吉野彰さんノーベル化学賞、記者会見場の舞台裏

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「報道部畑中デスクの独り言」(第154回)

ニッポン放送報道部畑中デスクのニュースコラム。今回は、2019年のノーベル化学賞に輝いた吉野彰さんの会見について---

吉野彰さんノーベル化学賞、記者会見場の舞台裏

吉野さん受賞決定の瞬間 旭化成本社は従業員の歓声に包まれた(10月9日撮影)

今年(2019年)のノーベル賞も生理学・医学賞から経済学賞に至るまで、すべての部門の発表が終わりました。

今回も日本人授賞の快挙がありました。旭化成名誉フェローで名城大学教授の、吉野彰さん。携帯電話やパソコン、デジタルカメラ、電気自動車に至るまで、私たちの生活にもはや欠かすことのできないリチウムイオン電池の基礎をつくった人物の1人です。

10月9日夕方、東京・有楽町。ミッドタウン日比谷の一帯にある高層ビルのなかにある、旭化成本社の記者会見場。私は授賞決定の歴史的な瞬間に居合わせることができました。

吉野彰さんノーベル化学賞、記者会見場の舞台裏

記者会見中には安倍首相から祝福の電話も(10月9日撮影)

実は私は昨年(2018年)もこの場にいましたが、このとき吉野さんは授賞を逃します。発表後、吉野さんは穏やかな表情で報道陣の前に姿を見せ、「また来年がんばりますんでよろしくお願いします」とあいさつされたことを思い出します。毎年のように名前が挙がるなか、この状況に「慣れっこ」になっているようにも見えました。

実はノーベル賞には明確なノミネートがあるわけではありません。ただ、吉野さんなど毎年のように有力とされる方々がいまして、授賞決定の暁にはそれぞれに記者会見の場が設定されます。“有力候補者”(以下「候補者」)の会見場で、私たち報道陣は決定の瞬間を待っているわけです。

予定された会見の場所は首都圏だけでも吉野さんの有楽町のほか、飯田橋、五反田、田町、川崎、横浜、小金井、柏、つくば、文京区本郷(これは最高学府の大学です)などがありました。

某公共放送のように人員が潤沢なメディアは、それぞれの候補者の元に記者やカメラを事前に派遣しているのですが(つまりそれだけ「空振り」に終わっているクルーがあるということでもあります)、ニッポン放送は私1人。候補者の方には大変申し訳ないのですが、この人という人に「ヤマをかけ」、外れて他の人になった場合にも、速やかに移動できるように場所を決めます。

吉野彰さんノーベル化学賞、記者会見場の舞台裏

記者会見場は報道陣を取り囲むように従業員が駆け付けた(10月9日撮影)

ですから、今回の吉野さんについても決定の瞬間から現場にいられたのは、「会見場がニッポン放送から近いこと」「会見時刻が午後7時15分ごろと、比較的早く設定されていたこと(他の候補者は大体午後8時ごろ)」「ほかの候補者になっても速やかに移動できること」が正直、主な理由でした。

今回、吉野さんの記者会見は簡易中継装置を使用して、地方局向けに生中継されたのですが、授賞が決定するまでは中継装置のセッティングは行っていませんでした。前述の通り、移動を容易にするためです。そんな「綱渡り」の取材でもありました。

午後6時45分過ぎ、旭化成の会見場には報道陣の他、社員ら関係者が続々と集まり、大型モニターに映し出された「Novel Prize」の発表画面に見入ります。そして発表の瞬間、「ホップ・ステップ・ジャンプ」…三段階の歓声が挙がりました。

「ホップ」…関係者が初めてざわめいたのが、発表者から授賞理由「Rechargeable(充電式)」という言葉が出たとき。「ステップ」…1人目の授賞者「グッドイナフ」…リチウムイオン電池の正極となる物質を発見したテキサス大学教授、ジョン・グッドイナフ氏の名前がコールされて、「ほぼ確信」の歓声に変わり、そして「ジャンプ」…「アキラ・ヨシノ」のコールで、場内の歓声は最高潮に達しました。

吉野彰さんノーベル化学賞、記者会見場の舞台裏

研究の質問になると吉野さんは表情を引き締める(10月9日撮影)

