7月24日(火)
『カンボジアの子供たち』 目の前に、一冊の写真集があります。 ・ジッとこちらを見つめる小麦色の女の子の瞳・・・。 ・その表紙を開くと、橋の欄干から川に飛び込む男の子がいます。 ・アイスキャンディーを持って微笑む兄と妹は、上半身ハダカです。 ・水牛にまたがる兄弟。赤い布を身にまとう丸坊主の少年たちは修行僧。 ・自分の背丈よりも長いバナナの葉っぱを抱きかかえて帰る幼い少女。 そして、この写真集のほとんどを埋め尽くしているのは、笑顔!人なつこい目の子どもたちが、屈託なく笑っている顔です。
先週の金曜日に出たばかりの「連合出版」刊『カンボジアの子どもたち』これは、20歳を過ぎた頃から、カンボジアを何度も訪れては、子どもたちのスナップを中心に撮り続けた青年写真家、遠藤俊介さんの初めての写真集です。 出来上がった写真集を手にして、わずか3日後の7月14日未明、遠藤俊介さんは、昨年10月からの骨髄性白血病との闘いに終止符を打ち、息を引取りました。10ヵ月半の闘病生活、まだ29歳の若さでした。
3月27日(火曜日)・・・『サプライズ』のメール・FAXのテーマは、「最近、涙もろくなりました」 こんな文面のメールが届きました。 『神奈川県に住む母です。 カメラマンの長男(29歳)が、昨年の秋から白血病で入 院。今、滅菌室で、弱音も愚痴も吐かず病いと闘っていま す。そんな彼の前で、涙は流せません。でも大勢の方に励 まされ、祈られている毎日への感謝に、涙が止まらないの です。もうすぐ、写真集が出版されることになりました。 まだまだ闘いは続きます。涙を振り払って、がんばりま す』 番組の中では、ご紹介できなかったんですが、番組の終了後、このメールが気になって、スタッフに連絡を取ってもらいました。そして私たちは、自他ともに認めるカンボジア専門カメラマン、遠藤俊介さんを知ることになりました。
1977年、横須賀に生まれた遠藤俊介さんは、小さいころから正義感の強い少年でした。曲がったことなら上級生とのケンカもいとわない。中学生のとき、病気でお父さんを亡くした俊介さんは、父親代わりに、弟の卒業式や入学式に出るといった思いやりのある兄でもありました。 写真との出会いは、中学生のとき、お祖父さんに買ってもらったカメラ。高校の時は、部長一人、部員一人の写真部を立ち上げたといいます。高校を出て写真の専門学校に進み、さらに東京工芸大学写真学科に入学。その頃から、俊介さんの心をとらえ始めたのが、カンボジアでした。
病床の俊介さんに、「カンボジアの魅力」についてうかがいました。薬の作用で朦朧とした意識と苦しい息の底から、彼は答えてくれました。 「カンボジアといえば内戦、地雷、貧困、エイズ問題。 そうしたジャーナリズムの偏見に、それだけじゃないと 言いたかった。真っ直ぐに人を見つめる彼らの目、子ども たちの笑顔を伝えたかった。」 カンボジアについての勉強会や交流会に通い、クメール語をマスター。その文化への理解を深め、「アエラ」の契約カメラマンになった彼は、ある研究会で一人の女性と出会います。北海道生まれの高瀬友香(たかせ ゆか)さん・・・。 友香さんは、昨年初めてカンボジアに行き、その国の魅力に目覚め、将来の永住を決めた人。彼女は俊介さんの写真をひと目見て思いました。 「ああ、この人は私と同じ目でカンボジアを見つめ、同じこ とを感じてる」 こんな二人の夢が一つになるまで、長い時間は必要ありませんでした。 「いつかカンボジアに、一緒に行こう! そして結婚式をあ げよう!」 俊介さんが急性骨髄性白血病に倒れたのは、こんな約束をしてから、間もなくのことでした。
二人で抱くひとつの夢は愛情へ、そして強さへと変わります。友香さんは、看病がしやすいようにと、病院の近くに引越しました。ある時は話し相手、ある時はマッサージ、欲しい本やDVDを探すなど献身的に尽くします。自分の仕事を休み、出来上がった写真集を抱えて、神奈川県内の書店に営業に回ったのも彼女でした。いつか二人で秋葉原に買い物に行った時、ふと足を止めた路上ライブのCDをネットで見つけたのも彼女。二人で何度もこの歌を聴きました。
そして7月13日は、友香さんの誕生日。 俊介さんは弟に頼んで買ってもらったネックレスを、 枕の下に忍ばせておいて、彼女を喜ばせました。 「とってもよく似合うよ・・・」 そして、翌14日未明。カンボジアへの夢を半ばにして、 遠藤俊介さんは天国へ旅立ちました。
3月のあの日、番組へメールを寄せてくださったお母様、 (遠藤れい)さんは、控えめに語ります。 「わが息子ながら、よくやった。敢闘賞をあげたい・・・」
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