12月14日
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わさびのお歳暮
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”さても、その日は、極月十四日、夜討ちの勝負は、かねての計略、討ちたつ時刻、丑三つの、軒の棟木に降り積もる雪のあかりが、味方の松明・・・”
講談「二度目の清書」の冒頭より。
そう、今年も討ち入りの日がやってきました。
と、同時にお歳暮の季節。
当方でお世話になった方々にお送りするものですが、こっ、この私にお歳暮を届けてくれる人がいるのです。
それも毎度、直接届けてくれるのですよ。
柳家わさびさん。
柳家さん生師匠に入門して早14年、とぼけた味がなんともおかしい柳家本寸法の、そろそろ真打昇進の声も聞こえてきそうな若手噺家さんです。
最近とみに、NHKテレビへの出演が増えてきて、忙しくなってきたにもかかわらず、昨日わざわざ有楽町まで訪ねてきてお歳暮をいただきました。
京都の老舗・甘春堂のおせんべいでした。
彼が二つ目に昇進したばかりの時に、大学(中央大学)後輩の春風亭三朝さんに紹介されてからのお付き合い。
仕事がなく、赤貧洗うが如き修行も飄々とこなして、まもなく大きな花を咲かせようとしている新進気鋭の噺家さんに成長してくれました。
下手の横好きの素人芸をお披露目した毎春の横浜タカシマヤ・うまいもん寄席で、私のまえかたをお願いしているんですよ。
来年もお願いしようと思っているのです。
もし、そうなれば三年連続!!!
よくもまあ、私の素人芸に付き合ってくれると、毎年、感謝感激雨あられなんですが、「うまいもん寄席」と題しているイベントですから、素人の落語だけでは失礼と思い「本物の落語をお見せしたい」とお願いしているのですよ。
芸人さんからいただきものをしたからには、ご馳走しなければと見栄張って、
「わさびぃ、ふだん肉離れしてるだろうからね、すき焼きでも食おう」とお誘いし、恐縮する彼を有楽町今半へ・・・。
ところが、彼の来訪は午後2時半。
「お客様、申し訳ございません。5時まで準備中になります。」の店員さんの申し訳なさそうな声に、踵を返した二人。
周りはほとんどの店が休憩中の時間帯。
仕方なくというのはお店に失礼ですが、私のいつも行く大衆食堂へ・・・。
それでもいつもより奮発してマグロの照り焼き、さんまの開き、卵焼き・お浸しをおかずに、ふたりでどんぶり飯とお味噌汁で、仲よく飯を食って別れました。
すき焼きがいつも食ってるおかずに代わってしまったのに気落ちしたところも見せず、さんまの開きにかぶりついて、どんぶり飯をかっこむわさびが愛おしくて愛おしくて、いずれは、定席でトリをとれる一流の噺家に成長してくれることを祈りたいですね。
そうそう今度、12月27日・水曜日19時30分から、柳家わさびさんが、神保町らくごカフェで「月刊少年ワサビ」という勉強会を開きます。
お客様から前の会(先月)のうちにいただいた三つのお題で三題噺を披露します。
お時間のある方は、ぜひぜひ足をお運びくださいませ。
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12月 2日
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「新聞」を読んで
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あら〜2017年も残り一か月を切ってしまったのですね。
きのうは映画の日・12月1日。
入場料1000円均一にひかれて、近くのシネコンへ・・・。
「探偵はBARにいる3」を観て、北川景子さんの美しさにぼ〜ぉっとしながら、コ
ンビニで買った夕刊の日付をみて、改めておーっ!と思った次第で・・・。
いまだにスポーツアナの端くれの私にとって、これからプロ野球オープン戦が始まる来春まで、新聞の切り抜きを中断して好きな落語三昧、ちょっとだけ映画・お芝居見物に時間を割くオフシーズンです。
新聞を眺めて感傷に浸りながら、ラッシュアワーの電車風景に違和感が・・・。
吊革にぶら下がって新聞読んでるの、えー!わたしだけ???
み〜んな御位牌を片手に持つように、スマホ・携帯に目を落としてる人ばかり。
ホント、新聞読んでる人・文庫本読んでる人・週刊誌読んでる人・・・いなくなりましたねえ・・・。
私の新聞と言えば、中学校からお弁当持ち通学になり、毎日おふくろがお弁当を包んでくれた2〜3日前の中国新聞(郷里は広島)!
