1242 ニッポン放送
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みのりの日記
増田みのり
淵澤 由樹
 
diary
1月11日
デビューしました
先日、ママ友に誘われ
初めて児童館なるところへ行ってきました。
よく“公園デビュー”なんて言葉を聞きますが、
それに似た感じ。
児童館デビューです。

6ヶ月の息子を連れ、「失礼します」といそいそと部屋の中に。
走り回っている子供達がたくさん。
きゃーきゃー言ってます。元気だねぇ。
おっと、その子達のママさんの「じろり」という視線がちょっとこわい。
友人と一緒でよかったかも。。。

乳児と幼児はコーナーが分かれていて
私たち以外乳児コーナーには誰もおらず、
そんな状態が1時間ほど続きました。
広いスペースだからと、ここぞとばかり息子を遊ばせていたら
突然10人ほど、赤ちゃんを連れたお母さんたちがやってきました。

係りの方が赤ちゃん体操を教えてくださる時間になったようです。
たまたま行った日にこういうイベントがあるなんてラッキーでした。

赤ちゃんを大根に見立ててゴシゴシなんて洗うマネをする体操や
(なにも大根でなくても、ふふふ)高い高いをする動きなど。
ウチの子は重いので持ち上げるのに一苦労。お、重い。。。

あれ?見たことあるお母さんがいる。
以前、私がまだ妊娠中、
すでに出産を終えたお母さんとその赤ちゃんに触れあうという区の催しで
一度お話ししたことがある女性でした。
声をかけると、
「この子が産まれて1ヶ月の時でしたね」なんてと
指さす男の子が、もう「1歳」になるとかで、つかまり立ちをしています。
そのお母さんの次の発言に、私と友人は目が点になりました。
「私、来月出産なんです」と。

えっ?第二子?
ということは出産してまたすぐ妊娠。
う〜すごい。
乳飲み子かかえながら、つわりを経験するなんて。
は〜、母はたくましいなぁと思った児童館デビューの一日でした。
1月 4日
同窓会にて
あけましておめでとうございます。
今年も「栗村智あなたと朝イチバン」をどうぞごひいきに。

このお正月は、
1月2日に我が故郷 群馬県桐生市で同窓会があり帰省しました。
小学校時代の同窓会に集まったのはおよそ40人。

先週の日記に書いたように
恩師に会えるのを楽しみにしていたのですが
今回は先生方には声をおかけしなかったとのこと。
残念。
次回、是非とも会いたいです。
すぐ次回って話がでるのは、理由がありまして、
小学校時代の同窓会は5年ごとにこまめに行っているので、
わりとあっという間にやってくるのです。

30代に突入したこの5年間は
結婚や出産を経験した友達が多く(私もその一人ですが…)
多くの友達が人生の節目を迎えているようです。
でもなかには独自のスタイルを楽しんでいる友人もいて、
タイで独身生活を満喫している女友達や
子供を早くに産んで、
すでに第二の人生とばかりに自宅でエステを開業したという友人など
子供の頃一緒の時を過ごしたとはいえ
それぞれ皆自分の道を歩んでいることになんだか嬉しくなりました。

次回みんなに会うときは、どんな風になっているんだろう。
自分をちゃんと磨いていないといかんなと思ったお正月でした。
12月28日
たわし頭のH先生
♪も〜い〜くつ寝〜るとお正月…♪
子供の頃、師走に入ると友達とよくこの歌をうたっていました。
2学期の終業式。
通知票をもらうのが教科の評価よりも
担任の先生が何を書いてくれているのかコメントが楽しみでした。
「机をピアノにみたて授業中、指を動かしてます」
あら〜見てたのね〜。
「ちょっと眠そうです。早寝早起きしていますか」など。
先生はその場で注意しなくてもわかってるんだ、
よく見てるんだと驚くことしばしばでした。

よく見てくれていたといえば小学3年の時の担任H先生。
自由宿題という課題があって、
宿題となりうるものを自分で考えて
ノートに1ページ毎日提出していました。
漢字の書き取り、算数の計算などなんでも良いのですが、
冬のある日、隣の家の軒下につばめの巣を発見した私は
それをスケッチして絵日記として宿題を提出しました。
ある種、絵を描けばノートの余白をかせげるという
子供らしいあざとさがあったのです。
でも、そのつばめの絵をみたH先生は花丸大絶賛!
こちらが恐縮するくらい褒めてくれました。
私の絵好きはあそこがスタートだったと思います。

このお正月、地元で同窓会があります。
今年はH先生もいらっしゃるという噂。
あ〜会えたら御礼を言わなきゃ。
まだ趣味でイラストを描いていますと。
♪も〜い〜くつ寝〜るとお正月…♪
12月21日
おじいちゃん
先週の放送は「思い出のふるさとリクエスト」と題してお送りしました。
たくさんのメッセージをお寄せいただきありがとうございました。

放送終了後、
帰宅して少しウトウトしていたところ、夢をみました。
亡くなって何十年もたつ祖父がでてきたのです。

普段私は夢を覚えているタイプではないので
たまに夢を見たときはインパクトが強いのです。


同居していた祖父は95歳で亡くなり大往生でした。
晩年、頭は冴えていたものの、足腰が弱くなり
目も見えづらくなっていたようです。

俳句をたしなんだ祖父は
俳句雑誌「ホトトギス」に、よく自作の句が掲載されていました。
声に出して読んでほしいと時々私は頼まれたものです。

恥ずかしながら、当時は難しい漢字などあまり読めず、
つっかえつっかえなんとか読むのが精一杯。
俳句の風情がわかるはずもない私でした。
祖父もそんな私を横に、俳句の意味を伝えようとする様子もなく、
私のヘタな読みをふんふんと目をつむって聞いていました。

夢では『おじいちゃん、今なら昔より少しはましに読めるから!』と
私が祖父に語りかけていました。
遠慮していた祖父でしたが、
そのうち小箱に入っていた雑誌「ホトトギス」を私に渡しました。
ページを開いて読もうとした瞬間、目が覚めました。

きっと「思い出のふるさとリクエスト」で
故郷のことを思い浮かべたことでこういう夢をみたのでしょうね。

『おじいちゃん、今ならちゃんと読めると思うよ。
夢の中でいつでも頼んでね。』
12月14日
自転車とスクーターのお出かけ
今週の放送は「思い出のふるさとリクエスト」ということで、
私も故郷を思い出して書いてみます。

私が子供の頃、母はいわゆるペーパードライバーで
運転免許証を持っているにもかかわらず、車を運転できませんでした。
したがって二人でどこかにでかけるときの移動手段は、
私・自転車、母・スクーター。

ピアノ教室に行くまでの道のりが結構あって、
信号があるたびに、母が止まって待っていてくれるのでした。
自転車の私が母の背中にたどり着くと、
母はそれを確認してから、じゃ次の信号でねと。
その繰り返しで目的地までたどり着くのです。
ピアノ教室の帰り、お父さんには内緒と言って
こっそり食べるあんみつも大好きでした。

今はその甘味処も無くなってしまい、
思い出の味がまたひとつ減ってしまいました。

ただ時が経つのは残念なことばかりではありません。
ピアノ教室に通わなくなってから十数年、
母は車を運転できるようになりました。
あんなに怖がっていたのに、今では「運転大好き」とさえ言うほどに。

そんな母がペーパードライバーだったころ
口ずさんでいたのが五輪真弓さんの『恋人よ』です。
『恋人よ』を聴くと「自転車とスクーターのお出かけ」を思い出すのです。
 
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