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2021年8月20日
フォトグラファー・越智貴雄さん (1)

8月14日(15日)のゲストは、フォトグラファーの越智貴雄(おち・たかお)さんでした。

越智さんは、2000年のパラリンピック・シドニー大会からパラスポーツの最前線で撮影と取材をされており、アスリートたちの息づかいや現場の熱気が伝わってくる作品はとても魅力的です。

 

これまで夏季と冬季を合わせて10大会のパラリンピックを取材している越智さんですが、東京2020大会はコロナ禍の中での開催とあって「今までの大会とは違って盛り上がるという気持ちにはなれない」と話します。

それでも、「選手の積み上げてきたものを見て来たので、しっかりと写真に収めたい」と本番に向けて準備を進めています。

 

コロナ禍の中での取材は感染症対策をしっかり施しながら慎重に行い、リモートでの撮影を試みたりと試行錯誤を繰り返したといいます。

パラリンピックの競技会場ではカメラマンの数が制限されるため、遠い位置からでも撮影ができるよう超望遠レンズを新たに購入したそうです。

 

史上初めて1年の延期となった東京2020大会。

「選手を見ていると心がぎゅっとなることが多かった」と越智さんはこの1年を振り返ります。

アスリートは自分自身や周りの人が感染しないように細心の注意をはらい、合宿地や練習場所にも迷惑をかけないように常にPCR検査を受けてトレーニングに臨みました。

また、SNSやネット等には大会中止やアスリートに対するネガティブなコメントがあふれかえっていて、気持ちを保つのにも難しい状況がありました。

そんな中でも大会を開催するとしている以上、練習を止めずにできる限りの準備をしてきました。

 

越智さんが2016年からずっと取材を続けてきた選手がいます。

カヌー日本代表の瀬立モニカ(せりゅう・もにか)選手です。

これまで100日以上にわたり密着取材をし、瀬立選手が2018年から冬場に長期合宿をしている沖縄県大宜味村の塩屋湾にも足を運びました。

瀬立選手が塩屋湾で練習を始めた頃。いきなり車いすの若い女性がきて、村の方たちもどう接してよいかわからず見て見ぬふりをしていたそうです。

ある日、瀬立選手のコーチのボートが壊れて、村の方が直してくれたことがありました。

その時「ありがとう」と瀬立選手が笑顔でお礼を言うと一気に打ち解けたといいます。

 

階段は大変だからと練習場や宿に村人がスロープを作ってくれたり、瀬立選手も「ゆんたく」に毎日のように顔を出したりと交流が生まれていきました。

時には「バーバーモニカ」を開いて、ガジュマルの木の下で瀬立選手が散髪をしたこともあるそうです。

越智さんも「バーバーモニカ」でカットを体験。仕上がりはでこぼこしていたそうですが(笑)それでも村民のみなさんはとても喜んでいたといいます。

「私ひとりではなく、みんなで金メダルを獲りにいく!」

村の人たちの応援を力に変えて、パラリンピックに挑みます。

 

20年以上にわたりパラスポーツの現場を見てきた越智さんは、東京2020オリンピック・パラリンピック開催が決まった2013年以降、日本社会での変化をこのように語ります。

「東京2020大会の開催が決定して、『パラリンピック』という言葉が知られるようになりました。そうして、パラリンピックがひとつの夢になりました。パラリンピックを目指したいと思う人が増えたのはとても大きなことです」

しかしその一方で、誰もが今すぐにスポーツをできる環境にあるかというと、まだまだ遠いのが現状だと課題を口にします。義足や車いすなどパラスポーツを行うには道具が必要なこともあって、東京近郊以外では環境が整っていないことも理由のひとつ。

パラスポーツが日本全国に広がっていってくれれば、と思いを述べました。

 

多くのアスリートにとっての「夢の舞台」、東京2020パラリンピックがもうすぐ開幕します。

次回は、越智さん注目の選手や競技について伺います。

どうぞ、お楽しみに!

2021年8月13日
東京2020パラリンピック日本代表SP Vol.7-2

「東京2020パラリンピック日本代表スペシャル」第7弾。

 

続いては、車いすフェンシングの加納慎太郎(かのう・しんたろう)選手です。

小学生で剣道を始めた加納選手は、16歳のとき交通事故により足を切断。28歳で車いすフェンシングに出会い、その緊張感、スピード感、迫力、駆け引き、そして戦い終えた後の選手同士の握手に、魅了されました。日本代表として国際大会に出場し世界レベルを痛感させられたことでより本格的に競技に取り組むようになったと話していました。

鈴木さんは、動画「鈴木亮平の熱血!パラリンピックスポーツチャレンジ」で車いすフェンシングを体験し、加納選手と対戦!

果たして結果は…? ぜひパラリンピックの予習を兼ねて動画をご覧ください!