肉じゃがのおつゆが、染み出て、茶色くなったやつを昼休みに読むというのが、新聞との付き合いの始まりでした。
それは日によって、地元・カープの記事満載のスポーツ面もあれば、ある日は読者投稿欄・・・、またある時は経済欄。
ちんぷんかんぷんの株式の欄で包んである時も・・・。
偏った知識であればスマホで充分なんでしょうねえ。
でも、自分のそれまで興味のないものには、何の取っ掛かりもできませんものねえ。
新聞にはそういう魅力がありました。
いまだに我が家では、スポーツ紙・一般紙を何の疑問もなくとり続けてるんですがね。
このままいくと、宅配の新聞は無くなるのかなあ・・・。
アメリカでは宅配をやめて、ほぼ電子版に変えた大手新聞社がほとんどですもんねえ・・・。
情報収集取得はネットで充分、便利な世の中なんでしょうがねえ・・・。
元々、落語・講談・寄席・演芸の好きな私にとっては、違和感が拭えないのです。
あっ、そうそう、寄席で一之輔さんがよくやる「新聞記事」って落語も、完全に古典落語の範疇に入ってしまうのですねえ。
この話は元々、上方の古典「阿弥陀が池」の東京落語の置き換えたものですけどね。
寄席では、関東「新聞記事」、上方「阿弥陀が池」で、若手の噺家さんが良く高座にかけ
るネタですよ。
一度、お聴きあれ。
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8月16日
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雪駄
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「あ〜あ、また今日も雨か・・・」
これで首都圏は、16日連続で雨降りですよ。
はじめのうちは涼しくていいと喜んでいましたが、これだけお日様とご無沙汰なんて・・・。
明日は日差しも出そうだとのこと。
でも、にわか雨には注意だそうで・・・。
実はお天気の日を、このところ心待ちにしているのです。
月末に我が家の長男の結婚式が迫っています。
日頃から着物が好きで、夏場の正装、絽の紋付と絽の袴は持っています。
あと、足元不如意で、普通の雪駄とエナメルの草履は酔狂に持っているのですが、白鼻緒
の畳表の本雪駄は結構なお値段で持っていなかったんです。
「息子の晴れの日には、黒紋付きに袴の正装で立ち会うんだ」と、先日鶴光師匠に話していたところ、この間、真打昇進披露を無事済ませた弟子の和光さんから、
「栗はん、せっかく絽の紋付き袴もってんやから、履物も本寸法でいかな、あきまへんやろ?」とのアドバイス。
何せ、南部表本雪駄は高いのですよ。
しばらくの間、躊躇していたのですが、意を決して都心のデパートの履物売り場を歩き回ったのですが、やっぱり高〜い!!
でも「紋付き袴で、足元は白い鼻緒の本雪駄」というのが、我が国の最高の正装だとものの本にも書いてあることだし・・・。
結局、一か月くらい悩みましたが、たまたま柳家権太楼師匠が以前仰っていた「噺家は帯は『帯源』、履物は浅草田原町・雷門通り『和泉屋』だね」ってのを思い出しました。
そこで和泉屋さんの旦那さんに相談したところ、デパートの半分くらいのお値段で、南部表の白鼻緒の雪駄を手に入れることができました。
となると、当日までに履きならしておきたいと思っていたらコレですもんねぇ・・・。
毎日雨降り・・・手に入れるまで知らなかったのですが、畳表の雪駄というのは、見た目で、本当は竹の皮で編んだものに鼻緒をすげたものなので、濡れるのはダメ!
雨は大敵なのですよ。
昔から、ほしくて高嶺の花だった雪駄を、この雨で台無しには出来ないですからね。
手に入れてから一週間すぎて、いまだ大切に和泉屋さんの箱に収まったまま、下駄箱の中に入れてあります。
早く試して慣らそうと思っているのに・・・。
そんなことしてる矢先に、志ん朝師匠のCDを聞いてたら、
「あたしゃ、雪駄が好きじゃないんですよ。履いて歩くと滑って、すぐ脱げて旅裸足になっちゃうからね・・・雪駄履いた後は、足が疲れちゃってね。」
なぁんて言ってるのを聞いてしまいました。
あんなに欲しかった畳表の雪駄、大好きな志ん朝師匠は苦手だったなんて・・・。
でもでも!思い切って買った雪駄、意地でも履きなれなければ・・・そのためにも早く天気になあれ!
息子のお式は26日に迫っています。
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7月26日
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今、楽しみな二人
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このところ、真打昇進披露興行顔出しが続いていました。
学校の落研の後輩・春風亭三朝君が三月下席から。
また、鶴光師匠のお弟子さんで、
入門時から親しくお付き合いさせていただいている笑福亭和光君が、
七月上席までお披露目で、寄席と言えば彼らのお祝いで足しげく通いました。
ようやく二人のお披露目が無事終わり、
こっちまで、いやぁホッとしました。
ふたりの若手噺家さんの門出に立ち会えたのは、落語ファン冥利に尽きますね。
てなわけで、週末土日は久しぶりに他の河岸へ・・・といっても、寄席なんですけどね。
土曜は上野広小路亭に「笑遊独演会」。
最近とみに、爆発的に面白くなってきた噺家さん。
「片棒」「祇園会」「くしゃみ講釈」「やかん」「蝦蟇の油」は、たまらない可笑しさのある高座。
ご贔屓筋だけが集まった、こぢんまりとした広小路亭で、「蛙茶番」「愛宕山」を堪能しました。
日曜日は横浜まで足を延ばして、このところものすごい勢いで頭角を現してきた若手講談師・神田松之丞を観ににぎわい座へ。
380席のにぎわい座を「満員札止め」にする期待の星。
講談と言えば、最近は女性講談師のほうが多い中で、久々現れた逸材。
噺家の一之輔さんが寄席に現れたころとダブるところがあるような・・・。
楽しみにしているんですよ。
落語界だけでなく、講釈の未来も少し光が差してきましたよ。
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5月18日
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圓生を知らない子供たち
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”圓生が終わって、僕らは、生まれた
圓生を知らずに 僕らは育った”
こんな替え歌知ってますか?
