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2017年10月1日
車いすフェンシング・加納慎太郎選手 (1)

『鈴木亮平 Going Up』は2年目に突入!

今週からMBC・南日本放送も加わり、鹿児島地区での放送がスタートしました!

鹿児島の皆様、どうぞよろしくお願い致します。

 

さて、今回のゲストは車いすフェンシングの加納慎太郎選手です。

 

「車いす」と聞くと、車いすバスケットボールや車いすテニス等のように車いすを“漕いで”プレーすると考えがちですが、車いすフェンシングは“ピスト”と呼ばれる専用の台に車いすを固定して、上半身のみで競技を行います。

一般のフェンシングのようなフットワークがない分、剣さばきの技術とスピード、瞬発力が重要なポイントとなります。

種目は一般のフェンシングと同じく、フルーレ・エペ・サーブルの3種目で、種目によって使用する剣が異なります。『エペ』では上半身にのみ突くことが許されているので、下半身にメタルのスカートを装着してプレーするのが特徴です。

車いすフェンシングは、1960年の第一回ローマパラリンピックから正式競技として行われており、ヨーロッパで特に盛んなパラスポーツの一つです。

 

加納選手が車いすフェンシングを始めたのは4年前、28歳の頃。

東京2020パラリンピック開催が決まり、自分に少しでも可能性があるならその可能性にかけてみたい!と、パラリンピック競技を調べました。

小学生の頃に剣道を始め、交通事故により義足になってからも健常者と一緒に剣道を続けていた加納選手は、車いすフェンシングが『剣』を使う競技だということを知り、自ら京都にある協会に連絡をして競技を始めました。

 

剣道とフェンシング、両方とも『剣』を使うといっても全くの別物。

それに、車いすフェンシングでは、障害の程度に合わせて「カテゴリーA」(腹筋の機能があり自力で体勢を維持できる選手)と「カテゴリーB」(腹筋の機能がなく自力で体勢が維持できない選手)のふたつにカテゴリー(クラス)が分けられていますが、障害の程度が軽いからといって、カテゴリーAの選手がBの選手に勝てるわけではないのです。

体が自由に動かせない分みな戦略に長けていて、そこに車いすフェンシングの難しさを感じると、加納選手はいいます。

 

それでも、相手に勝った時は最高に楽しい。

車いすフェンシングの魅力について「健常者も障害者もフェアにできる。(選手同士の)距離感が近いので剣の攻防がすごく速くて迫力がある!」と語ってくれました。

 

加納選手は収録の時に、競技用具をスタジオに持ってきてくれました。

競技用車いすに乗って、剣を楽しそうにヒュンヒュン振り回していた鈴木亮平さん…

「男子って剣が好きですよね。剣を持つとテンション上がる!」と、加納選手とすっかり意気投合していましたよ(笑)

 

次回も、車いすフェンシング・加納慎太郎選手をゲストにお迎えしてお送りします。お楽しみに!

2017年9月25日
パラアイスホッケー・安中幹雄選手 (2)

パラアイスホッケー・安中幹雄(あんなか・みきお)選手を迎えてお送りした第2回目。

 

二人のお子さんがいる安中選手は、野球をやっている息子さんの応援に行くと、つい熱くなって声を出して叫んだり、漫画家になりたいという娘さんと一緒に漫画を描いたりする、優しいお父さんでもいらっしゃいます。

試合があると応援にかけつけてくれるという家族からは、年齢も年齢だし無理しないでと言われることもあったそうですが、「どうせ好きなんでしょ」と今は放置されているそうです。。。

 

チームメンバーから「あんちゅう(安中)」というニックネームで呼ばれている安中選手は現在46歳。

日本には4つのパラアイスホッケーチーム(東京アイスバーンズ・長野サンダーバーズ・八戸バイキングス・北海道ベアーズ)がありますが、30~40代の選手が多く若い選手が少ないのが現状です。(強豪国のカナダやアメリカでは10代や20代の選手がしのぎを削っています)

その理由のひとつには練習環境の問題があり、アイスリンク不足や練習時間が深夜だということも大きく影響しているといいます。

ただ、経験のある選手が多いことで、試合で落ち着いてプレーできるところが日本の強みでもあります。

 

パラアイスホッケー日本代表は平昌パラリンピック出場をかけて、10月8日からスウェーデンで開催される最終予選に臨みます。安中選手も日本代表のフォワードとして、この大会に出場します。

チェコ、ドイツ、スウェーデン、スロバキア、そして日本の5か国が残り“3枠”をかけて戦うこの大会。

「日本はこの中で(世界ランクでみると)4番目。ただ、ドイツとスウェーデンは今同じくらいなので、やってやれない相手ではない。五分五分だけど気持ちで負けないで戦っていきたい」と安中選手は言います。

前回のソチ大会の時には、最終予選で全試合1点差で負けパラリンピック出場を逃し、悔しい思いをしました。2大会連続でパラリンピックに出られないということだけは絶対に避けなければなりません。

 

日本代表が掲げるスローガンは『ディフェンス・ファースト』。

まずは守りを固めて早々に点を取られないようにする、そしてチャンスで攻めて点を取りに行くというホッケーで最終予選に挑みます。

大会を前に安中選手は「自分は(今度のパラリンピックが)最後のチャレンジになるので、死ぬ気で頑張ります!絶対に平昌への切符を獲って帰って来たいと思います!」と意気込みを語りました。

 

最後に、安中幹雄選手の上を目指して進もうとする方に伝えたい“Going Upな一言”を伺いました。

『最後の一回』

トレーニングをしていて、例えば、腕立て伏せをやる時に最後の一回というのが一番つらいけれど「今日が10回だったら明日は11回、その次は12回…」というように、最後の一回をいかに頑張れるか、一番つらいその一回を頑張ろうと決めてやり続けてきた言葉だということです。

 

最終予選で絶対に平昌パラリンピックへの切符を勝ち獲れるよう、パラアイスホッケー日本代表を応援しましょう!!

