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2021年10月3日
最終回

2016年10月から丸5年にわたってお送りしてきた「鈴木亮平 Going Up」。

ご出演頂いたアスリートと関係者の皆さま、番組を聴いてくださったリスナーの皆さま、メールを送ってくださった皆さま、取材にご協力頂きました皆さま、心を寄せてくださいました皆さま、すべての方々に心から感謝申し上げます。

 

東京2020オリンピック・パラリンピックは熱狂のうちに幕を閉じましたが、パラアスリートたちの挑戦は続きます。

いつかまた、パラスポーツの現場でお会いしましょう。

 

5年間、本当にありがとうございました!

2021年10月3日
東京2020パラリンピックSP!車いすバスケットボール男子日本代表

東京2020パラリンピック・車いすバスケットボールスペシャル。

続いては、鈴木亮平さんとCMで共演した川原凜(かわはら・りん)選手です。

初めておふたりが会った時、川原選手はまだ10代。

今では日本代表に欠かせない存在となり、日本史上初の銀メダル獲得に大きく貢献しました。

 

東京2020大会。車いすバスケットボール男子日本代表は、予選ラウンド4勝1敗でグループ2位通過。準々決勝でライバル・オーストラリアを破り、準決勝では2018年の世界選手権チャンピオンのイギリスに勝利し銀メダル以上が確定。そして、決勝ではリオ大会王者・アメリカを相手に互角の戦いを見せるもわずか4点差で惜敗。日本中で興奮と熱狂を巻き起こし、史上初の銀メダルに輝きました!

 

川原選手は、「メダル獲得を目標にはしていたんですけど、実際手にしてみるとあまり実感はわいてないです」と現在の心境を語ります。

今大会、男子日本代表チームがコンセプトとして掲げたのは「(攻守の切り替えの速い)トランジションバスケの遂行」、そして「ディフェンスで世界に勝つ」ということ。

パラリンピックでの8試合を通して「やはり日本のディフェンスは世界で一番だということを実感した」と川原選手は胸を張ります。

この“世界一のディフェンス”は地道で厳しいトレーニングによって作り上げられたものでした。

「リオからの5年間、特に最後の1、2年は“アジリティ”と呼ばれる車いす操作だったりスタミナの部分を鍛えに鍛え上げたからあそこまで強いディフェンスができたと思っています。トレーナーが練習メニューを考えてくれて、僕たちはそれをヒーヒー言いながらやっていました」

 

若手とベテランが融合し、「一心」のスローガンのもと結束した男子日本代表。

川原選手をはじめ、2017年のU23世界選手権に出場した若手メンバーの活躍も目立ちました。

「鳥海連志も赤石竜我も古澤拓也もみんな走れる選手ばかりだったので、僕ら若手が“トランジションバスケ”という、走る日本のバスケを引っ張れたのかなと終わってみて感じますね」

鉄壁のディフェンスを誇る川原選手ですが、今大会では自ら得点を奪うシーンも多く見られました。

「ディフェンスで絶対チームに貢献するということは決めていましたが、特に準決勝のイギリス戦ではオフェンスの時に完全に(障がいの重い)ローポインターである自分がディフェンスされていない状態だったので、ここはシュートチャンスがあったらいくしかない!と3Qのはじめに決めてやっていました。どれだけオフェンスでうまくいかなくても、ディフェンスで取り返せるという自信が日本にはあるので、オフェンスも積極的にいけました」

 

パラリンピックの舞台に初めて立った川原選手は「初戦のコロンビア戦は本当に緊張した」と言い、納得のいくプレーができず試合が終わって落ち込んでいたと明かしました。

「2戦目の韓国戦では絶対結果を残してやろう」と切り替え、韓国戦には気合いを入れて緊張せずに臨むことができたといいます。

そんな経験もした自身初のパラリンピックをこのように振り返りました。

「銀メダルも獲ることができて、今持っている自分の実力も出せて、良い大会にはなりましたが、課題もものすごくみつかった大会だったので、良い意味でも悪い意味でも記憶に残る大会になりました」

そして、「注目度がものすごく上がった」ことを実感することも多いと話し、2024年のパリ大会に向けて継続していきたいと意気込みを語りました。

 

話を聞きながら、どこかほのぼのする川原選手のキャラクターに鈴木さんは何度も目を細めていました。

川原選手の今後の活躍にぜひご注目ください!

