1242 ニッポン放送
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みのりの日記
栗村 智
栗村 智
 
diary
1月16日
USエアウェイに学ぶ危機管理
このところ、凄惨な事件や不景気なニュースが相次ぐなかで、
金曜早朝のアメリカ・ニューヨークで
「USエアウェイズの小型旅客機がハドソン川に墜落」の一報には、
ドキリとしましたねぇ。
幸いにも機長の迅速な判断で、乗客乗員全員救出の報が50分後に入り、
ホッとしましたが、原因が大きな鳥か、鳥の群れが、
エンジンに飛び込んだためらしいとか…。
羽田沖でも、空港の近くには、広大な水辺があることが多く、
どこでも起こりうることなので、再びヒヤッと!

1995年から2002年にかけて、
大リーグ取材でアメリカを飛び回っていた頃、
この「USエアウェイ」にはお世話になったものです。
フィラデルフィアとかピッツバーグに行き来する時よく乗りましたし、
空港カウンター、機内乗務員の人たちがスマイル!
ニコニコと機嫌よく接してくれた、
アメリカでは数えるほどの、感じのいい航空会社。
複数路線の時は、USエアーをピックアップしていたほどなんですよ。
その歴史を紐解けば、2002年、あの「9.11」の翌年、
経営不振に陥って、確か合併によって立て直された、
アメリカ国内、中都市を主につなぐ小型旅客機中心の航空会社ですが、
ハドソン川に不時着重傷者は一人も出ませんでした。
まさに「ハドソン川の奇跡」!

私の少々偏見に満ちた意見ですが、
(何しろ他の航空会社では、何度もトラブルに巻き込まれた経験が…)
あの「USエアウェイ」なら、
乗務員も適切に、機内をパニックにしないような誘導があっただろうし、
パイロットのチェスレイ・B・サレンバーガーさんは、
1970年代に、空軍の戦闘機のパイロットだったそうで、
危険回避の術も持っていたのでしょう。
でも、普段から、乗客を大切にする接し方をしているから、
そういう幸運にも恵まれたのではないでしょうか。
一人で納得している栗村でした。
1月10日
降らない雪
年改まって2009年も、もう十日が過ぎようとしてます。
時の流れとともに物事が、年年歳歳変わりつつありますねぇ。
乾燥してカラカラの東京地方に、
9日、久々のおしめり(去年23日以来の降水をマーク)、
しかも寒気団接近で雪の予報が…。
かなり警戒しましたが、結局、早朝に風花程度がちらついただけでした。

江戸の昔から結構、この時期は雪が積もって、
落語にも、雪景色の江戸を舞台にした
「夢金」「雪てん」「不動坊」などがありますが、
本当に地球温暖化の影響なんでしょうか…。
降りませんねぇ「雪」。
忠臣蔵も、今の東京では間抜けですよね。
やっぱり「雪の棟木に降り積もる、
雪の明かりが味方の松明…」とこなくっちゃ。

今に、東京でバナナやパイナップルが取れたりするのでは…。
今週の「栗村智 あなたと朝イチバン」の日本列島凄い人名鑑は、
関東地方でサトウキビ栽培に成功した人が登場します。
お楽しみに!
12月26日
2008年を振り返って
いやぁ、今年も残すところ、あと5日。
皆さんにとって、2008年はどんな年でしたか?

私にとって、いや我が家にとっては、辛く悲しい年でした。
6月の「秋葉原連続通り魔事件」。
倅のかけがえのない友達が亡くなりました。
音楽センスの傑出した、かわいらしい明るい女性でした。
我が家に何度も遊びに来てくれた時の、
かわいらしい笑顔が脳裏に焼きついています。
本当に理不尽で、不条理な出来事でした。
息子のショックは、いまだに尾を引いているようですが、
時間が薬とはいえないことで…。
だいぶ先日の、彼女を偲ぶ追悼コンサートを機に、
明るくふるまっています。
「Happy!ニッポン」でも今年詳しくお伝えした、
「犯罪被害者の保護」については、深く深く考えさせられました。
犯罪者の人権保護は、現状の私たちにとっては、
理解し難いものです。

でも、楽しい経験も!
11月の日比谷公園小音楽堂。
「ラジオパーク」でやった素人落語。
沢山のお客様の前で、まあ、よくも「棒だら」のような、
難しい噺をやったもんだなぁと、今でも顔が赤くなってしまいます。
円太郎師匠をお手本に、1年かかって、ぶつぶつしゃべって、
練習しているとき。
それに、本番の高座で「あれェ、うっうけない…」と思いつつも、
楽しかったですねぇ〜。
今度はもっと易しいと言われている笑いの多い噺を、
練習しようと思っています。
(え〜!!また来年もやるつもりか???)