 

 

(安中選手のリクエスト曲) チェリー / スピッツ

♪学生時代に付き合っていた人にフラれた時の思い出の曲。カラオケで歌ったり、何度も聴いたりした、思い出深い曲だそうです。

(鈴木亮平さんの一言)いつも体当たりとかしている人のリクエストには思えない…(笑)

 

次回のゲストは、車いすフェンシングの加納慎太郎選手です。どうぞお楽しみに!

2017年9月17日
パラアイスホッケー・安中幹雄選手 (1)

今回のゲストは、パラアイスホッケーの安中幹雄(あんなか・みきお)選手です。

 

「パラアイスホッケー」は、長年「アイススレッジホッケー」として親しまれてきた競技で、日本では今年7月に名称が変更されました。
パラリンピック競技の中で唯一、体へのアタック(ボディチェック)が認められており、『氷上の格闘技』とも呼ばれる非常に迫力ある激しいスポーツです。

 

スレッジ(=そり)という名前からもわかるように、スケートの刃を二本つけた専用のそりに乗ってプレーします。

長さ1m以内のスティックを両手に2本(片手に1本ずつ ※ゴールキーパーは1本のみ)持って、“ピック”というギザギザの金属の刃がついた側で氷をかき前に進み、下の方にスティックを持ち替え、ブレード部分でパックを操りながらシュートを打ちます。ドリブルをする際には中間くらいを持ちます。

スティックを持つ安中選手の手はマメだらけ。そして、腕に残る古傷は、スティックのピック部分でさされて負った傷だそうで、防具をつけていてもその隙間にスティックが入り込み、肌を傷つけ怪我をしてしまうこともしばしばあるそうです。

 

リンクの広さや基本的なルールは一般のアイスホッケーとほぼ一緒ですが、試合時間はアイスホッケーが20分×3ピリオドなのに対して、パラアイスホッケーは15分×3ピリオドの45分で行われます。

選手交代は1~2分ごとに頻繁に行われ、交代できる回数の制限はありません。いかにうまくチェンジできるかということも試合の流れに大きく関わってきます。

また、多くのパラスポーツにある障害の度合いによる「クラス分け」のルールは、パラアイスホッケーにはありません。

 

安中選手が感じるパラアイスホッケーの魅力は、早いパス回しからシュートを決めるゴールシーン。ゴールキーパー(ゴーリー)の立場からするとナイスセーブ。

サッカーなどと同じように、『1点』が大事な競技なので、その『1点』を取り合うのが魅力だといいます。

 

東京生まれ、東京育ちの安中選手がパラアイスホッケーに出合ったのは1998年、26歳の時。

長野パラリンピックでアイススレッジホッケー(当時)を見た友人の勧めで体験会に行ったことがきっかけでした。

それまで安中選手は、義足を履いてゴルフばかりやっていて、障がい者スポーツやパラリンピックということは全く考えておらず、自分には関係ないものだと思って過ごしていたそうです。

か弱い人たちの集まりだろう…というイメージを持っていましたが、体験会でその考えが一気に覆されます。

みんな腕っぷしが太くて、“すごい”人たちの集まり。

体験会の最後にはミニゲームが行われ、ゴール前に立っている安中選手にどんどんパックが来て、「シュート打て!シュート打て!」とおだてられ、ゴールを決めると「うまいじゃないか!」と褒められて、パラアイスホッケーを始めることにしました。

 

体験会の翌週さっそく練習に参加した安中選手は、体験会とは全く違う雰囲気に戸惑ってしまいます。

始めたばかりなのに「声を出せ!」「気合いを入れろ!」といきなり言われ、26歳の社会人になって今更「声を出せ」とかいわれるなんて嫌だなぁと思ったそうです。

しかし、気づけば(強化合宿が行われる)長野にも行くようになり、自然とパラリンピックを目指すようになっていました。

 

その後、パラリンピック日本代表としてトリノ大会(2006)とバンクーバー大会(2010)に出場し、バンクーバーパラリンピックでは、優勝候補だった地元・カナダを準決勝で破り、銀メダルを獲得しました!

その時の思い出の曲が『 BLESS / L’Arc~en~Ciel

くじけそうになった時、この曲を聴いて自分を奮い立たせていたそうです。

 

パラアイスホッケー日本代表は、来年の平昌パラリンピック出場をかけて、10月8日からスウェーデンで開催される最終予選に臨みます。

安中選手も日本代表としてこの大会に挑みます。日本から熱いエールを送りましょう!

 

次回も引き続き、安中幹雄選手をゲストにお迎えします。お楽しみに。