 

 

「鈴木亮平 Going Up」最後のゲストは、鈴木さんと同い年、番組最多出演の藤本怜央(ふじもと・れお)選手です。

2004年のアテネ大会から5大会連続のパラリンピック出場を果たした「日本の大黒柱」に、“集大成”として臨んだ今大会を振り返っていただきました。

 

「過去最強」と胸を張るチームはパラリンピックに入ってからも成長を続け、藤本選手は「やっていながらも強くなっていく感じがした」と振り返ります。

強い日本代表になれたのは、リオからの5年間をチームの一人ひとりが大切にしてきた結果だと話し、リオ大会以降一気に世代交代したにも関わらず、若い世代が日本代表として結果を出すため努力をしたからだといいます。

 

日本が目指すバスケットスタイルは「トランジションバスケット」だと明確に示してベリーハードワークに取り組み、国際強化試合として3年連続で開催された「三菱電機 WORLD CHALLENGE CUP」では全勝優勝も果たしました。

2018年の世界選手権では当時のヨーロッパ王者・トルコに勝利するなど、着実に強くなっていることが実戦で証明され、「やり方は間違っていない」と心の支えができたといいます。

しかし一方で、世界選手権の結果は9位。

手応えがあるのに結果がでない、やり方はあっているけど努力が足りない…。

では結果を変えるには何が必要か。その答えのひとつが「過程を変える」ことでした。

東京2020パラリンピックに向けた思考と挑戦の日々が続きました。

そんな中、コロナ禍という予想だにしていなかった困難が襲いかかりますが、誰ひとりとしてメダル獲得への思いを失うことはありませんでした。

そうして東京の大舞台では世界一のディフェンスを武器に戦い、史上初の銀メダル獲得という歴史的快挙を成し遂げました。

 

「東京2020パラリンピックを(自身の)集大成と考えやってきた中で区切りはついたと思っています。パラリンピックで強い日本を見せるということは達成できましたが、決勝でアメリカに4点差で負けた悔しさ、世界の頂点にあと1歩というところまで迫りながらもそれを上りきれなかったということは忘れずに行動していきたいと思います」

 

今シーズンは再びドイツに渡り、現在すでにドイツリーグに参戦しています。

ドイツに行くという決断に「迷いはなかった」という藤本選手は、その理由をこう明かしました。

「自分が高みを目指してやっていく中で、例えば自分が代表に選ばれなくても、今後の車いすバスケットボール界を背負う若い世代が日本国内だけではなく世界に目を向けて戦っていきたいと考えた時に、こういう道もあるんだと示していくことも僕の仕事のひとつだと思っています」

 

そして今後に向けては、「僕自身、日本代表というのは自分で辞めるものではなくて最後まで志が高い人間がふるいにかけられて選ばれていくものだと考えています。なので、そういうチャンスがあれば、若い子たちのために日本代表というものはどういうものなのか、体で表現できるうちは努力を続け、日本代表に選ばれるうちはしっかりと頑張っていきます」

 

この夏、大きな感動と興奮を与えてくれた車いすバスケットボール日本代表。

来年5月には千葉県で、男子U23世界選手権が開催されます。熱狂は続きます。

今後も、パラアスリートたちを応援していきましょう!

2021年10月2日
東京2020パラリンピックSP!車いすバスケットボール女子日本代表

「鈴木亮平 Going Up」最終回は、車いすバスケットボールスペシャル!

