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2020年6月19日
日本パラリンピック委員会 河合純一委員長 (2)

6月13日(14日)の放送では、前回に引き続き、日本パラリンピック委員会委員長の河合純一さんと電話をつないでお話を伺いました。

 

河合さんは、世界のトップスイマーとして活躍されました。

17歳で1992年のバルセロナ大会に出場し、2012年のロンドン大会までパラリンピック6大会に連続出場を果たしました。金メダル5つを含む21個のメダルを獲得したレジェンドです。

 

当番組でゲストの方々に伺っている”Going Upな一言”、河合さんからは前回ご出演時に「夢への努力は今しかない」という言葉をいただきました。

これは、2000年のシドニーパラリンピックを目指すうえでご自身に言い聞かせていた言葉でした。

 

当時、教師として働いていた河合さんは、シドニー大会で金メダルを獲ることを目標に競技と仕事を両立する生活を送っていました。

その前のアトランタ大会では個人種目で金メダルを獲得しましたが、今度はリレー種目で仲間と一緒に世界一になりたい、という目標に向かってトレーニングを積んでいました。

 

大学生のときに出場したアトランタ大会。

自身2回目のパラリンピックで獲得した初の金メダルは、「応援してくれる人たちの声援やつながり」を教えてくれたといいます。

サポートしてくれる人たち、つながっている仲間たちに心の底から感謝の気持ちが湧き、その経験を通じて「僕には人と人をつなぐツールとしてスポーツ、水泳があるんだと思うことができた」と語ります。

 

その後、大学を卒業し社会人になったことで、練習環境は大きく変わりました。

教壇に立って子どもたちに授業をしたり、部活動や体育祭、合唱コンクール等、忙しく日常を過ごす中での競技生活は決して容易なものではありませんでした。

「先生はシドニーパラリンピックを目指すのか?」「もしパラリンピックを目指すのなら私も応援したい」…子どもたちからはそんな声が聞こえてきました。

それを受けて河合さんは、「もしかしたら自分が新たな夢を持つことが、子どもたちと一緒に夢を持つことに繋がるのではないか。そして、夢を叶えようとすることは決して平坦な道ではないということを伝えられるのではないか」という考えに達します。

「パラリンピックへの挑戦を通じて、子どもたちにダイレクトに伝えられるのは自分にしかできない役割なんだ」

その思いが、仕事との両立に悩みながらもチャレンジする気持ちにつながったと振り返りました。

 

河合さんご自身がスポーツから得た一番大きなものは「仲間」だと語ります。

視覚に障がいがある選手だけではなく、車いすの選手、義足の選手、知的障害のある選手…いろいろな障がいの人々と出会い、同じように世界を目指し、100分の1秒を縮めるために苦しい練習に取り組むなかで一体感が生まれたといいます。

そして、日々の練習や自分の目標を立てて取り組むことを通じて、「自らの可能性を信じる力」がついていったと話しました。

 

現在では、日本パラリンピック委員会委員長を務める河合さん。

最後に、来年のパラリンピックをより楽しむためのアドバイスをいただきました。

「興味を持ってもらうことが一番です。ラジオやテレビ、インターネット等、様々な形で情報を発信していますし、IPC(国際パラリンピック委員会)公認のパラリンピック教育プログラム『I’m POSSIBLE』を全国の小中学校、高校、特別支援学校などに配布して、パラリンピックの歴史や競技、選手について知ってもらうことで、来年の観戦意欲を高め、応援してもらえればと思います。そうして、子どもたちの心に残してもらえればいいなと思っています」

 

次回のゲストは、ラグビー元日本代表の廣瀬俊朗さんです。どうぞ、お楽しみに!

 

河合純一さんのリクエスト曲:終わりなき旅 / Mr.Children

若い頃、自分の前に立ちはだかる壁をどうやったらクリアできるのかと悩んだ時期もあったと話す河合さん。今になって振り返ると、その壁は、きっと君なら乗り越えられる、ぶち壊せる、突き抜けられると教えてくれていたのではと思うことがあるそうです。苦しい時、悩んでいる時、この曲を聴きながら練習をがんばっていた、というエピソードを明かしていただきました。

2020年6月12日
日本パラリンピック委員会 河合純一委員長 (1)

6月6日(7日)の放送では、日本パラリンピック委員会委員長の河合純一さんと電話をつないでお話を伺いました。

 

