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東京2020パラリンピック スペシャル!
今回は、パラリンピックにかける思いと涙、そして、自分たちが信じてきた「日本ラグビー」で人々の心を震わせた、車いすラグビー日本代表の3選手にご出演頂きました!
トップバッターは、パラリンピック日本代表初の女性選手として活躍した、倉橋香衣(くらはし・かえ)選手です。
「まずはパラリンピックが開催されて良かったという思いが一番強いです。そして、銅メダルという結果に対しては『悔しい』という気持ちの方が大きいです。でも応援してくれる人たちに、帰って来て『おめでとう』と言われて、銅メダルを獲れてよかったなと思っています」
車いすラグビーの体験をして、ミニゲームで一緒にプレーした選手たちがパラリンピックの舞台で活躍するのをみて、ものすごく感動したと話す鈴木亮平さん。
「みんなこんなに頑張っているのに、自分は頑張れているのだろうか」と思っていたと話し、選手たちのプレーから「明日がんばる力をたくさん頂いた」といいます。
倉橋選手のプレーでは、世界一とも言われるオーストラリアのライリー・バット選手を止め、派手に転倒させたシーンに「おー、かっけー!」とって思ったそうです。
「あそこまで倒れるとは私も思わなかったですけど(笑)ちょうどここに来たな、止めるのはここしかないと思って振り向いたら、ライリー選手の車いすにちゃんと引っかかって、(ライリー選手は)必死で池選手を追いかけて前のめりになっていたので、うまく飛んでいきました!笑」と、持ち前の笑顔でニコニコと語ってくれました。
初出場となったパラリンピックについては、「どの大会も同じ気持ちで臨んできましたが、でもやっぱり周りの応援だとか影響力、競技を知ってもらえたこと、そういうところではパラリンピックは(他の国際大会とは)全然違いました。そういう舞台に自分が立てたことがうれしいです」と率直な思いを語りました。
男女混合競技である車いすラグビー。
倉橋選手には「女性選手を増やしたい」という目標があります。
「自分に何ができるんやろうっていう感じですが、女性選手だけの『ウーマンズカップ』という大会に日本チームで参加したみたいに、国内で女性選手だけの大会ができたら楽しそうやなって思います」
その思いを込めて、最後に力強いメッセージを頂きました。
「みんなでラグビーしましょう!」
続いては、ディフェンスの要であり得点力でも貢献した今井友明(いまい・ともあき)選手です。
「喜び半分、悔しさ半分というのが正直な気持ちです。目標が金メダルだったので、そこに届かなかった、(リオ大会に続いて)また準決勝で負けてしまったということで、5年間やってもまた同じところだったという悔しさが今残っています」
東京2020パラリンピックでの最後の試合を終え、「ケビン・オアーHC(ヘッドコーチ)に金メダルをかけてあげられなくてごめんなさい」と、涙ながらに語った今井選手。
ケビンHCへの感謝の思いが綴られました。
「2017年にヘッドコーチに就任して、その後の日本の成長は2018年の世界選手権で金メダルを獲ったというところで証明できました。それに、実力もそうですが、選手としての気持ちの在り方やアスリートとしての気持ちの在り方、心も成長させてくれました」
そして、東京2020パラリンピックでの涙に込められたエピソードも明かしてくれました。
「試合が終わった瞬間、『金メダルを獲らせてあげられなくてごめんなさい』という言葉がケビンHCからありました。僕は悔しい気持ちとか涙をぐっとこらえて、準決勝の終わりまで耐えていましたが、その言葉をもらった瞬間に泣き崩れてしまって…今思い返すだけでも涙が込み上げてくるんですけど…本当に日本に対しての愛情が深い監督で、日本人より日本の心がわかっているのではないかというくらいすばらしい監督です」
ケビン・オアーHCは2024年のパリ大会まで続投することが決まっています。
今後も、日本代表とケビン・オアーHCのジャーニーは続きます。
そして、パラリンピックの結果を受けて、世界ランキングにも変動がありました。
日本はランキングをひとつ上げ、世界ランキング2位。今井選手は気を引き締めて語ります。
「目指すべきところはパラリンピックの金メダルだと思っています。3年後のパリに向けてさらに実力を上げていく必要がありますし、ランキング2位というところに留まらず、ランキング1位に上げるべく国際大会でも良い結果を残していかなければなりません。そして、今いるメンバーだけではなく、若手の育成など日本全体の底上げを図っていく必要があると思っています」
最後に、リスナーへのメッセージを頂きました。
