1969/5/10クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル「プラウド・メアリー」日本盤リリース【大人のMusic Calendar】

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プラウド・メアリー,CCR

サンフランシスコ・ベイ・エリアの学生町バークリーで結成されたクリーデンス・クリアウォーター・リバイバル(以下CCRと略)の「プラウド・メアリー」が全米チャートの2位になったのは1969年の春のことだった。彼らにとっては初のトップ10ヒットだった。

グループ名のクリーデンス・クリアウォーター・リバイバルは、直訳すると「信条の澄んだ水の復活」となって、意味がよくわからない。ま、60年代後半のアメリカでは、ジェファソン・エアプレイン、ストロベリー・アラーム・クロック、グレートフル・デッド、クイックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィスなど「わけのわからない」サイケデリックな名前のグループがたくさんあったから、あまり気にする必要がないのかもしれない。

それでも詮索好きな人には、クリーデンスはメンバーの友人の名前のスペルを一部変えたもの、クリアウォーターはオリンピア・ビールのテレビCMで使われていた言葉からとられたもの、リバイバルにはグループ再出発にあたってメンバーの心意気がこめられているという話があることをお伝えしておこう。汚染されていた水が信頼すべききれいな水によみがえる、というように想像を広げることもできるかもしれない。偶然だろうが「プラウド・メアリー」「フール・ストップ・ザ・レイン」「雨をみたかい」など、彼らには水に縁のある曲がけっこうある。

「プラウド・メアリー」は、都会暮らしをやめて、ミシシッピ川を上下する船で働くことにした男の歌だ。曲のタイトルは船の名前である。都会で働いていたときは、けっこういい仕事だったが、ボスに一日中こき使われ、ああすればよかったと後悔することも多かった。でも船に乗ったいまは悩みも忘れてごきげんだという内容。♪ローリング、ローリング、ローリング・オン・ザ・リバーというくりかえしの部分が親しみやすく、一度聞いたら忘れられない。やはり印象的なイントロのくりかえしは、ベートーヴェンの「運命」からヒントを得たそうだ。

ミシシッピの川船は、かつてはルイ・アームストロングらジャズメンの仕事場だった。ミュージカル『ショウ・ボート』に描かれた船もこうした川船だ。この曲を聞く人は、そんな歴史のこだまも感じるだろう。

作者のジョン・フォガティは、アメリカ西海岸のカリフォルニアの生まれ育ちで、南部の川船に乗ったことも、見たこともなかったが、想像でこの曲を作り、南部風のアクセントでこの歌をうたった。ラジオで聴いた人からは、南部の黒人がうたっていると思われることも多かった。実際この曲は、後にソロモン・バークやアイク&ティナ・ターナーといったソウル/R&Bのアーティストにカヴァーされて、どちらもヒットしている。

前身バンドからCCRになって成功するまでの間にジョンは徴兵を体験した。ときはベトナム戦争が激しさを増していたころ、兵役期間中の彼はストレスを忘れるために、まだ見ぬアメリカ南部を想像しては音楽を作っていたという。ジャズやロックンロールのふるさととしてのアメリカ南部の豊かな文化風土を夢見ることで、孤独な兵士の魂が慰められたのだろう。除隊直後に、兵役中の修作を総合してこの曲を作った。彼は後には「フォーチュネイト・サン」のような反戦歌も作っている。

CCRの音楽の魅力は、カントリーとR&Bをミックスした簡潔なロックンロールにある。世間では長大な演奏のロックが流行していたが、彼らの曲には余分なものが何ひとつない。活動期間の短かったグループだが、ロックンロールのエッセンスを凝縮した音楽は、いま聞いても少しも古さを感じさせない。「プラウド・メアリー」はまさにそんな曲だ。南部出身のロックンロールの王様エルヴィス・プレスリーは晩年この曲を好んでうたっていたが、CCRにとっても、作者のジョンにとっても、それは限りない喜びだったのではないだろうか。

【執筆者】北中正和(きたなか・まさかず):音楽評論家。東京音楽大学講師。「ニューミュージック・マガジン」の編集者を経て、世界各地のポピュラー音楽の紹介、評論活動を行っている。著書に『増補・にほんのうた』『Jポップを創ったアルバム』『毎日ワールド・ミュージック』など。

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