河合さんは、今年1月1日に委員長に就任されましたが、その直後に新型コロナウイルスの世界的大流行という事態に直面することになりました。

東京2020オリンピック・パラリンピックが1年延期になるなど、スポーツ界にも多大なる影響が及ぶなか、河合さんは選手たちに思いを寄せます。

「選手たちは医療従事者やインフラ関係の仕事をしている方々に対して本当にありがたさを感じていると思います。そして、こういう状況の中で、自分たちが今できることは何なのかを考え、いずれくるパラリンピック本番で良いパフォーマンスを発揮できるように準備をすることなんだと、気持ちを切り替えてくれているのではないかと思います」

 

感染拡大により予定されていた大会が中止、合宿や練習も数ヶ月できないという状況が続くなか不安を感じる選手もいました。

「そうですね。ただ、日本だけの話ではないと思っていますし、世界中で同じように来年の東京オリンピック・パラリンピックを目指しているアスリートたち、あるいはスポーツだけではなくて文化的な活動も含めてみんなが苦労しています。今まで当たり前のように人が集まり声援されて大会が開かれていたことに対して、当たり前ではなかったということに気づくと思いますし、だからこそ我々は今地球に試されているのではないのかなと私自身は思っています。なので、それにしっかりと応えて、来年より良い大会で選手たちが活躍できるよう準備に取り組んでいきたいと思っています」

 

視覚に障がいのある河合さんは、新型コロナウイルス感染予防対策として、できるだけ外出をせず在宅勤務をされていたということですが、生活面では難しさもあったと話します。

例えば、買い物の回数をなるべく減らしたくても、歩く時には片手に白杖を握っているため、持てる荷物の量が限られてしまったり、レジで並ぶときにソーシャルディスタンスを取りましょうと床にラインを引かれていても見えないので困ったといいます。

また、物を選ぶときも実際に触って自分の欲しいものかどうか確かめることもありますが、判別が難しい場合にはお店の方に見てもらいながら選ぶこともあり、そうするとどうしてもお店の方と距離が近づいてしまいます。

障がいのある方々がサポートをしてもらううえでは、距離が近くならざるを得ないこともあるので、本当に難しい判断を迫られていると感じたそうです。

 

日本パラリンピック委員会では今年2月、東京2020大会の成功とその先の社会に向けて「TEAM PARALYMPIC JAPAN」を結成しました。

これは、選手やコーチ、スタッフだけではなく、パラリンピックを応援したい、日本選手たちを応援したいという人たちも”One Team”なんだということを感じてもらえるシンボルを作りたい、という思いから生まれたといいます。

東京2020パラリンピックの大成功、なかでも会場を満員にすること、日本選手が大活躍することを大きな使命として定めていますが、この使命を達成するための後押しとなるのが、自国開催の最大のアドバンテージである大きな「声援」だと語ります。

一人でも多くの方に参加してもらって大きなムーブメントにしていけたら、と話しました。

 

「TEAM PARALYMPIC JAPAN」のスローガンは「超えろ、みんなで。」

このスローガンに込めた意味について伺いました。

「自分たちの限界というものを自分の中で心理的に決めてしまうことがあると思いますが、そういったものを超えていくという選手たちの強い思いが込められています。同時に、社会の中に潜んでいるバリアや偏見、固定概念、あるいは常識と言われているものを、新たなフェーズに変えていくために超えなければいけないという思いも込めています。東京2020パラリンピックが終わった後に、社会が本当に良くなっていったよねと感じてもらうためにも、『TEAM PARALYMPIC JAPAN』のメンバーたちが中心となり一緒に取り組んでいくことで、きっと2030年、2040年につながる大きなレガシーを作り上げていけるのではないかと思っています」

 

最後に、東京2020パラリンピックを目指すアスリートにメッセージをいただきました。

「今、厳しい状況の中で、トレーニングやいろいろな取り組みをされていると思いますが、自分たちがやってきたこと、そして、サポートしてくれている方たちを信じて、全力で準備していってほしいなと思います。何か不安なことや困ったことがあれば、競技団体はもちろん、我々、日本パラリンピック委員会も全力でサポートして大会本番に向かっていけるようにしたいと思っていますので、ぜひ、自分の可能性、自分の持っている力を信じて全力で取り組んでもらいたいと思います」

 

次回も、日本パラリンピック委員会の河合委員長にお話を伺います。

 

