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1月25日(26日)の放送では、前回に引き続き、トライアスロンの高橋勇市(たかはし・ゆういち)選手をゲストにお迎えしました。
2004年のアテネパラリンピック・マラソン(視覚障がいのクラス)で金メダルを獲得した高橋選手は、2018年にトライアスロンへと転向。
50歳を過ぎてからの挑戦ということで、戸惑いもあったといいます。
何が何でも東京パラリンピックに出たいという思いで転向を決め、2017年10月から水泳の練習を開始しましたが、泳ぎ始めた当初は、10mぐらい泳ぐと息継ぎができなくて立ち上がってしまうという状態だったそうです。
泳いでは立ち、泳いでは立ちながらやっと25mを泳いでいましたが、2~3ヶ月辛抱強く練習に励むと、そのうち25m泳げるようになり、沈んでいた体が少しずつ浮き息継ぎもできるようになっていきました。
視覚障がいのクラスでは、自転車は前後2人乗りのタンデム自転車で競技を行います。
スイム、バイク、ランの3種目の総合タイムで競われるトライアスロンでは、それぞれの種目へと移りかわる「トランジション」にかかった時間も含まれます。
2018年に初めてトライアスロンの大会(横浜)に出場した時、トランジションの時間もカウントされるということを知らず、泳ぎ終わった後、のんびりしていたというエピソードを明かした高橋選手(笑)
実は、そうなるのも仕方がないと思うような大ハプニングが起きていたのでした。
視覚障がいのクラスの選手は、目の代わりとなる「ガイド」と呼ばれる方と一緒にレースに出場しますが、ランの時には伴走ロープの両端をお互い手で持ち、スイムの時には伴泳ロープを片方ずつお互いの脚に結ぶなどして、つながっています。
ところが、最初の種目であるスイムの時、高橋選手とガイドの脚をつないでいたはずのロープが波に引っ張られて、足からするすると滑って外れたのです。
ガイドはそれに気づかず先に行ってしまったため、高橋選手はどちらに泳いでいいかわからなくなり、必死に犬かきをしながら、「すみませ〜ん」と叫びました。
それで、ようやくガイドが気づき、戻って来て水に潜り、脚にロープをはめ直してくれたそうです。
そうして再び泳ぎだしたものの、また外れてしまったそうで、人生初のトライアスロンの大会は、まさに命がけのレースとなりました。
そんな高橋選手にトライアスロンの魅力を伺うと、「ゴールまで結果がわかないこと」だと話します。
選手によって得意分野があり、水泳が得意な人、自転車が得意な人、走りが得意な人、トランジションが早い人…いろいろなタイプの選手がいるので、最初はリードしていても、その後の種目で抜かれるということがよくあります。それに、例えば、自転車がパンクをするというようなトラブルが起きることもあります。
そのため、競技というよりはゲーム感覚で観客は楽しむことができて、見ていて飽きることがないのです。
まだトライアスロンを見たことがないという方、ぜひ一度、レースを間近で体感してみてはいかがでしょうか。
東京2020パラリンピックに向けて、一日一日カウントダウンされていく今、高橋選手は「まずは日本代表になることを目指して頑張ります。そして、東京2020大会で日本代表として、メダルを獲りにいきたいと思います!」と力強く意気込みを語りました。
最後に、上をめざして進もうとする方に伝えたい“Going Upな一言”を伺いました。
『夢はあきらめなければ叶う』
高橋選手はこの言葉を胸に、もうすぐ行われる最後の選考レースに向けて、練習に励んでいます。
1月18日(19日)の放送では、トライアスロンの高橋勇市(たかはし・ゆういち)選手をお迎えしてお送りしました。
高橋選手は、2018年から本格的にトライアスロンに取り組んでいらっしゃいますが、それまでマラソン選手として輝かしい実績を残してこられました。
2004年、アテネパラリンピックの半年前に出場した大会で当時の世界記録を更新、アテネパラリンピック本番では、マラソン(視覚障がいのクラス)で金メダルを獲得しました。
そして、2006年に開催された世界選手権でも金メダルに輝いた高橋選手。
なんと、マラソンを始めたのは34歳のときでした。
中学では陸上部に所属し短距離と中距離が専門でしたが、いい記録が出ず、中学の3年間で陸上競技を終えました。
そんな高橋選手が34歳でマラソンを始めようと思ったきっかけとなったのが、アトランタパラリンピックで日本人選手がマラソンで金メダルを獲ったというニュースをラジオで聞いたことでした。
「その時に生まれて初めてパラリンピックという言葉を聞きました。全盲の選手がマラソンで金メダルを獲ったと聞いてすごいなと思いました」
その時、高橋選手がふと思い出したのは、小学校の頃に走っていた自分。
小学校5年生の時に病気で3ヶ月入院したそうですが、退院して学校に行くとちょうど運動会があり、先生に言われて(運動会で)走ったものの、結果は最下位でした。
そのことが悔しくて、6年生になったら絶対に一等賞をとってやろうと決心した高橋選手は、そこから1年間、休み時間に一生懸命練習したそうです。
そうして、6年生の時には、生まれて初めて一等賞を獲ることができました。
その感動がずっと忘れられず、20年以上経ってラジオでパラリンピックの話を聞いた時、当時の自分の姿が頭の中に浮かんできたといいます。
「自分もがんばれば日本代表になれるかもしれない、金メダルが獲れるかもしれない」
そんな思いからマラソンを始めました。
練習を始めた当時、フルマラソンのタイムは5時間以上。ところが、その3ヶ月後には4時間8分と1時間半もタイムを縮めます。
走るごとに記録が伸びるのが楽しかったといいます。
そうして、日本代表として出場したアテネパラリンピックでは2時間40分台で走り、見事、金メダルに輝きました!
