1.4ドーム大会直前記念! 野球場で行われたプロレス格闘技“伝説の試合”

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明日4日、最近やたらと元気のいい「新日本プロレス」が、毎年恒例となっている、「1・4新春東京ドーム大会」を、開催するそうです。

メインイベントは、現在の若きエース、「オカダ・カズチカ」と、いまもっとも人気があると言われている「内藤哲也」の、IWGPヘビー級タイトルマッチ。
今年も「プ女子」の黄色い声援と悲鳴が、ドームに交錯することでしょう。
なにしろ、正月から野球場でプロレスをやるってのが、おめでたくていいじゃありませんか。

そこで今日は、「新春ドーム大会」にちなみまして、
「野球場で行われたプロレス格闘技・伝説のドリームマッチ」を特集しましょう!

1.4ドーム大会直前記念! 野球場で行われたプロレス格闘技“伝説の試合”

プロボクシング 世界フライ級選手権試合 白井義男対ダド・マリノ戦 提供:産経新聞

 

1952年(昭和27年)5月19日 後楽園球場
プロボクシング世界フライ級選手権試合
ダド・マリノ(王者/アメリカ) 対 白井義男(挑戦者/日本)

カクテル光線がまばゆく光る後楽園球場、実に4万人の大観衆が詰めかけた、この試合。
15ラウンドの熱戦の末、白井が判定勝ち。ボクシング、日本人初の世界王者に。
21歳でボクシングを始めた白井は太平洋戦争で海軍航空隊に応召。
復員後の48年夏、銀座のジムで練習中、GHQ勤務のアルヴィン・カーン博士
(元イリノイ大体育コーチ)に見いだされて才能を開花させました。
まだ戦後7年。日本人を勇気づけた伝説の試合として今も語り草…
私、当時は小学生でしたが…白井よりもマリノよりも、背がアタマふたつ高いカーン博士が、いちばん強く見えました。

1957年(昭和32年)10月7日  後楽園球場
プロ・レスリングNWA世界ヘビー級選手権試合 61分3本勝負
「ルー・テーズ(王者/アメリカ) 対 力道山(挑戦者/日本)

「鉄人」ルー・テーズ、リンダ夫人とともに、待望の初来日。
1948年にNWA世界ヘビー級の王者に就いてから、55年までの7年間、
「936連勝」を果たした、史上最強のレスラーが、ついにやってきた…。
ちなみに、テーズのギャラは一試合「1万5000ドル」、当時の為替レートで540万円。
※菓子パン10円、ラーメン30円の時代ですから、現在でいうと「約1億円」でしょうか。

4万人(※一説には4万5千人)の後楽園球場、カクテル光線がリングを照らす、午後8時23分。
ついに、「61分3本勝負」の幕が切って落とされます。
さきに、この試合のテレビ視聴率を申し上げておきますと… なんと、「87%」!
大袈裟でなく「全国民」が注視する中で、世界タイトルマッチのゴングが鳴ったんです。

試合の焦点は「力道山の空手チョップ」か「テーズのバックドロップか」というところ。
試合中盤、ついにテーズが、必殺のバックドロップの体勢に入ります。
ところが… このとき力道山は、左足をテーズの右足に絡み付けまして、
相撲技の「河津掛け」の要領で、なんとか踏みこたえました。

両雄、相譲らず、「61分の激闘、ノーフォール引き分け」。
力道山、32歳。ルー・テーズ、41歳。全盛期にあったふたり、文句なしの名勝負でした。

1990年(平成2年)年2月11日 東京ドーム 
ボクシングWBA・WBC・IBF統一世界ヘビー級タイトルマッチ
「マイク・タイソン(王者/アメリカ)」対「ジェームス・ダグラス(挑戦者/アメリカ)」


世界に衝撃が走った「ボクシング史上最大のビッグ・アップセット(大番狂わせ)」。
それが、この試合でした。

この日集まった「5万1千600人」は、いまも「歴史の目撃者」と言われます。
試合が始まるとタイソンの動きに切れがなく、有効打を全く出すことが出来ずに刻々と時間が経過…。
逆にダグラスは絶好調、左ジャブからの右ストレートが何度もタイソンの顔面にヒット!

第8ラウンド、ダグラスのアゴにタイソンのアッパーが炸裂!
しかしなんとかダグラスが立ったところでラウンド終了。
この時のレフェリーのカウントが実際には13秒ほど経過していたことで、 のちに「世紀のロングカウント事件」として物議をかもしました。

迎えた第10ラウンド… ダグラス連打からの左ストレート、タイソンが初めてダウン!
本能でマウスピースを拾い上げて口にくわえたところで、テンカウント…
ここまで37戦無敗、無敵の名を欲しいままにしたタイソンが、日本で衝撃のKO負け!
リングサイドの海外プレス席は鉄火場と化しました…。

世界を驚かせた、この「タイソンKO負け」の前日…
衝撃的なプロレスの試合が、同じく東京ドームで行われています。それが…

1990年(平成2年)2月10日 東京ドーム
元・横綱「双羽黒」北尾光司・プロレスデビュー戦
「北尾光司(日本) 対 クラッシャー・バンバン・ビガロ(アメリカ)」


200cm 170kgの巨体を誇った横綱・双羽黒。
立浪部屋の女将さんを殴って部屋から脱走、87年に廃業。
この日、プロレスラーとして、新日本プロレス東京ドーム大会のリングに登場しました。

▽新人としてはまさに破格の扱い… 猪木が出るメインのすぐ前、セミファイナルでした。

▽悠然と登場した北尾、金メッシュの角刈り頭にサングラス。
鋲だらけの革ジャンを脱ぎ捨てると、下には黄色いタンクトップを着込んでいました。
マンガ「北斗の拳」と、ハルク・ホーガンをごちゃまぜにした珍妙なキャラが
大観衆(5万8千人)の失笑を買いました。

▽リングに登場するやいなや、ホーガンのようにTシャツを破り裂いたのですが、
ホーガンとは似ても似つかない締まりのない体が爆笑を誘う…。

▽試合のほうも、ホーガンの必殺技をパクって「ギロチン・ドロップ」。
ところが走りだす方向を間違えて、途中で進路を変更するありさまでした。

▽実はこの試合で、観客から、自然発生的に「ブーーーー」という声があがったのですが
一説には、これが、「日本における最初のブーイング」だったと言われます。
「野球場でおこなわれた伝説のドリームマッチ」。
最後にご紹介するのは、知る人ぞ知る、本当の「伝説の勝負」です。

1983年(昭和58)年4月30日 西宮球場
「“世界の盗塁王”福本豊(人間) 対 ジンクピアレス号(馬) 60メートル走」


観客動員数が伸び悩んでいた80年代のパ・リーグ。
阪急ブレーブスは、何とかして客を集めるため、あれこれと試合前のセレモニーにアタマを捻ったものでした。

今も「最高傑作」と言われるのが、「盗塁王vs競走馬」の60メートル競走。
出場したのは、世界の盗塁王・福本豊、メジャー通算196盗塁をマークした当時の助っ人外国人、バンプ・ウィルス。
そして、サラブレット(競走馬)のジンクピアレス号でした。

レースがスタートしたその瞬間、ジンクピアレス号はゴールと別方向に激走。
結局、人間同士の一騎打ちとなり、バンプがハナ差で勝利を収めました。

イベントは大成功。普段は1万人ほどしか集まらなかったのですが、
この日の西宮球場には、2万8000人も集まったそうです(ほぼ満員!)。

新春ドーム大会直前記念!
「野球場で行われたプロレス格闘技・伝説のドリームマッチ」を特集いたしました!

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