河合純一さんのリクエスト曲:Over Drive / JUDY AND MARY

2020年6月2日
日本ブラインドサッカー協会・松崎英吾さん (2)

5月30日(31日)の放送では、前回に引き続き、日本ブラインドサッカー協会・事務局長の松崎英吾さんと電話をつないでお話を伺いました。

 

松崎さんがブラインドサッカーと出会ったのは、大学生のとき。

最初は「たまたま知って見に行った」と話します。

「もともと視覚障がい者に理解があるとか、福祉関係の仕事に就きたいといった大学生ではなく、むしろ、あまり障がい者と接しないように、障がいとは関わりのないところで生きていました」

そんな松崎さんの考えを変えるきっかけとなったのが、友達と参加したブラインドサッカーの合宿でした。

初めて会ったある選手から「パスをしてみよう」と言われ、アイマスクをして、4~5m離れたところで音の鳴るボールを蹴り合いました。

 

実際にボールを蹴ってみると、「こっちだよ」と声を掛け合わなければ、相手がどこにいるのか、どこに蹴ったらいいのかわからない。

パスをしている瞬間は相手の声が必要だし、自分は相手にとって必要な声を出さなければいけない。

その時、「助ける、助けられるではなく、お互いに必要とし合う」という、フラットで公平な関係性ができていることに気づきます。

あっという間に20分が経ち、パス交換が終わる頃には障がいに対する偏見がなくなっていた、と当時を振り返りました。

 

大学を卒業した松崎さんは出版社に就職し、雑誌の記者として充実した日々を送っていました。

そして、ブラインドサッカーにはボランティアとして関わっていました。

ボランティア活動を続ける中で、大学生までの自分のように、障がいについて知らなかったり、障がいとの出会い方が少し違うだけで誤解をしている人がたくさんいるということを感じるようになります。

一方で、当時の障がい者スポーツの世界は、お金をもらいながら働ける環境ではなかったり、身近に障がい者のいない人たちには関係のない、“向こう側の世界の人“という見られ方をしていると思うこともあったと話します。

もし、自分がかつて体験したような出会い方をしながら広めていくことができれば、障がいに対する見方や障がい者スポーツ自体も変えていけるのではないか。

チャレンジしてみたい。

そう思った松崎さんは、ボランティアではなくしっかりと仕事としてやってみたいという考えから会社を辞め、日本ブラインドサッカー協会の職員として働き始めました。

 

そうして、2007年から事務局長を務めていらっしゃる松崎さん。

現在、思い描いているビジョンについて伺いました。

「協会の理念として『視覚障がい者と健常者が当たり前に混ざり合う社会の実現』を掲げています。障がい者スポーツは、障がい当事者がやることが大事で、その先に彼らが自立をしたり日常のコミュニティーで豊かな生活をすることが大事です。ですが、同時に、それを取り巻く多くの人たち、20代の頃の私のように自分には関係ないと思っている人たちも一緒に混ざりあっていく、一緒に生きていくということが大事だと思っています。ブラインドサッカーを通じて障がいと良い出会い方をして、そういう人たちも巻き込んでいけるような、そんな存在になっていければと思っています」

 

そして、来年開催される東京2020パラリンピックに向け、ブラインドサッカー日本代表がメダルを獲るために力を尽くしながら、その先の社会にも期待を寄せます。

「障がい者といえば困っている人だよねと、社会的な弱者になってしまっている状況があります。スポーツを通じて、障がいに対する心の持ち方や潜在的な偏見みたいなところに、きちっとアプローチできればと思っています。パラリンピックの開催によって(障がい者スポーツを)テレビで見るようになったり、障がいについて考える機会にしていくことも当然必要ですが、そこからさらに進んで、障がい者と健常者が一緒に生活できるとか、隣の席で一緒に働けるようになるとか、そんな社会になることを期待しています」

 

最後に、上を目指して進もうとしている方に伝えたい“Going Upな一言“を伺いました。

『未来の自分から感謝されるように』

人から感謝されることももちろん大事なことだけど、10年後、20年後の自分が、不確実な状況の中でパラリンピックに向かってがんばっている今の自分に感謝できるように努めていきたい、と、この言葉に込めた意味を語っていました。

 

次回のゲストは、日本パラリンピック委員会の河合純一委員長です。

どうぞ、お聞き逃しなく。

 

松崎英吾さんのリクエスト曲:My Heart Feels So Free / Hi-STANDARD