鈴木さんから一言:「加納選手はフォトジェニック。マスク取ったときのイケメンな素顔にも注目です!」

 

そして、パラリンピック初出場、車いすテニスの田中愛美(たなか・まなみ)選手です。

中学で部活としてテニスを始めますが、高校生の時に怪我で車いす生活になります。退院後、車いすでテニス部に復活すると、「一歩上の何かを成し遂げることで、学校で助けてくれた同級生や周りの人に恩返しをしたい」とテニスプレーヤーになることを決意。

そして、年齢の近い上地結衣選手が世界で戦っていることに衝撃を受けてパラリンピックを目指すようになりました。

原動力は「お米」と即答する笑顔が素敵な田中選手。Going Upな一言は「その一球に魂を!」です。

 

続いて、陸上・女子走り幅跳び(膝から下の義足クラス)の高桑早生(たかくわ・さき)選手です。

ロンドンとリオに続き、3大会連続でパラリンピック日本代表に選ばれました。

自身初のパラリンピックとなったロンドン大会を「何も背負うものがなくチャレンジャー精神で臨んだ。大会の雰囲気や観客の歓声を全身で楽しみながらひたすら走った大会」だと振り返る高桑選手。

リオ大会では、100m予選でアジア記録を更新し8位入賞、そして200mでは7位、走り幅跳びでは5位入賞を果たしました。(ロンドン大会から)4年あったのだからもっとできたのではないかという思いは残ったものの、「大きな舞台で記録を残せたのは自信になったし、まだまだ行けると感じた大会」だったと話していました。

高桑選手にとって、東京2020大会はどんな大会となるのでしょうか。

 

そして、ボート競技でパラリンピックに初出場する有安諒平(ありやす・りょうへい)選手です。

アメリカ・サンフランシスコで生まれで5歳頃に日本に帰国。大学時代に視覚障がい者柔道を始め強化選手として活躍しました。2017年にボート競技へと転向し競技歴4年でパラリンピック出場を勝ち取りました。

有安選手が出場するPR3は男女2人ずつの選手とコックスと呼ばれる舵手でボートに乗る種目。

視覚障がいと肢体不自由の選手が対象で、組み合わせは自由(視覚障がい選手は2名まで)です。

有安選手は視覚障がいの男子選手ということで、「エンジンとして働くことが求められる」ポジション。

そのため、毎日ハードなトレーニングが欠かせません。

ボートを漕ぐ時の動きは、下半身とお尻を使う“デッドリフト”の動きが一番近いといい、「2000mの距離を200~250回で漕ぎ切るので、全力で200回デッドリフトをやるような競技」だと、有安選手は笑いながら語りました。

鈴木さんはドラマでボート(レガッタ)の経験があり、その大変さを知るだけに共感することも多かったようです。

 

次にご紹介するのは、トライアスロンの宇田秀生(うだ・ひでき)選手です。

子供のころの夢はJリーガー。小学校から大学までサッカーひと筋、高校時代には滋賀県代表にも選ばれました。その後、仕事中の事故で右腕を失いリハビリとしてトライアスロンを始めた宇田選手。

2017年7月には世界ランキング1位に輝き、昨年10月のワールドカップでは2位、今年5月の世界シリーズ横浜大会では3位と国際大会で上位の成績を次々と残し、パラリンピックの切符をつかみました。

新型コロナウイルスの感染拡大による(昨年の)外出自粛期間には「人生で1番練習したかもしれない」と言うほどトレーニングに励んだと話す宇田選手。

決戦は8月28日(土)です!

 

最後を飾るのは、土田和歌子(つちだ・わかこ)選手です。

日本人史上初の夏季・冬季パラリンピック金メダリストで、1994年のリレハンメル冬季大会から2016年リオまで、夏冬合わせてパラリンピック7大会に出場したレジェンドです。

これまで怪我に苦しむことも多く、北京大会では5000mレース中にクラッシュに巻き込まれ2か月間、寝たきりの生活を余儀なくされました。また、リオ大会ではマラソン(車いす)で1位とわずか1秒差の4位と悔しい思いをしましたが、自分にまだ可能性を感じ、地元・東京で開催されるパラリンピックに向け陸上とトライアスロン両方での出場を目指し、見事、その目標を実現させました。

Going Upな一言は「逆境に耐えて咲く花こそ美しい」。

ここでの“花”は、泥水の濃度が濃いほど大輪の花を咲かせると言われている蓮の花。

この一言からも土田選手の人生と人柄がうかがえます。

ぜひ、大きく、誇らしく咲く花を、東京2020パラリンピックの舞台で見たいですね。

2021年8月13日
東京2020パラリンピック日本代表SP Vol.7-1

ニッポン放送では東京2020オリンピック中継のため、8月7日の放送が休止となりました。

期間限定で当日の放送を公開しておりますので、このアーカイブ記事下をご覧頂きお聴きください!

