・・。

もちろん競馬場では「肉吸い」は作ってもらえませんが、
当時、ず〜っと、関西に行ったら、放送席に、
肉うどんの卵とじにバッテラをちょこんと添えてあるものを、
食していたのが、無性に懐かしく腹ペコの脳裏に
浮かんできた次第であります。
毎回食べていたのは、肉うどん卵とじとバッテラですが、
2〜3回しか行っていない、千とせの「肉吸い」の味が、
よみがえってくるほど、強烈に腹の虫が、
憶えこんでしまったのだと思います。

どうも、広島生まれの私の味覚は、いくら江戸っ子を気取っても、
大阪の「肉吸い」にとどめを指すようで・・・。
ところが、これだけ時代が進んだ今でも、東京のドコを探しても、
あの味には、未だにありつけていないのですよ。
そんなお店、一軒くらいあってもいいのですがねえ。
7年ぶりの競馬中継が、寝た子を起こしてしまいましたなあ・・・。
浪速の「肉吸い」・・・そりゃーおいしおまっせ!
野球も終わったことやし、今度、千日前の「肉吸い」食って、
ついでに、天満の繁昌亭に行って来まひょかな。
そや!日帰りもできるがな・・・。
てなわけで、今週も、しょうもないことを考えている、
阿呆なわたいを、わろうてください。
10月25日
北海道失恋ひとり旅
東映創立60周年記念作品「北のカナリアたち」の
試写会に行ってきました。
舞台は、最果ての島・利尻、礼文。
四季折々の風景が、美しく眼前に広がってきますよ!
最果ての島の小学校の分校で、20年前に起きた事故を機会に
当時の先生(吉永小百合)と6人の子供たちが引き裂かれ、
20年後、先生と子供たちが劇的な再会を果たす・・・。
まっ、内容は観ていただくとして、
何よりも6人の子供たちの歌声の美しいこと・・・。
試写会の会場で、すすり泣きが至る所で聞こえてくる、
感動の大作に仕上がっています。

実は私、この映画の舞台、利尻・礼文には、
にが〜〜い、しょっぱーい思い出がありましてねぇ・・・。
あれは、広島カープが初優勝した年・昭和50年。
北海道生まれの女子大生に恋をしてしまいました。
(まっ、笑わないで読んでください)
夏休み前、デパートのアルバイト店員をしているときに知り合った、
髪の長い、つぶらな瞳の女の子。
アルバイトして、大学三年、思いっきり青春を謳歌しようと、
すでに、北海道に出かける予定を立てていたんですが、
恋い焦がれた彼女の故郷が道央と聞いて、
「バイト終わったら、君の故郷へ旅行に出かけるつもりなんだ。
その時、逢ってくれる???」
恥ずかしそうにうつむいてばかりだった、
彼女のしぐさに勝手にOKサインと勘違いした、
私がバカでした。
当時の私はまえがきをする競走馬同様、
えらい鼻息だったことでしょう。

上野から、臨時夜行列車、急行「八甲田52号」に乗って青森へ。
青函連絡船に乗って、大学の先輩の実家・函館に泊めていただき、
急行「大雪」に乗って、札幌から北見に!!!
恋い焦がれた彼女に連絡したら、
「すいません・・ちょうど今日から、
お友達と旅行に出かけるんです。」との冷たい言葉が、
公衆電話の受話器から・・・。
悲しい失恋でした。
「今日あたり、北海道に来て、連絡がくるだろう、
その頃すでに、友達と旅行に出かける約束をしているなんて???」
辛かったっす・・・。

いきなり傷心旅行に代わってしまい、
やけのヤンパチ、旭川に取って返し、
急行「天北」(37年前はディーゼル急行でした。)で稚内。
そして、どうせなら最北の地を目指し、着いた所が、
利尻富士を真正面に仰ぐ、礼文島・香深の港でした。
船着き場で、客引きのアルバイト学生に誘われて、
民宿「おふくろ」に疲れた体を落ち着かせ、
人生初の深手を負ったわが身を、癒すことにしたんです。
民宿のお母さんから、小っちゃいから、昆布トリには向かないけど、
昼間、港で客引きをやってくれれば、
宿泊代もいらないなんて言われて、大張り切り!
礼文島の西海岸を、8時間かけて走破するハイキングコースを、
先頭切って歩いたり、
夕食後、民宿の広間でテーブルを折りたたんで重ねて、
高座を作って、落語会を開催したり、
忙しく過ごしているうちに、すっかり回復。
結局、礼文・利尻にいたのは2週間でしたが、
夏場なのに、鮮やかな風景を見せてくれるかと思えば、
2メートル先は真っ白で、まったく見えない濃霧の日があったり。
すっかり、里心がついて、落語研究会の夏合宿のある、
8月下旬には東京に戻り、都会の雑踏の中で、
寄席通いを復活させてましたがねぇ・・・。

礼文島のお花畑を、吉永小百合さんと6人の子供たちが、
歌を歌いながら遠足しているシーンを観てるうちに、
つらい、切ない人生初の失恋の思い出が蘇り、
図らずも59歳のオヤジの頬を涙が濡らしてました。
東映創立60周年記念作品「北のカナリアたち」は、
11月3日土曜日ロードショウ公開です。
 
Copyright(c) Nippon Broadcasting System,Inc.All Right Reserved