東京2020パラリンピックに出場し、熱いプレーで人々を魅了した3選手にご出演頂きました。

 

まずは、女子日本代表キャプテン藤井郁美(ふじい・いくみ)選手です。

2008年の北京大会以来、3大会ぶりのパラリンピック出場となった女子日本代表。

予選ラウンドでは、初戦のオーストラリアに続き、世界選手権2位のイギリスにも勝利し2連勝。カナダ、ドイツには惜しくも敗れたものの、予選ラウンド3位で決勝トーナメント進出を果たしました。

準々決勝でオランダ、順位決定戦ではカナダと対戦し、堂々の6位で大会を終えました。

 

東京2020大会を終え、「一区切りついたところなのでほっとしています」と穏やかな表情で語った藤井選手。

パラリンピックでの戦いを振り返りました。

「とにかく初戦がすべてだと思っていました。その初戦を白星でスタートすることができて、すごくほっとしましたし、『いける!』と良いイメージを持つことができました。ただ全体を通しては、自分たちのバスケットが通用する試合もあれば歯が立たなかった試合もあり、日本の女子が世界で勝つためにどういうことが必要なのかが明確になった大会でした」

 

新型コロナウイルスの世界的な感染拡大により国際大会の中止が相次ぎ、海外チームとの試合は1年半ぶり。戦い方やゲーム運び等で心配があったといいます。

しかし、コロナ禍の中で感染対策を徹底しながら強化合宿を行い、男子クラブチームの選手たちが練習パートナーとしてサポートしてくれたおかげで、「(海外勢の)スピードやフィジカル、高さに対してあまり差を感じる事なく試合に入れた」と話します。

そして、「プレータイムは様々ですが全員が試合に出場して、その中で一人ひとりがしっかり自分の仕事を全うできたということが本当に素晴らしかったです」と堂々と語りました。

 

キャプテンとして一人ひとりとコミュニケーションを取りながらチーム作りをしてきた藤井選手は、チームメートの変化を感じていました。

「本当に成長したと思います。技術面だけではなく精神的なところでも、自分がリーダーとなってやるんだという意識を一人ひとりが持ってやるようになったので、すごくチームの層が厚くなりました」

 

藤井選手ご自身にとっては、北京大会以来2回目のパラリンピック出場となった今大会。

そこには、ある秘めた思いがありました。

「パラリンピックの借りはパラリンピックでしか返せないと思っていました。北京大会では3位決定戦でオーストラリアに負けて、あれから13年の年月が経ちましたけれども、今回の初戦でそのオーストラリアに勝つことができました。しかも、あのようなハイスコアで勝つことは今までなかったので、北京大会での借りをしっかりとパラリンピックの舞台で返すことができてすごくよかったなと思っています」

 

東京2020大会は無観客での開催とはなりましたが、パラリンピックの舞台は「とにかく美しかった」と藤井選手は表現していました。

試合会場のひとつだった「武蔵野の森総合スポーツプラザ」は天皇杯でコートに立ったことがありましたが、東京2020パラリンピックではまったく違う雰囲気だったと印象を語ります。

そして「有明アリーナは本当に鳥肌が立つくらい神々しく輝いていました」と話し、鈴木亮平さんはその言葉にとても感銘を受けていました。

 

最後に、今後の女子車いすバスケットボール界への思いをこう語りました。

「女子の競技人口が年々減ってきているんですよね。選手の登録者数も少ない中でやっているので、今回の東京大会でこのような結果を残したことで、これをきっかけにまずは興味を持ってくれる人が増えればいいなと思っています。そして、競技人口を増やすにはやっぱり強い日本代表にならなければいけないなと大会に出て改めて感じました。興味を持つだけではなくて、強い日本代表であれば『代表で戦いたい』と思ってくれる人が増えると思うので、私自身もその普及活動だったり育成だったり、お世話になった車いすバスケット界の手助けが今後できればいいなと考えています」

 

藤井選手、そして車いすバスケットボール女子日本代表のご活躍を心から期待しています!