シリーズ「駅弁屋さんの厨房ですよ!」(vol.2「丸政」編③)~小淵沢駅「高原野菜とカツの弁当」(1,000円) 【ライター望月の駅弁膝栗毛】

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ライター望月が駅弁屋さんの厨房を訪問、駅弁作りの現場に迫っていく「駅弁屋さんの厨房ですよ!」。
第2弾は中央本線と小海線の接続駅・小淵沢の駅弁屋さん「丸政(まるまさ)」を訪ねています。

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長野県富士見町にある中央本線・富士見駅に停車中の電車は、横浜始発の特急「はまかいじ」松本行。
「はまかいじ」は横浜の1つお隣・東神奈川から横浜線を経由、八王子から中央本線に乗り入れる週末運行の臨時特急です。
横浜エリアから乗り換えなしで山梨、長野へ行けることから一定の人気を得ており、今年で平成8(1996)年の運行開始から20年を迎えました。
東海道線沿線では「踊り子」でおなじみの185系電車が、週末だけ横浜線唯一の特急として、信濃路へ向けて軽快な走りを見せています。
そんな「はまかいじ」も停まる「富士見駅」、実は小淵沢駅弁でおなじみ「丸政」の原点ともいえる駅なんです。

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「株式会社 丸政」の名取政義(なとり・まさよし)社長。
昭和50(1975)年12月9日生まれ、実はライター望月と誕生日がリアル1日違いの同い年でした。
平成22(2010)年4月、「丸政」四代目の社長に就任。
2000年代以降、数々の新商品の開発を手がけ、最近はTVの経済番組などでも、そのビジネスモデルが注目されています。

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◎丸政は今でこそ「小淵沢」の駅弁屋さんですが、元々は「富士見駅」から始まっているんですよね?

そうなんです。富士見駅で大正7(1918)年に創業してるんです。
当時、富士見駅は、中央本線の「拠点」みたいな駅だったんです。
それが昭和に入って「小海線」が開業するというんで「小淵沢」に移らないか?・・・となったんです。

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◎そもそも「富士見駅」に構内営業に「名取家」が入るきっかけは何だったんですか?

諸説あるんですが、小川平吉鉄道大臣(現・富士見町出身)の家が富士見にあったんです。
当時、地元の人たちで提灯を灯してお宅の警備をしていたそうなんですが、ほとんどの人は夜になると大して人通りも無いからやめちゃってたんです。
その時に初代の政一さん、この人は元々甲州街道の蔦木宿という所で炭を売る商売をやっていたんですが、夜中もちゃんと提灯を灯していたんです。
それが「丸政の灯」として大臣の目に留まって、「富士見」で始めてみないかということになったんです。
駅弁屋さんには元々地元の名士でという業者も少なくないんですが、「丸政」の場合は初代の人柄が認められて始めたんです。

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◎「丸政」の屋号の由来もそこからですか?

そうですね。初代が「(名取)政一」、二代目は私の祖父の弟にあたるせいか「正広」となるんですが、三代目は本家に戻って「政仁」。
そして四代目の私が「政義」ですから。
いろいろ危機もあったんですが、真面目に商売はやって来ていて、二代目の時に蕎麦屋が立ち上がったといいます。
そして先代の三代目が、昭和45(1970)年に「高原野菜とカツの弁当」を出しました。
清里があれだけブームになる前に出していて、ああいった洋食の弁当はロケーションにも合うということで、今年で46年目に入っています。
今でも地元の人は「高原野菜とカツの弁当」が一番好きで、いつも「カツの弁当、食べたい!」って云われるんです。
それと「元気甲斐」で一時期、会社は大きく成長を遂げることになりました。

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◎「高原野菜とカツ」で野菜をメインに持ってきたというのは「大英断」ですし、そもそもあの「シャキシャキ」はどうやって出してるんですか?

何年やっても「生野菜」を駅弁に入れてる会社って無いんですよね。
そして「なぜシャキシャキしてるの?」というのもみんなに訊かれるんですが、フツーにやってるだけですよ。
生野菜で菌を殺すために「塩素」の量を増やすと、葉っぱが「黄色く」なっちゃうんです。
でも「塩素」を減らしすぎると、今度は菌が繁殖してしまうんです。
この「塩素」の塩梅が、ウチが一番上手いんだと思います。

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◎その絶妙な加減を、昭和45年の発売開始からいろんな試行錯誤の中で生み出してきたという訳ですね?

