ラジオ・チャリティ・ミュージックソン誕生秘話

1975年(昭和50年)にスタートとした「ラジオ・チャリティ・ミュージックソン」。24時間チャリティ番組の誕生秘話をご紹介します。

海外アーティストのコンサート事業にてニッポン放送と事業提携をしていた「キョードー東京」の内野二朗社長より、内野氏が昭和45年から提唱実践してきた「音楽を通じて社会貢献をしよう」という運動である「ミュージックソン」(ミュージックマラソン)をラジオ番組と合体したい、という提案がありました。しかも、「自分個人が一日分のお金を出すから24時間買い切り、CMなしでやりたい」と熱い申し出がありました。民放ラジオ局として、個人出資の企画は受けられないという事情がありましたが、内野氏とニッポン放送側の熱い議論が重ねられ(会議室にて机をドンドン叩くほどの熱い議論でした)、24時間チャリティ番組を実現することができました。

日本で初めてのチャリティ番組は、昭和50年3月に近畿放送(現KBS京都)のテレビ番組「宮城まり子のチャリティ・テレソン」でした。身障者の社会参加をテーマにした番組です。こちらの番組などを参考に「ラジオ・チャリティ・ミュージックソン」は企画されました。

パーソナリティは、ラジオ番組「欽ちゃんのドンといってみよう。」で大変な人気のあった萩本欽一が担当。初めての24時間チャリティ番組の実現のため、各スタッフは必至で準備をしました。放送当日、募金の電話は鳴りやまず、街頭募金では募金の重みで車がパンク寸前になりました。24時間放送後のスタジオでは、欽ちゃん、スタッフ全員が涙しました。そして企画発案者である内野氏も涙しました。

1975年(昭和50年)から続く「ラジオ・チャリティ・ミュージックソン」。みなさんの暖かいお気持ちをお待ちしております。

「ラジオチャリティミュージックソンとは」

「募金方法」

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