私自身は「アキラ・ヨシノ」のコールが大歓声にかき消されて聞き取れず、モニターに映し出された吉野さんの写真を見て、授賞決定を知ることになりました。それほど、場内は大興奮に包まれたわけです。「リチウムイオン電池の業績に燦然と輝く!」私は授賞の瞬間をこのように伝えました。

午後7時15分からの記者会見は花束の贈呈、写真撮影でしばし遅れました。私は急ぎ中継装置のセッティングを終え、会見開始まで生中継で場内の様子を伝えます。くしゃくしゃの笑顔の吉野さん、その吉野さんを左右両サイドからカメラが狙い、その都度、吉野さんがカメラ目線のためにくるくる回っていたのがかわいらしく感じました。

会見では数々の質問が出ましたが、私は以前、論文などの資料を読み、吉野さんのこんな言葉が頭に残っていました。「悪魔の川」「死の谷」「ダーウィンの海」…新規事業の成功に立ちはだかる3つの壁のことです。

吉野彰さんノーベル化学賞、記者会見場の舞台裏

リチウムイオン電池の模型と花束を手に満面の笑みの吉野さん(10月9日撮影)

基礎研究の壁が「悪魔の川」、基礎から開発研究段階で存在するのが「死の谷」。開発から事業化に進むにも、多くの難題が待ち受けます。そして事業化してから乗り越えなければならない壁は「ダーウィンの海」。収益を挙げるなどの成功に導かなければ、その事業は「大赤字」=失敗となるわけです。

私はリチウムイオン電池の開発に置いて、最も深かった谷(高かった壁)は何かを尋ねました。

「いちばんきつかったのはダーウィンの海でしょうね。正直言って、まったく売れない時期が3年ほどありました。ある日、突然の如く売れ出したのが1995年なんです。Windows95の年、まさにIT革命が始まった年。そういうことさえ最初にわかっておれば、5年でも10年でも待てるんですが、それは精神的にも肉体的にもきついですし、その時点では研究開発投資も膨らんでいますし、設備投資も始まってますんでね。うん…真綿で首を絞められるような苦しみじゃないでしょうか」

IT革命…電池の環境が大きく変わったのがケータイ=携帯電話の世界です。1Gと呼ばれる世代ではまさに「電話」の機能のみで、このころの駆動電圧は5.5V。充電池は電圧1.2Vのニッケルカドミウム電池、通称ニッカド電池が5本使われていました。

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授賞決定から一夜明けて早朝、ニッポン放送の番組にも出演(10月10日撮影)

ところがデータ通信もできる2G世代になって、駆動電圧は3Vに下がります。リチウムイオン電池は電圧が4V以上。つまり、ニッカド電池だと3本必要なところ、リチウムイオン電池だと1本で済む…ケータイの電源がリチウムイオン電池に一気に動いたのが、1995年だったということです。

「真綿で首を絞められるような苦しみ」…逆に言えば、1つのプロジェクトを成功させた人だからこそ経験する苦しみであり、成功者でなければ発せられない重みのある言葉と感じました。

会見では終始にこやかな吉野さんでしたが、研究内容や日本の研究・開発環境の現状に話が及ぶと、引き締まった表情に変わったのが印象的でした。これまで私は大村智さん(2015年生理学・医学賞)、梶田隆章さん(2015年物理学賞)、大隅良典さん(2016年生理学・医学賞)…ノーベル賞受賞者の記者会見に参加しましたが、研究への真摯かつ純粋な姿勢は共通するものを感じます。

吉野彰さんノーベル化学賞、記者会見場の舞台裏

一夜明けて出社 あらためて従業員からの祝福を受ける(10月10日撮影)

リチウムイオン電池については、「謎が多い」とも語る吉野さん。ノーベル化学賞も吉野さんにとっては通過点の1つなのかもしれません。これもまた、これまでの授賞者のお歴々と共通するところだと思います。

記者会見では会見場の記者を囲むように、約300人の従業員が吉野さんを祝福しました。思えば、会見場では発表前から昨年とは違う高揚感があったように思います。従業員の話では、例年に比べて「発表はきょうだったよね」とそわそわ、ワクワクする人が多かったそうな。旭化成社内でも「今年こそは」という思いが強かったようです。

ノーベル賞の存在については様々な意見がありますが、やはり「大きな幸せ」を生み出すものと言えます。(了)

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