「たくさん声援を頂いてそれが僕たちの力になって、この結果を獲れたと思っています。本当に応援してくれたみなさんに感謝をしています!」
そして、日本代表キャプテンの池透暢(いけ・ゆきのぶ)選手にもご出演頂きました。
「(パラリンピックから)悔しさがずっと残った状態で、大会が終わってメダルをかけてもらって、選手村を退村して、地元・高知に帰る飛行機の中でもまた悔しさをぐっと思い出すほど、かけてきたものは大きいものでした。その悔しさからまだ抜け出せず…そういうところにまだいますね」
その言葉を聞いて、鈴木さんは「ただ、私たちはそんなみなさんの悔し涙を見て感動し、そこから心折れずに銅メダルを獲っていった不屈の精神に感動しました。おそらく金メダルでも銀メダルでも感動したと思いますが、それに負けない感動を銅メダルで頂いたと思っています」と思いを伝えました。
「それは本当に嬉しい言葉ですね。パラリンピックの競技を見て、オリンピックに負けないくらいの感動をもらったと言ってくださる方々がたくさんいたり、結果以上の応援や思いが僕たちに伝わったというのが、金メダル以上の喜びなんだなということは感じました」
そして話題は、準決勝でイギリスに敗れ、3位決定戦に臨むまでの過程に及びました。
「この悔しさやいろいろな思いは、このコートに置いていけ」
準決勝の会場でケビンHCは、そう選手たちに話したそうです。
ただ、5年をかけて、いろいろなものを犠牲にしながら本気で取り組んできた東京パラリンピックへの思いを、そう簡単にコントロールできるわけもなく、帰りのバスの中で誰一人として話をする人はいなかったといいます。
「選手だけでミーティングをやろう」 池選手はメンバーに呼びかけました。
「その瞬間に立て直すことが大事ではなくて、明日の試合の前までにそれぞれのやり方で、これまでやってきたことを振り返って、最高の状態までまた戻すということが大切だと思っていました。たくさんの人が応援してくれて金メダルを期待されて、明日自分たちがこの悔しさから抜け出せずに、情けない試合をして4位で負けて帰るというのは一番やってはいけないこと。それは一番アスリートとして『ダサい』ことだとみんなに話しました。自分たちが金メダルを求めるよりも、近くでずっと支えてくれた人、応援してくれている人は、結果じゃないところに心を動かされて自分たちを支えてきたんだ。そこをアスリートは一番大切にしなければいけない。銅メダルなんていらないという選手はたぶんいると思うけれども、そこの銅メダルではなく、自分たちがやってきたことを証明するためにも、今できる最高の形が銅メダルだし、自分たちの最高のプレーを見せるということがとても大切だと伝えました」
思いを口にする選手、言葉にならない選手、涙を流す選手、様子は選手それぞれだったといいます。
「泣き足りなければ部屋に帰って涙を流して自分なりの切り替えをしてくれたらいい」
そうして、ミーティングは終わりました。
その翌日。
3位決定戦のコートには、ディフェンスもオフェンスも攻撃的に、そして最後までハードワークし続ける「日本のラグビー」がありました。
「一度負けてしまうと、背中に背負っていたプレッシャーみたいなものがみんな取れて、今までやってきたことの最高のラグビーをみんなでやろう、そしてそれを楽しもうという気持ちで試合に臨みました。自分自身も、やってきたこと、この5年間の長かった苦しみというものを最後、楽しみに変えてやろうとプレーしました。胸を張って、これが俺たちのラグビーだ!というものをみんなで出せたと思います」
ここで多くを語らずとも、その思いはしっかり届けられました。
最後に、東京2020大会を終えての思いを池選手に伺いました。
「今回、初出場の5名がかなり成長を見せてくれましたが、育成選手やこれから競技を始める選手たちが増えるように裾野を広げていくことが、パリ大会、またその後も競技が発展していくためにすごく大切なことなので、そこにまずは力を入れるべきだと思います。自分自身も年齢が40歳になり、選手生命が短くなってきていますけが、これからのために動ければ良いのかなと思っています。なので、悔しさから抜け出せない、悔しさをエネルギーにすることもとても大切ですけれども、一度冷静に考えて、自分がどの方向に力を発揮することがこれからのためになるのかということも同時に考えながら、チームに関わっていけたらなと思っています」
ここで番組から大切なお知らせがございます。
リオ2016パラリンピック閉幕直後の、2016年10月に始まった「鈴木亮平 Going Up」。
5年にわたってパラスポーツの魅力をお伝えしてきましたが、次回の放送が最終回となります。
今回に引き続き、5年間の集大成として「東京2020パラリンピック」に出場したアスリートの方々と、東京2020大会を振り返ります。
どうぞ、どうぞ、お楽しみに!!