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東京2020オリンピックが閉幕しました。

数々の名ドラマが生まれた今大会、みなさんの心に残ったのはどんなシーンでしょうか?

鈴木亮平さんも忙しいスケジュールの合間を縫ってオリンピックをチェック。日本史上初の金メダルに輝いたフェンシング・エペ団体の宇山賢選手や、スケートボードの西矢椛選手、柔道・永瀬貴規選手の金メダル…等、アスリートたちの偉業を称えながら感慨深そうに話していましたね。

そして、東京2020大会のバトンは、オリンピックからパラリンピックへと引き継がれます。

 

今回は「東京2020パラリンピック日本代表スペシャル」第7弾。

東京2020パラリンピックで活躍が期待される日本代表選手たちをGoing Upご出演時のエピソードとともにご紹介します。

 

まずは、5人制サッカー(ブラインドサッカー)の川村怜(かわむら・りょう)選手です。

日本代表キャプテンで、エースストライカーという頼もしい存在です。

5人制サッカー日本代表は初のパラリンピック出場となります。

川村選手は東京2020パラリンピックに向けて、「日本が勝利する姿をお見せできるように、身体を張って全力で闘います!」と意気込みを語っています。

5月30日~6月5日には「IBSA ブラインドサッカー ワールドグランプリ 2021 in 品川」が開催され、パラリンピックに出場する8ヵ国のうち日本を含む5ヵ国が出場(日本、アルゼンチン、スペイン、タイ、フランス)。

パラリンピック前哨戦とも言える大会で日本(世界ランキング12位)は準優勝!決勝ではアルゼンチン(同1位)に0-2で敗れたものの、5ヵ国総当たりの予選ラウンドでは2勝2引き分けと負けなしの成績で、本番に向けて手応えを感じる大会となりました。

そして、日本サッカー界では「Team Football Japan 2020 プロジェクト」が発足。

オリンピックに出場した男子(U-24)日本代表となでしこジャパン、そして、パラリンピックに出場する5人制サッカーの 3 カテゴリーが史上初めて同じユニフォームを着て戦います。

 

続いて、東京2020パラリンピックで初めて正式競技として行われるバドミントン競技に出場する藤原大輔(ふじはら・だいすけ)選手です。

小学3年生の時にバドミントンを始め、高校2年生でパラバドミントンに出会いました。

パラリンピックのバドミントンには大きく分けて、車いすと立位(立ってプレー)の2つのカテゴリーがあり、藤原選手は立位の足に障がいがあるクラスで、義足でプレーします。

藤原選手の義足はいわゆる「膝」の部分は折れていない棒状。バドミントンは陸上のように前に走るだけではなく横や斜め、後ろの動きもあるため義足のコントロールが難しく、膝が折れるとこけてしまうので固定しているということです。

得意のジャンピングスマッシュと併せてフットワークにも注目ですね!

 

そして、同じくバドミントンの杉野明子(すぎの・あきこ)選手。立位の腕に障がいのあるクラスです。

中学でバドミントン部に入部し、高校、大学と健常者とプレー。大学2年から本格的にパラバドミントンに取り組みました。

東京2020パラリンピックではシングルスとミックス(混合)ダブルスに出場する杉野選手。ダブルスでペアを組むのは、藤原大輔選手です。

東京2020パラリンピックに向けて、このように決意を述べました。

「悩み、迷い、苦しみながらもここまで来ることが出来たのは沢山の方々からの支えがあったからこそです。初めてのパラリンピック。感謝の気持ちを胸に今できることを精一杯やり切って、本番の舞台では 1 秒でも長くコート上でプレーできるように全力で挑みます」

 

次に紹介するのは、馬術の稲葉将(いなば・しょう)選手です。

12歳の時、ホースセラピーをやっている乗馬クラブを母親が新聞で見つけ、リハビリのため乗馬を始めました。東京2020大会の開催決定がきっかけとなり、大学生の時に本格的に競技として取り組み、競技歴4年でパラリンピック日本代表に選ばれました。

趣味はプロ野球観戦。好きな選手は、楽天の則本昂大投手だと番組出演時に話していました。

「決勝に残りメダル獲得を目指して頑張っていきたい」と自身初のパラリンピックに向けて意気込みを語りました。

 

そして、同じく馬術に出場するのが、高嶋活士(たかしま・かつじ)選手です。

父親の勧めで競馬学校に進学し、日本中央競馬会(JRA)騎手としてデビュー。しかし、障害レース中の落馬で重傷を負い引退となりました。

そんな時、先輩がパラ馬術をやっているのを知り、そういう世界があるんだとパラ馬術を始めます。

「選手は障がいがある中でいかに馬をきれいに格好よく動かすかを工夫しています。馬のきれいな動きを見るのが一番の魅力です」と語る高嶋選手。

東京2020大会では「70%以上の成績をとって入賞したい」と話していました。