当時はそこまで厳しくはなかったとは思うんですが、今は抜き取り検査をしっかりやっています。
だから、一時期「高原野菜とカツの弁当」を受注販売のみにしたこともありました。
実はあの時はレタスの加工に問題があったんだと思うんですが、抜き取り検査をすると菌の数が増えてしまっていたんです。
このために今までのやり方を変えなくてはいけないということになって、改善に改善を重ねてようやく販売が再開できるようになりました。
売れないからやめていたんではなくて、もしもカツの弁当を求めたお客様に何かあっちゃいけないということで見合わせていたんです。
その後、NREさんの指導もあって、全店で裸で置かずに冷蔵のショーケースに入れて売るようにしたことで、製造過程、売り場で菌が出なくなりました。
その上で安全率の観点から賞味期限を6時間に設定、そこまでで売り切るようにしています。
だから「高原野菜とカツの弁当」は輸送した販売も、量産も出来なくなってしまいました。
でも「高原野菜とカツの弁当」と「元気甲斐」の2つの柱を傷つけるわけにはいきませんから、その部分が大きいですよね。

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◎逆に言えば「高原野菜とカツの弁当」が小淵沢に行かないと買えないというのは、プレミア感もあってイイですよね?

確かにあのカツの弁当は、私も子供の頃から食べてますが「なぜか時々食べたくなる」んですよね。
ウチの社員でも、カツ弁嫌いな人はまずいないですから。
ただ、通年販売をする上では、食材をいろんな所から仕入れる必要があります。
一方で、今の流れでは「少し高くてもイイものを・・・」という考えのお客様も多くなりました。
そこで一昨年に「高原野菜とカツの弁当 プレミアム」(1,400円)というものを出しました。
セロリが原村、レタスが川上村はもちろん野辺山、南相木、北相木(すべて長野県)が一大産地です。
ココで野菜が採れる7月の「海の日」くらいからの8月いっぱいくらいの旬の時期に、この地域の野菜にこだわったモノを出したんです。
プチトマトも、スグそこの岩窪農場のOクンが作ったものを使いましたし・・・。
そうするとやっぱり、お客様の反応もイイんですよ。

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◎去年は「高原野菜とカツの弁当」の缶バージョンも出しましたよね?

アレは「缶」を作るのにお金がかかった(笑)。
ただ、あの缶バージョンは「家に飾っておきたい」とか記念品としてほしい人のためのモノなんです。
「高原野菜とカツの弁当」はTシャツもよく売れるんですよ!
あと最近、お客様からよく言われるのは「丸政のジャンパーが欲しい」ということ。
実はジャンパーは毎年デザインが変わるんです。
今年の冬バージョンは「高原野菜とカツの弁当」だったので緑色で・・・「甲州かつサンド」から始まったんですけどね。

◎それにしても名取家の「丸政」は、みんな「政」の字で代々つながってきているんですね。

そうなんですけど、私は女の子しかいないんで「政」の字はボクで終わっちゃいますから。
ただ、時代が変わってきているので・・・。
ボクの考え方としては「弁当はニッポンの文化」だから、ココはどうやっても守らなくてはいけない。
そこで今「あるもの」を増やしているんです。

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中央本線・富士見駅から始まった「丸政」の歴史。
これからどんな道を進もうとしているのか、次回以降に続きます。

「駅弁」食べ歩き15年の放送作家が「1日1駅弁」ひたすら紹介!
「ライター望月の駅弁膝栗毛」
(取材・文:望月崇史)

連載情報

ライター望月の駅弁膝栗毛

「駅弁」食べ歩き15年の放送作家が「1日1駅弁」ひたすら紹介!

著者:望月崇史
昭和50(1975)年、静岡県生まれ。早稲田大学在学中から、放送作家に。ラジオ番組をきっかけに始めた全国の駅弁食べ歩きは15年以上、およそ5000個!放送の合間に、ひたすら鉄道に乗り、駅弁を食して温泉に入る生活を送る。ニッポン放送「ライター望月の駅弁膝栗毛」における1日1駅弁のウェブサイト連載をはじめ、「鉄道のある旅」をテーマとした記事の連載を行っている。日本旅のペンクラブ理事。
駅弁ブログ・ライター望月の駅弁いい気分 https://ameblo.jp/ekiben-e-kibun/

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