9月11日の放送では前回に引き続き、東京2020オリンピック フェンシング・男子エペ団体で金メダルを獲得した宇山賢(うやま・さとる)選手にご出演頂きました。
中学、高校時代にはバンド活動をしていたという宇山選手。ドラムにギター、ピアノと音楽でも多彩な才能を発揮されています。
今回はまず、東京2020大会の選手村についてお話を伺いました。
選ばれた人のみが入れる選手村。その特別感を感じられる空間は「楽しかった」と話します。
日本の文化を紹介するブースがあったり、「美味しい!」と話題なった24時間利用できるダイニングではカレーやラーメンが人気だったそうです。そこに自分なりのトッピングや味を加えて楽しむ選手が多かったとのこと。
そして、もうひとつ話題になった段ボール製のベッドも快適だったと話していました。
話は、日本フェンシング界・初の金メダル獲得へと至った、リオデジャネイロ大会からの取り組みに及びました。
ロンドンオリンピック銀メダリストの太田雄貴さんが日本フェンシング協会・会長に就任後、「突け心を」をスローガンに国内で様々な改革を行いました。
直接フェンシングを会場で観てもらいたいとの思いから、大会にエンターテイメント性を取り入れ、ルールの説明(※)や、剣の軌道(軌跡)を見えやすくするシステムを開発して、分かりやすい解説を試合に行いました。
※種目ごとにルール説明動画を制作したほか、大会では太田・前会長や選手が自らマイクを持って観戦ポイントを説明することもありました。
試合会場をこれまでの常識では考えられなかった「劇場」に移し、演出にもこだわりながら「ショー」としても楽しめる空間を作り上げました。
ただ、この舞台で試合ができるのは、年に1回開催される全日本選手権で決勝に進んだ選手のみ。
選手からすると「だいぶ遠い」「関門が多い」ステージだと言いますが、話題が話題を呼び、2013年の全日本選手権(来場者150名、代々木第一体育館)と比較すると、2017年にはその10倍以上となる1600名が観戦(駒沢体育館)に訪れました。
2018年は普段演劇などが行われる東京グローブ座に舞台を移し、会場演出もさらにパワーアップ、(収容人数の都合上)来場者は700名だったものの、チケットは即完売となりました。
そして、2019年には渋谷公会堂で3500名を動員し、2年間で2倍以上、6年前と比べると20倍以上の方がフェンシングを観戦しました。
また、アスリート委員会(選手会)が中心となり、選手主導の「ファン感謝祭」も開催しました。
宇山選手はこのような活動を通して「人間性の成長」を感じたと話し、例えば会場の手配ひとつをとっても、外部とのやりとりや言葉遣い等、ビジネスに必要な知識やマナーが養われたと振り返ります。
その先に東京オリンピックでの輝かしい結果があり、そこでさらに世間の注目度が上がりました。
これからのフェンシング界を盛り上げるために「体験会や大会を通して、フェンシングの魅力を伝えていきたい」と思いを述べました。
最後に、これまでご自身を支えた、上をめざして進もうとする方に伝えたい“Going Upな一言”を伺いました。
『勝って兜の緒を締めよ』
過去の苦い経験から、この言葉を常に心に留めているという宇山選手。大きなことを成し遂げたからこそ謙虚でいなければいけない、現在の心境や姿勢を表している一言です。
次回は、東京2020パラリンピックで活躍したあの選手たちが登場します!
どうぞ、どうぞ、お楽しみに!!
