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2019年最初のゲストは、車いすテニス界のレジェンド、齋田悟司(さいだ・さとし)選手です。
齋田選手は、日本を代表する車いすテニスプレーヤーとして、パラリンピックには、1996年のアトランタ大会から2016年のリオ大会まで、実に6大会連続で出場。
2004年のアテネ大会では男子ダブルスで金メダル、2008年北京、2016年リオ大会でも男子ダブルスで銅メダルを獲得されました。
まさに、日本車いすテニス界のパイオニア的存在です。
小学生のころ野球少年だった齋田選手は、12歳のときに骨肉種を患い左脚を切断します。
野球はできなくなりましたが、何かスポーツをしたいと思い、14歳で車いすバスケットボールを始めました。
その頃、車いすテニスが日本で普及し始め、齋田選手が所属していた車いすバスケットボールチームでも車いすテニスの講習会が行われました。
車いすテニスを体験したチームメイトは、「テニスも楽しい」ということになり、今日は車いすテニス、今日は車いすバスケットボールという感じで、両方掛け持ちでやるようになったそうです。
(自分は車いすバスケットボールをやりたくて、チームに入ったのに…)
齋田選手はそう思っていましたが、チームメイトの気持ちは、どんどんテニス寄りになっていくばかり。
最終的に、車いすバスケットボールチームはなくなり、齋田選手も車いすテニスを本格的に始めることになりました。
1993年に海外で行われた大会に初めて出場、海外選手たちの卓越した技術やパワーに圧倒されます。
自分がやってきたテニスとは違うと思い知らされたといいます。
(どうしたら、ああいう選手のようになれるのか)
海外のトップ選手を意識していく中で、いつしか、その最高峰の大会である“パラリンピック”に出たいという思いも強くなっていきました。
そのわずか3年後、1996年にアトランタ大会でパラリンピック初出場を果たします。
「パラリンピックに出たい」というのが当時の目標。
その目標が現実のものとなり、出場が決まったときにはとても嬉しかったそうです。
1回戦を勝ち進んだ齋田選手でしたが、2回戦で世界ランキング1位(当時)のオーストラリアのデビッド・ホール(David Hall)選手と対戦して完敗を喫しました。
結果を残すという実力がまだないことはわかっていながらも、こてんぱんにやられてしまい、すごく悔しかったと振り返ります。
デビッド・ホール選手とはその前にも何度か対戦したことはありましたが、その時は違って見えたと話します。
「パラリンピックという大舞台で戦うナンバーワンの選手というのは、普段見るナンバーワンの選手よりも、より一層気合が入っているのを感じました。パラリンピックというものは特別な大会、すごい場所だなというのを、初めて出た時に思いました」
8年後のアテネ大会、齋田選手は国枝慎吾選手とペアを組んだ男子ダブルスで、金メダルを獲得!
大舞台で頂点に立ったときの気持ちをこう語りました。
「毎回毎回そうなのですが、パラリンピックはとても苦しいです。もっと楽しめばいいじゃないかと思う方もいるかもしれませんが、いざ、現地に入って試合が始まると、力を出すためにどうしたらいいかと、いろんなことを考えてしまうんです。緊張とプレッシャーの毎日だったので、金メダルを獲った瞬間は、嬉しいというより、やっと終わった、ほっとしたっていうのが、第一印象でした」
今や、国枝慎吾選手、上地結衣選手をはじめ多くの日本人車いすテニスプレーヤーが世界で活躍していますが、その先駆者となったのが斎田選手。
海外に参戦するようになった頃は、他に日本人選手はおらず、コーチも付添いの方もいない中、ひとりで競技用車いすとラケットバッグ、着替えの入った荷物を持って、一ヵ月間、ヨーロッパの国々を周っていたといいます。
当時は英語もあまりうまくなく、友達もいなかったため、「居場所がなかったのが大変だった」と話します。
試合となると、ダブルスに出場するため、自らいろんな選手に声をかけて、空いている選手にダブルスを組んでもらったり、シングルスでは、試合前のウォーミングアップで打ち合う相手がいなかったため、「明日、練習できない?」と何人もの選手に声をかけ、来てもらうこともあったそうです。
“日本人選手は弱い”と見られていたため、相手にしてもらえないことも多かったといいます。
人知れぬ苦労と努力、不屈の精神で「居場所」を作り、世界への道を切り開いた斎田選手。
パラリンピック6大会連続出場のレジェンドは、次の「東京」を目指して今も戦っています。
次回も、齋田悟司選手をゲストにお迎えしてお送りします。
どうぞお楽しみに!
齋田悟司選手のリクエスト曲:DEPARTURES / globe
次の大会、次の試合に向けて気持ちを高めるために、試合前や、試合に向かう出発の空港でよく聴いている曲だそうです。
昨年も「鈴木亮平 Going Up」を一年間お聴きいただき、ありがとうございました。
東京2020パラリンピックを来年に控え、今年はますますパラスポーツが熱くなってきます。
2019年も、現場で見て聞いて感じた“パラスポーツの今”を伝え、パラアスリートの素顔に迫りながら、パラスポーツの魅力を発信していきます。
今年も「鈴木亮平 Going Up」をどうぞよろしくお願いいたします!