2013年に東京2020オリンピック・パラリンピックの開催が決まり、東京大会には何が何でも出場したいと思ったという高橋選手。
しかし、年齢的なこともあり、マラソンでは記録が伸びず、何か違う種目で東京大会に出られないかと考え、いろいろな競技を体験したそうです。
トライアスロンと出会った時、最後にランがあるので、水泳とバイク(自転車)さえしっかりこなせれば、いけるかもしれないと可能性を感じ、トライアスロンへの転向を決めました。
50歳を過ぎてからの決断。
次回は、そのトライアスロンへの挑戦に迫ります。
1月11日(12日)の放送では、前回に引き続き、日本財団パラリンピックサポートセンター・山脇康会長をゲストにお迎えしてお送りしました。
現在、国際パラリンピック委員会の理事を務めていらっしゃる山脇さん。
開幕まで、あと7ヶ月あまりとなった、東京2020パラリンピックについて「史上最高のパラリンピックができると確信しています」と熱く語られました。
2012年ロンドン大会のような素晴らしい運営・コンセプト・準備、そして、前回のリオ大会のような人々の熱狂。
その両方を合わせ、そこに、昨年のラグビーワールドカップでやったような、東京だけではなく地方も、そして地元でキャンプをした外国のチームを盛り上げるというような日本人のホスピタリティが組み合わされば、史上最高の大会になると言葉に力を込めます。
ラグビーのワールドカップでは、各会場の盛り上がりもすごかったですが、例えば、ウェールズ代表チームがキャンプした時に、その地域の方が1万5千人も練習の見学に訪れ、ウェールズの国家を歌って応援したということがありました。
そのようなことは普通はありえないことで、日本全国が迎え入れて、そういう雰囲気になるのは、日本しかできないことだと山脇会長は言います。
東京2020大会でも、こういうことが日本全国で起き、競技場は大興奮・大熱狂の渦、そして、選手が活躍するような大会になるのではないかと話しました。
そして、パラリンピックをきっかけに社会も大きく変わっていきます。
「日本の社会は、多様性がなかったり、個性や違いがあると出る杭は打たれたり、違いをあまり認めないということがありました。そういうことのない、誰でも活躍できるような社会を作りたいというのが共通の目的です。パラリンピックを見たりアスリートに会うと、障がいというのは関係なくて、やれることをどんどんやって何でも挑戦するというのが大切だというように意識が変わります。それと、周りの環境です。車いすの人でも、目の見えない人でも、その環境を整えてバリアフリーにすると、障がいを気にせず行動できます。そういう社会のインフラや環境を整えること、あとは、雇用や教育の機会、スポーツの機会というものが東京大会の開催によって、その後もしっかりやらなければいけないと社会が変わっていきます。(東京大会を)お祭りとして楽しみながらも、やはりそのようなことを同時並行して、社会が変わるということが、パラリンピックの一番大きな意義だと思っています」
一方で、世界最大のパラスポーツ祭典を、お祭りとして楽しむためのアドバイスもいただきました。
大会に行ってルールを覚えてみたり体験会に行ったり、ウェブなどで情報を見たりしてパラスポーツに触れてみるのがいいということですが、やはり一番良いのは「パラリンピックのファンになる」ということ。
「22競技もあるので、好きな選手・好きな競技を見つけて、パラリンピックのファンになると、その楽しみは倍増します。にわかファンも歓迎ですが、見てもらうとすぐファンになってしまいますよ」と自信たっぷり、笑顔で話していらっしゃいました。
そして、パラリンピックには、オリンピックの記録を超えるようなすごい選手も出場しますが、一方で、「重い障がいがありながら、すごいことをやる選手もたくさん出場します。そういう選手にもぜひ注目してほしい」と締めくくりました。
最後に、上をめざして進もうとする方に伝えたい“Going Upな一言”を伺いました。
『 i enjoy!』 『PASSION』
「人を楽しませるためには、まず自分から楽しむ。この楽しむ心とパッションがあれば、たいていのことはだいたいできてしまうと思うので、ラジオを聞いているみなさんもこのふたつで新しいことにぜひチャレンジしていただきたいと思います!」とメッセージをいただきました。
山脇康会長のリクエスト曲:トランスフォーマー
リオパラリンピックのハイライト映像で使用されている曲。心を変える、社会を変えるという意味が込められた曲だということです。