9月4日放送のゲストは、東京2020オリンピック フェンシング・男子エペ団体 金メダリストの宇山賢(うやま・さとる)選手でした。
東京2020オリンピック フェンシング・男子エペ団体。
見延和靖(みのべ・かずやす) 選手、山田優(やまだ・まさる) 選手、加納虹輝(かのう・こうき) 選手、そして宇山賢選手の4人で臨んだ日本は、日本フェンシング界初の金メダルを獲得し、新たな歴史にその名を刻みました。
日本代表のジャージで、金メダルを持ってスタジオに現れた宇山選手。
鈴木さんは東京2020大会の金メダルを手にして感無量。宇山選手のご厚意で金メダルを首から下げてみたものの「これに見合うことをやってきた人しか、かけてはいけない」とすぐに首からはずし、改めてメダルの重みを感じていました。
金メダル獲得の瞬間、チームが輪になって飛び跳ねて喜ぶ姿が印象的でしたが、「オリンピックでメダルを獲ったというよりは、その日のパフォーマンスがうまくいって表彰台の一番高いところに上れたという気持ちが大きかった」と、宇山選手は当時の心境を語ります。
無観客での開催となり、普段の試合と変わらないようなイメージで試合ができたことが大きいと言い、表彰式で会場を見渡すと至るところに五輪のマーク。その時に、ようやくこれはオリンピックだったと気づいたそうです。
試合を振り返ると、初戦のアメリカ戦ではみんなが緊張していて、交替選手として後ろで見ていた宇山選手は「オリンピックという重圧にやられている」と感じていたといいます。
初戦の立ち上がりはどの国も慎重になりがちですが、日本チームは焦っているように見え、また、相手を見過ぎて自分たちの得意なところを出せてない、思い切りが足りないと感じながら試合を見守っていました。
(もしかしたら1回戦から自分の出番があるかもしれない)
宇山選手は心を整えました。
フェンシングでは「試合に出て初めて『オリンピック選手』となる」というきまりがあり、交替選手としてチームに帯同してきた宇山選手は「オリンピック選手」だと言えず悔しい思いをしてきました。
日本がアメリカに対して6点ビハインドという苦しい場面でピストに送り込まれることになった宇山選手。
それまで(オリンピック選手にはなれていないという)コンプレックスを抱えていたと胸の内を明かし、プレッシャーよりも「やっとフェンシングのオリンピック選手になれた」という安心感があった、とその時の心境を語ります。
交替選手=4番目の選手だと思われて、そのまま負けていくという展開だけは絶対に避けたいと考え、できる限りのシミュレーションをしてピストに上がりました。
相手選手が緊張しているのを感じ取った宇山選手は、好き放題に動いて得点を重ねていきます。
すると、それに呼応するかのようにアンカーの加納選手も伸び伸びとプレーしてアメリカに勝利。
続く、世界ランキング1位のフランスとの対戦、準決勝の韓国戦にも勝利し、決勝はROC(ロシアオリンピック委員会)。
準決勝から決勝まで3時間。
ROCには苦手意識のあった宇山選手は、その間に、情報分析の膨大なデータの中からROCのデータを抜きだし、自分が危ない時のシチュエーション、その時にやればいいことを頭に叩き込んでいきました。
試合で頭が真っ白になっても戦えるように、この時はこうするという決め事をいくつも持っておいて、その中から選択する。宇山選手はそうすることでメンタルを保ち、これまで戦ってきました。
そういった経験を活かし、決勝戦ではエース級の大活躍。
ベンチメンバーも含めた全員で勝利を掴み取り、日本フェンシング史上初の金メダルに輝きました。
「お礼、恩返しと呼べるものがようやくできました。支えてくれた方々に感謝を伝えていきたいです」
充実した表情で語っていました。
そして、金メダル獲得の裏には、選手たちの血のにじむような努力と同時に、日本フェンシング界の改革というものがありました。
次回は、そんなお話も伺ってみたいと思います。どうぞ、お楽しみに!
宇山賢選手のリクエスト曲:会心の一撃 / RADWIMPS
昔からいろいろな楽器に触れていて、バンド活動もしていたという宇山選手。その頃に出会ったのがRADWIMPSで、今でも試合で移動するバスの中で朝一番に聴いている曲だということです。