今年一年、「栗村智 あなたと朝イチバン」をお聞き下さって、
ありがとうございます。
来年も、明るくゆったりお送りしていきますので、
宜しくお願いいたします。
2009年が、皆様にとってよい年でありますように…。
12月19日
嗚呼、ついに・・・。
「東京発ブルトレ3月でお別れ」の記事が、
今朝の朝日新聞に出てしまいました。
東京と九州を結ぶ唯一残っていた寝台特急「富士・はやぶさ」が、
来年3月14日のダイヤ改正でなくなってしまうのです。
松本清張の「点と線」の舞台にもなった、
東京駅発着の寝台特急が、姿を消してしまいます。
2005年春の「あさかぜ」廃止も結構ショックでしたが、
もう東京駅に滑り込む、朝日に輝くブルートレインを見ることが、
出来なくなるんですね。

少年時代そのものだったブルートレイン…。
大学受験前、故郷の広島から東京へは、
急行「安芸」、急行「宮島」だったのですが、
高校3年、最初の受験上京時、父が「がんばれ!」と
応援の意味で取ってくれた「あさかぜ」の寝台券。
受験校全てに惨敗を喫し、がっくりと肩を落として乗った、
広島までの「はやぶさ」号の通路で飲んだ
紙コップのコーヒーの苦味が、今でも忘れられません。

その後、何度も利用したブルートレイン。
懐かしい思い出の一つに、中学時代、ブルートレインを見つめていて、
学校に遅刻したことがあります。
ある日、東海道線米原あたりの豪雪で、
長距離列車が、軒並み遅れていました。
毎朝、広島駅7時9分発の鈍行を利用して通学していた私は、
遅れて5分から10分間隔で、広島駅のプラットホームに
滑りこんでくる長距離寝台列車に見とれているうち、
いつもの列車が発車してしまったのです。
そのまま「さくら」「富士」「はやぶさ」
「あさかぜ1号」「あさかぜ2号」と大雪で遅れ、
立て続けで到着するブルートレインに9時過ぎまで見とれていたのです。

もちろん学校では大騒ぎ!
「栗村は何をしょーるんじゃろうか???」
その頃、携帯電話があるはずもなく、
「すいませ〜ん、急に駅でお腹が痛くなって、
トイレでしゃがんでました。」と担任に訴え、
飲みたくもない腹痛の薬を医務室で飲まされて、
事なきを得た懐かしい思い出が、
ブルートレインにはあるのですよ。

いやぁ、寂しい…。
12月13日
思い出の紅白
今週の「栗村智あなたと朝イチバン」は、
「紅白アナウンサー宮本隆治初出場!年末先取り!ラジオ紅白歌合戦」と、
題してお送りしますが、あなたにとって「思い出の紅白歌合戦」って
いつの、誰の唄ですか?

私は忘れようとしても忘れられない唄があるのです。
それは、橋 幸夫さんの「霧氷」という唄なんです。
わたしが、中学1年生の大晦日、そう忘れもしない
1966年、昭和41年の紅白歌合戦のときのことです。
確か、宮田輝さんの司会だったと思います。
広島の生家でテレビ中継が始まって、
一時間くらいたって白組・橋 幸夫さんが、
その年の日本レコード大賞受賞曲を「むひょーおー、むひょーおー」と
唄い始めたそのときです、キッキーーーーードッシーーン、
ガラガラガッチャーーン・・・・・
キャンキャンキャンキャーーーン、 キューーーン
ものすごい音とともに、愛犬ぺぺの助けを求める悲鳴…。
あわてて玄関に飛び出すと、ナッなんと!
タクシーが、うちの玄関に突っ込んでいたのです。
昔、薬局をやっていた生家は、広島駅の近くのバス通り。
かなり、交通量の多い道路に接して、
ブロック塀に守られて建っていたのですが、
大晦日、急ぎの迎車で、あわててスピードを出しすぎて、
急カーブを、曲がりきれず、ブロック塀をぶち破って、
玄関に突っ込んでしまったのでした。

ブロック塀と、玄関の間の狭い庭に、
番犬のぺぺがいたのですが、
幸運にも、犬小屋で寝ていて、
小屋の屋根を持っていかれただけでした。
家族にも怪我はなく、運転手さんが血まみれでしたが、
大きな怪我を免れやれやれですが、その後が大変!
修理が終わるまでの数日、風通しがよくて寒いのなんの!
比較的暖かい、広島の正月を震えながら迎えたのを思い出します。
いまだに「霧氷」の曲を聞くと、
あの寒かった1967年、昭和42年の正月を思い出すのですよ。
命拾いした、番犬ぺぺは、その後はちょっとした音にもおびえて、
キャンキャンほえまくる、神経過敏な近所迷惑なわんことして、
一生をおくりました。
 
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