1977年の今日6月20日、沢田研二「勝手にしやがれ」がオリコン1位を獲得! この年のレコード大賞曲となる。 【大人のMusic Calendar】

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6月7日の岸部シロー誕生日のコラムでも書いたように、今もなお進行形である大河ドラマ『ザ・タイガース物語』とは実に良く出来ているものだなあ、と折に触れて思わずにはいられない。

とりわけ今回のエピソード、すなわちタイガースがレコード・デビューした1967年からジャスト10年後の1977年、ついにジュリーがレコード大賞を獲ることになる曲を得て、それが当人の誕生日の週にオリコン・チャートの1位に輝く、なんてことにしたら、そりゃあ出来過ぎ、もっとリアルに描きなさいよ、と言われるだろう。

しかし、もちろん現実はその通り。ソロになってからの「危険なふたり」「追憶」「時の過ぎゆくままに」に続くオリコン1位となり、かつてレコード大賞には届かなかった「危険なふたり」を超えて、同じく日本歌謡大賞も、そして日本レコード大賞も獲得、併せて当時は演歌系限定の賞という印象だった日本有線大賞をも初受賞するなど、全方位の国民的ヒットとなった。

なお、この前年の南佳孝のアルバム『摩天楼のヒロイン』に、そして同1977年の同6月の25日(奇しくもジュリー誕生日!)発売の中島みゆきのアルバム『あ・り・が・と・う』にも「勝手にしやがれ」という曲がある。当然ながら全て異曲だが、それもこれもタイトルの元ネタは、ジャン=リュック・ゴダール監督1959年製作の初長編映画、その‘日本題’に決まってる。

実は、このフランス映画の原題は『息を切らして』といった意味であり、英語タイトルも『Breathless』。初公開当時、日本の映画会社では邦題を色々考えていたが決定打が無く、締め切りに追われた担当女史が崖っぷちで破れかぶれに「もう、勝手にしやがれっ」と付けたタイトルが採用されたというような伝説もあるが、とにかく日本独自のものであり、それが原題以上にズバリとハマっているというのは、ビートルズの「抱きしめたい」などと同様、世界に誇れるセンスだと思う(ゴダール自身はオリジナル・タイトルを気に入っていなかったというし)。

ちなみにジュリーには英語詞ヴァージョンもある。未だ日本ではリリースされないままだが、英国ではシングル盤のB面として、また香港などで発売されたアルバムにも収録。タイトルは「One Man And A Band」。
オケは同じでも詞は全然異なり、「成層圏を飛ぶジェット機でシャンパンを口にするスーパースターに、貴方の物語は何処でどのように始まったのかと尋ねたら、彼は言うだろう、1人の男とバンドからさ」。あらま、タイガースでの出自を彷彿させる内容。

さらに見逃せないのは、もう1つの「勝手にしやがれ」。

同じく1977年、その11月に日本でリリースされた、ある英国バンドのLPに、オリジナル・タイトルとは異なる『勝手にしやがれ』の邦題が付けられた。
そう、かのセックス・ピストルズのデビュー・アルバムである。

担当した日本コロムビアの本間孝男氏によれば、やはりゴダール映画が頭にあり、ジュリーが先に使っていたが、これしかないと、どうしても付けたかったとのこと(『レコード・コレクターズ』誌 2013年2月号より)。

既存の体制に破天荒に挑んだ唯一無二の革新的作品ということでならば、ゴダール映画に通低するのはジュリーよりも圧倒的にピストルズの方と思われるが、ここには誠に不可思議な因縁話も潜んでいる。

このピストルズのアルバム・デザインの大胆に蛍光色を使ったカラーリング(配色の異なるアメリカ盤もある)から、何か別のアルバムを思い起こしませんか?

1967年のフォーク・クルセイダーズの自主製作LP『ハレンチ』のジャケットは、そこに収録されていた「帰って来たヨッパライ」のシングル盤にも流用されたが、目がチカチカする蛍光色のデザインだった。

描いたのは松山猛。作詞家としても加藤和彦と組んであまたの曲を生み出し、もちろんサディスティック・ミカ・バンドでも、かの傑作アルバム『黒船』(1974年)も書いている。それを自分から申し出てプロデュースしたのは英国人クリス・トーマス。
また加藤は1970~71年頃に「ヨッパライ」の豊富な印税を懐にロンドンを漫遊していた際、出入りしていたブティックの経営者マルコム・マクラーレンと服のセンスが合致して友人になった。
で、1976年、ピストルズを結成させた仕掛人はマルコム、そのデビュー・レコードのプロデューサーはクリス。この2人が『ハレンチ』を知らなかったってことは、ま、無いでしょうが…。

今までも何度か書かせていただいたように、同じ1965年に同じ京都で結成され、メンバーの大半が「戦争を知らない子供たち1歳児」の同じ学年(1946年~47年早生まれ)でもあったタイガースとフォークルは、全く別々の道をたどりながら1967年暮れにメジャーの土俵で相まみえることになった。そして、それからジャスト10年、どちらもグループ自体はもはや存在していなかったが、それぞれの(いわば)末裔が、「勝手にしやがれ」の旗の下、遥か英国を経由して交錯する。

…何ともわざとらしい話で、そんなの現実にはあり得ない、ですよね。

【執筆者】小野善太郎

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