2018年最後のGoing Upは、車いすバスケットボール男子日本代表・及川晋平(おいかわ・しんぺい)ヘッドコーチをお迎えしてお送りしました。
及川ヘッドコーチ(HC)は、2000年シドニーパラリンピックに日本代表選手として出場し、2012年ロンドン大会では、男子日本代表アシスタントコーチを務めました。
そして、2013年に男子日本代表ヘッドコーチに就任。現在は、東京2020パラリンピックでのメダル獲得に向け、戦いの日々を過ごしていらっしゃいます。
選手からの信頼も厚い及川HCですが、指導する上で心がけているのは「その人の可能性を最大限に引き出す」ということ。
結果というものが求められる中で、その目標を達成するためにどうしたらいいのか。
そこで大切なのは、一緒にいるのは“人”であって、その“人”が強くなったり、うまくなっていくことが、目標にたどり着くための一番の術(すべ)ということになるのです。
なので、その人がうまくなるにはどうしたらいいのか、その人が強くなるにはどうした方がいいのか、その人の可能性を最大限に引き出すにはどうしたらいいのかということを考えるといいます。
結果が出なかったりプラン通りにいかないと、どうしても「なんでこんな事ができないんだ、ダメだな」というように、その人をネガティブに捉えたり感情的になりがちですが、それに時間を費やすのはすごくもったいないことで、それよりも、その人にとって、本当に強くなるには今何が必要なのかを考えることを大事にしているそうです。
選手はみな、それぞれ障害を持ち、背景も性格も人それぞれ。
そういうことも汲み取りながら、その人にとって最大限に力を出すにはどうしたらいいかということを考えることが、目標を達成するための最短距離だと話します。
現場では、その選手の「良いところを褒めることと、より良くなるところをちゃんと伝えること」を心がけて、指導にあたられています。例えば、「ここからのシュート抜群だよ。でも、あそこからのシュートができるようになったらもっといいよ、だからそれをやろうよ」というように。
それは、及川HCが指導を始めた頃のある経験から導かれたものでした。
「僕の良くないところはどこですか?」
「僕の何を直せば、日本代表になれますか?」
当時、選手からそのような質問を受けることが多く、「できないことを直せばゴールにたどり着く」というロジックをしていることに、がっかりしたといいます。
今、自分たちが行こうとしているのは、“世界のトップ”。
それは「今の自分では全くたどり着かない」ところ。
だとしたら、できないことを直すということではなく、いいところをちゃんと残して、より良く、より強くなるところを育てていくのが目標に近づくことだと考えるようにしているそうです。
及川HCが指導者として喜びを感じるのは、「選手たちが勝手にやってくれた時」。
2018年を振り返ると、その喜びを一番感じたのが、6月に開催された国際親善大会『三菱電機 WORLD CHALLENGE CUP2018』だったと目を細めました。
「この大会の時、僕はほとんど何もしなかったんです。選手たちを、本当に素晴らしい、素晴らしいと思いながら見ていました」
オーストラリア、カナダ、ドイツという世界の強豪を相手に、全勝優勝を果たした日本代表。
優勝を喜ぶ選手たちを温かく見守る及川HCの姿はとても印象的でした。
世界選手権に数々の国際大会、海外遠征や強化合宿と休むことなく駆け抜けた一年。
そんな2018年を、及川HCは『希望』と表しました。
「今までメダルメダルと言ってはみたものの、ずっと9位で、机上の空論的なところがありました。でも、今年『メダルを絶対獲りにいく』と決めて取り組んだことで、いろんなことがわかって、いろんなアイデアも出てきて、いろんなご縁もできました。三菱電機 WORLD CHALLENGE CUP2018で優勝して、世界選手権ではヨーロッパチャンピオンにも勝ち、アジアパラ競技大会では、世界選手権4位のイランに2点差で負けてはしまいましたが、接戦に持ち込めるような力もつき、2020年にメダルを獲りにいくという希望が見えました。選手も含めてみんなで頑張って作った功績が『希望』です。今年は本当に希望を見せてくれた年だったなと思います」
東京2020パラリンピックを翌年に控え、車いすバスケットボール男子日本代表は、2019年も走り続けます。
2018年の「希望」が、2020にどう繋がっていくのか。
今年も車いすバスケットボール男子日本代表から目が離せません。
最後に、上をめざして進もうとする方に伝えたい“Going Up”な一言を伺いました。
『今が一番大事!』
常に心がけているのは、“今”が“一番”大事だということ。ああなりたい、こうなりたいという妄想ばかりで時間を過ごしてしまうと、今の大切なことを見逃したりすることがすごく多い。“今”が全てに繋がってるので、今のつながりの中で、自分ができることが何なのかということを常に考えるように務めていると、この言葉に込められた意味を教えていただきました。
及川晋平HCのリクエスト曲: Good Riddane (Time of Your Life) / Green Day
ご自身の人生といったパーソナルなところにすごく関係しているという曲。まだ英語がちょっとつたなかった時代に「想像もできないようなことが起こっても、最後は『良かったね』ってなるといいよね」と歌っているようだと自分なりに理解して、よく聴いていたそうです。