スポーツ伝説

1月11日~15日の放送内容

【プロ野球 斎藤隆投手】

 横浜・東北楽天で活躍した斎藤投手は、メジャーリーグでもロサンゼルス・ドジャースほか5球団でプレーし、去年45歳で現役生活を終えました。ドジャース移籍1年目は、マイナー契約。しかし開幕早々、ドジャースの守護神がケガで戦線離脱。急きょメジャーに昇格すると、中継ぎで結果を残し、最終的に守護神を務めて24セーブをマーク。メジャーでは7シーズンで合計5度もポストシーズンに出場し、大舞台に強いピッチャーとして高い評価を受けました。
 2012年暮れに日本球界に復帰し、故郷・仙台を本拠地とする東北楽天イーグルスに入団。移籍1年目から2年連続で30試合以上に登板し、チームに貢献しましたが、3年目の去年は8月半ばの時点で1軍登板がわずか2試合。故障にも泣かされました。「満足なコンディションにない自分がいることで、若手投手のチャンスを潰しているのではないか」と考え、引退を決意。 引退後は、吉本興業に契約社員として入社する一方、メジャー時代に在籍したパドレスのフロント業務にも参加。将来、指導者として再びイーグルスのユニフォームを着る日も近いかもしれません。



【プロ野球 西口文也投手】

 ライオンズひと筋21年。現役時代に通算182勝をあげた西口投手は、1994年のドラフト3位で西武に入団。プロ2年目に早くも16勝をあげ、翌97年には15勝5敗の活躍でチームを優勝に導いたほか、最多勝・最多奪三振・最高勝率の三冠に加え、沢村賞とパ・リーグMVPも獲得。96年から05年までの10シーズンで、実に9度も2ケタ勝利をあげるという抜群の安定感を示しました。にもかかわらず、日本シリーズで一度も白星をあげられなかったのは、まさに不運というほかありません。
 実は、西口投手の不運は他にもありました。05年5月には、9回2アウトまで巨人打線をノーヒットに抑えながら、あと一歩の所でノーヒットノーランの快挙を逃します。3か月後の8月には、楽天戦で完全試合を間近にして、味方の援護がなく達成ならず。02年8月にも、9回2アウトからヒットを打たれてノーヒッターになり損ねたことがあり、実に大記録を3度も逃してきました。でもこのツキの無さもまた、西口投手がファンに愛された理由かもしれません。 


 
【プロ野球 谷佳知選手】

 日本のプロ野球で過去最高の外野陣と言われるのが、オリックス全盛期の田口・谷・イチローのトリオ。当時は鉄壁の外野陣と呼ばれ、俊足と強肩を駆使し、何度も投手陣を救いました。その扇のかなめともいえるセンターを務めていたのが、谷選手。オリックス入団2年目にして早くもセンターのレギュラーをつかんだ谷選手は、ブレイクしてまだ数年のイチロー選手と、後にメジャー移籍する田口壮選手に指示を出し、絶妙な連携を生み出しました。
 2006年オフ、谷選手は交換トレードで10年間プレーしたオリックスから巨人へ移籍。在籍7年間で5度のリーグ優勝に貢献しましたが、移籍1年目はチーム事情でレフトを守り、2年目はラミレス選手の加入でセンターへと配置転換。負担の重さからバッティングにも影響が出て、打撃不振により代打に回ったこともありました。そんな辛い状況を励ましてくれたのが、故・木村拓也選手。10年にジャイアンツのコーチになった木村選手は、開幕直後に突然倒れ、そのまま帰らぬ人となりました。追悼試合で8回に代打で登場した谷選手は、見事に逆転ホームランを放ち、お立ち台で号泣。ファンの涙を誘いました。
 


【プロ野球 高橋尚成投手】

 社会人野球を経て、1999年にドラフト1位で巨人に入団した高橋投手。入団は1年ずつずれていますが、97年1位の高橋由伸監督、98年1位のレッドソックス上原浩治投手とは、同じ75年生まれの同級生でした。特に同じ名字の高橋監督とは仲が良く、「由伸の存在がなかったらここまで長くやってなかった」といいます。尚成投手の引退セレモニーで固く抱き合った2人。奇しくもシーズン終了後、由伸選手も監督就任のために引退。共に今年から第2の野球人生を送ることになりました。
 巨人では、2000年からちょうど10年間プレー。ローテーションの柱として安定した成績を残していましたが、09年オフ、海外FA権を行使してニューヨーク・メッツとマイナー契約。開幕直前にメジャー昇格を勝ち取ると、チーム事情に合わせて先発・抑えの両方をこなし、移籍1年目から10勝をあげました。アメリカで4年間プレー後、13年シーズンを最後に帰国した時は、引退を覚悟していた高橋投手。しかし大学の先輩である中畑清前監督に声を掛けられ、DeNA入りを決意。結局、DeNAでの2シーズンで白星を上げることはできませんでしたが、その存在はアラフォー世代に大きな勇気を与えました。
 


【プロ野球 井端弘和選手】

 中日・巨人で活躍し、去年40歳で現役引退した井端選手。その井端選手にとって巨人は、中日ドラゴンズ時代、何度も優勝を争った宿敵でした。しかし2013年オフ、中日・落合博満ゼネラルマネージャーから80%以上の大減俸となる推定300万円の提示を受け、契約更改を保留。自由契約になった後、真っ先に声を掛けてくれた巨人に移籍しました。レギュラーは保証されていませんでしたが、チーム事情に応じてセカンド・サード、時にはファーストも守備。打順も上位・下位、さらにはクリーンアップを打つことも。その活躍もあって、井端選手は移籍1年目にしていきなり優勝を経験することができました。
 巨人に移籍したばかりの頃、生え抜きメンバーとの間を繋いでくれたのは、同じ75年生まれの同学年で高校時代からの知り合いだった高橋由伸選手。「由伸はずっと同世代のスターとして今まで憧れてきたし、同じ巨人のユニフォームを着られることに幸せを感じていた。由伸が辞める時は、自分も一緒に辞めようと巨人に来た時から思っていた」との言葉通り、2000本安打まであと88本を残して引退を決意。去年の秋季練習からコーチに就任し、高橋新監督の船出に力を貸しています。この同級生コンビが巨人をどう変えてくれるのか、この1年が楽しみです。
 


来週のスポーツ伝説は……

 1月18日(月) サッカー 森保一監督
 1月19日(火) サッカー 佐藤寿人選手
 1月20日(水) サッカー 大久保嘉人選手
 1月21日(木) プロ野球 アレックス・ラミレス監督
 1月22日(金) プロ野球 梨田昌孝監督

                       以上の5名をご紹介します。
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