昭和45〜6年に流行ったジローズの「戦争を知らない子供たち」をかつて、
亡くなった古今亭右朝師匠が、高座の枕でしゃべっていたのを憶えてます。
今から20年くらい前、落語界の若返りを皮肉って苦笑いしていましたね。
昭和の名人6代目三遊亭圓生が亡くなったのは1979年(昭和54年)9月3日。
千葉は習志野で老いさらばえたところなく、現役噺家のまま、口調の衰えさえ見せず、私たちの前から消えていきました。
実に持ちネタ300と幾つ・・・客席で聴く話は、家に帰って広げてみて比べた青蛙房の圓生全集の中身と一字一句違わなかった・・・。
その時々の枕の後は、その一つ一つのネタの完成度の凄さに唖然としたものです。
神田祭が終わり、週末には三社様、折しも大相撲5月場所は真っ盛り・・・。
爽やかな陽気に心も軽く、この時期になると懐かしく思い出す6代目三遊亭圓生師匠の思い出に、ちょっとだけお時間を!!!
今、東京の寄席の定席では、落語協会も落語芸術協会も、共に真打昇進披露が行われているのです。
落語芸術協会は、桃太郎門下・昔昔亭桃乃助、鶴光門下・笑福亭和光。
落語協会は、木久扇門下・林家ひろ木、一朝門下・春風亭三朝、小三治門下・柳家小八、金馬門下・三遊亭ときん、馬風門下・馬るこ。
両協会で新真打7名全員、名人圓生の生の高座を目にした人はもういないのですよね。
彼らの入門は2002年なんですからねえ・・・。
そうまさに、圓生を知らない子供たちなんですよ。
ちょうどこの時期、日比谷は東宝名人会5月中席の圓生師匠の高座が脳裏によみがえってくるんです。
日比谷の東宝ビルの確か5階、かまぼこ型の前にせり出したへんてこりんな高座、中席のトリは三遊亭圓生。
中央大学落語研究会の4年生だった私はこの中席に、ほぼ毎日中入り前くらいから、通っていたのでした。
当時、平日のお客様の入りは、あまりよくありませんでしたよ。
最前列は、ほぼ全席空いているくらい。
そこへ、中入り前に飛び込んでいました。
確かあれは、中席の最終日いわゆる楽の日・・・。
ちょうど大相撲5月場所の真っただ中、2日くらい前に「阿武の松」がかかっていたので、圓生師匠の持ちネタの中でもあまり頻繁には高座にかけない噺「稲川」をナマで聴きたいなあ・・・と。
ふと、客席で生意気この上ない欲求にいてもたってもいられなくなったのですよ。
まさに若気の至り!
いつものようにトリの時にあがる出囃子(ふだんは正札付)中の舞が聞こえてきて、その中の舞いっぱいで、お辞儀を終える呼吸で、高座へ姿を現した圓生師匠。
お辞儀から顔を揚げる瞬間、
「待ってましたっ!稲川!!!」
思い切って圓生師匠に大きな声で注文したのです。
人懐っこい笑顔をみせた後、
「ご贔屓様で有難く御礼を申し上げます。折しもお相撲の5月場所の最中でございまして”、関取千両幟(稲川)”のご注文でございまして、(上手を向いて前座の朝助さんにむかって)おい、相撲は出てるかい?」
「でておりません!」
「それでは、ご贔屓様のご注文で、関取千両幟でございます。」
と、何の動揺も無く、なめらかに稲川へと入っていきました。
それは、もう夢見心地のひと時でした。
「おなじみの関取千両幟、稲川でございます。」
「ありがと〜ございました〜、ありがと〜ございました」
元気な楽屋の裏方さんの追い出しの声。
あの圓生師匠が、深々と客席にお辞儀をしながら、最前列でかじりつきで聞いていた私のほうにチラッと向いて、「テヘッ!」てな感じでニコッと微笑んでくれたのが忘れられません。
ビロードのどん帳が上手から下手にずずずず〜っと滑っていくのを激しく拍手しながら、見送っていました。
持ちネタの多い、そりゃあタイヘンな噺家さんでした。
出来・不出来の差のほとんどない、いつ行っても満足させてくれる人。
でも、トリでない新宿末広亭や浅草では「四宿の屁」「おかふい」ってバカバカしい噺で肩透かしを食らったことも、今ではいい思い出です。
備忘録というか、ちょっと記憶が薄れないうちに書き留めておこうと、思い立ったもんですから・・・。
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