「サンデーオトナラボ」公開収録イベントが決定しました!

 

【日時】217日(金曜日)19時から!

【場所】有楽町ニッポン放送のイマジンスタジオ

【ゲスト】→Pia-no-jaC← ほか

        

今回は50100名様をご招待いたします!

 

ご応募は、専用応募フォームからお願い致します。

 

http://event.1242.com/otona/

 

 

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129日 放送>

 

今日のテーマは、

【業界人間シリーズ第3弾~アナウンサーのお仕事】

元・日本テレビアナウンサーで、

現在フリーアナウンサーとして活躍する町 亞聖さんが登場!

滑舌や、聞き取りやすい話し方から、

町さんが昨年出版した『18歳からの10年介護』の話などを伺いました。

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【女子アナについて】

 

―超狭き門となっている女子アナウンサー。

 しかもキー局。倍率はどれくらい?

合格するのは、3000人うけて3人くらいです。

私は受かった時に「宝くじに当たったような物だよ」と言われました。

 

―局によって傾向はあるんですか?

私が入った時は、

日本テレビは固め、フジテレビはアイドル系、

テレビ朝日は綺麗どころ、TBSはすらっと背が高い人が多かったですね。

 

―アナウンサーになりたい人へアドバイスするとしたら?

「私はこういう人間です」と語れる何かを1つは持っていることですね。

私の場合は、それが母の介護だったんです。

それが面接官の方に受け入れてもらえなかったら、

「アナウンサーは縁が無いんだ」と思っていました。 

             

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【母の介護について】

 

キー局の女子アナウンサーという華やかな職業に就いていた

町さんですが、実は、アナウンサーになる前から、

大変なことが家庭に起こっていました! その話しを掘り下げます!

 

町さんが高校3年生だった冬に、お母様がくも膜下出血で倒れ、

手術の末に障害を背負う生活を余儀なくされます。

町さんは、青春時代のすべてを「介護」に捧げることになりました。

 

―ご兄弟もいらしたんですよね?

弟が中学3年生。妹が小学6年生でした。

私自身まだ高校3年生でしたが、

この2人を置いていくわけにはいかないので、

「私が母の面倒を見なきゃ」と決心しました。

私が社会人になっていたら、介護の形が違っていたかもしれません。

父は"お湯も沸かせない"くらい、家のことをしない人間だったので、

私がやる以外に選択肢はなかったですね。

 

―どれぐらいの介護だったんですか?

くも膜下出血のあと、脳梗塞も起こして、

命の危機だったんですね。

体重も40キロくらいに減って、自分でも動けない、

知能の低下、言語障害など、本当に重い症状でした。

1年ぐらい病院でリハビリをして、

左手を使って身の回りのことができるようになりました。

病院では車いすの生活は自由なんですけど、

家のなかは狭くて段差だらけなので、車いすでの生活ことはとても不自由でしたね。

20年前はまだバリアフリーという言葉もなかった時代なので、

街じゅうも段差だらけでしたね。

 

―高校生で介護をすることになり、

急に「大人にならなきゃいけない」という状況ですよね。

「こんな事が自分の身に起こるんだ」

「介護は人ごとじゃないんだ」と実感しました。

 

―逃げ出したくなることは?

逃げ出す選択肢はなかったですね。

脳卒中で障害を負った患者さんは、

今まで自分で出来たことが出来なくて、もどかしさで

わがままになる事があるんですけど、

母はわがままになることが無かったんですね。

言語障害があったのですが、あとから言葉を覚えて

会話もできるようになりました。

 

 

―精神的な部分で一番大変だったことは?

同世代で介護をしている人がいなかったことですね。

仲のいい同級生には言っていたんですけど、

「わかる」と言ってくれても、

本当はわかってもらえないんじゃないかという所がありました。

 

―お母様が亡くなるときに、かけた言葉があるそうですが...

母には「私のこと、忘れないでね」と言いました。

自分でも、なぜそう言ったのかよくわかりませんが、

「覚えててほしい」という想いがあったんでしょうね。

 

 

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【父との確執について】

 

くも膜下出血で倒れられたお母様のために、

18才から「介護」生活をしていた町亞聖さん。

今度は、お父様も「胃ガン」であることが判明。

町さんとお父様は、ず~っと確執があったそうですが...

 

―お父様とは確執があったそうですが...

中学生くらいの時から、闘っていましたね。

子供にすごく期待を持っていて、それに対して重荷に感じていたんです。

母の介護をしている時も、親に迷惑をかけた子なんですよ。

スカート長くしてみたり、先生に反抗したり。

アナウンサーになるまで、父は私のやることに反対していましたね。

「父を見返してやろう」じゃないですけど、

それに反発することが、頑張る力になっていました。

 

―お父様は家事をしない人だったそうで...

まったく家事をしない人間でしたけど、

母が倒れてからは、母の身の回りの世話はしていました。

母が亡くなるころに、料理も作るようになりました。

朝は毎朝ハムエッグで、

カレーを作りはじめたら、鍋が黄色くなるまでずっとカレーでした。

 

―お父様とお母様が結婚されたころに住み始めた思い出の家に

 お母様を連れて行ってあげたそうですね。

2人が一緒に暮らし始めた場所で、

私が生まれたときの家でもあったんですね。

階段をのぼったら、カランコロン音がしそうな

ボロボロのアパートだったんですけど、

母は見た瞬間に、「わぁ~」と感激していましたね。

 

―介護で一番大切なことは?

介護をしている人が、自分が犠牲になってると思わない事ですね。

私は母の介護のためにたくさんの時間を使っていましたが、

まったく公開はありません。

母が亡くなっていなければ、今も介護を続けているつもりですし。

ただ、もし自分だけの手に負えないと思ったら、誰かの手を借りてください。

介護をすることに嫌気がさしてしまったら、

介護される側にもよくありませんし、遠慮なく人の助けを借りることも大切です。

亡くなってから、「あの時ああしていればよかった」と思っても遅いので、

できる限り精一杯のことをしてあげてください。

 

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町さんの介護をまとめた

著書『十八歳からの十年介護』

武田ランダムハウスジャパンから発売中です。

 

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【リクエスト募集】

オープニングでは、あなたからのリクエストをお待ちしています。
今聞きたい曲や、誰かに送りたい歌など、
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【美人広報なっきーの番組Twitter

サンデーオトナラボの番組公式Twitterのアカウントは、

@otonalaboです!

美人広報のなっきーが、番組の最新情報や、

番組に関係のないオトメのつぶやき(?)を発信します!

 

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最近めっきり寒くなりましたね。

Twitter担当・美人スタッフなっきーも冬の装いです。

 


来週25日のテーマは、

【ハイキングウォーキング 趣味人と結婚のススメ】

ゲストに人気お笑いコンビ

ハイキングウォーキング2人をお迎えします!