東海林のり子が語る ラジオ番組の時報アナウンスで彼氏に送っていたメッセージとは?

ニッポン放送開局記念日スペシャル「おかげさまで65周年”あなたとROCK&GO”」(7月15日放送)に、元ニッポン放送社員でフリーアナウンサーの東海林のり子が出演し、ニッポン放送の思い出を語った。


東海林のり子は、1957年、ニッポン放送開局3年目にニッポン放送入社。数多くの番組を担当し、1969年にニッポン放送を退社して、リポーター、ナレーター、コメンテーターとして幅広く活躍している。

東海林が、就職した時代は、女性にとって就職難の時代だった。その中で、アナウンサーを選んだ理由は特になく、女性の就職先として応募したそうだ。2000名応募者から、男性4名、女性4名の中で採用になった。

入社当時、NHK出身の先輩アナウンサーに、アナウンサーとしての研修で厳しく指導されて怖かったそうだ。さらに、ニッポン放送のある有楽町界隈で飲み会でも鍛えられ、飲み会の誘いが断れないこともあった。そこで、当時、結婚前に付き合っていた夫へのデートへの合図として、番組中の時報告知にて「まもなく午前6時です」というところを、「まもなく(間)午前6時です」と間を空けて、先輩からの誘いでデートできない、という合図を彼氏に送っていたそうだ。携帯電話などない時代に工夫した暗号だったようだ。

東海林は、なかなかレギュラー番組を担当できず、ラジオドラマのサザエさんの提供クレジットなどを担当していたが、同期アナウンサーが続々と結婚退社していく中、徐々に番組を担当するようになった。番組の思い出としては、ビデオホールでの公開生放送に出演していた名曲「有楽町で逢いましょう」の作曲を担当した吉田正さんが、とても素敵な方だったそうだ。当時は、この「有楽町で逢いましょう」の大ヒットなどあり、有楽町で遊ぶ、といった有楽町ブームがあった。

アナウンサーの思い出として、泊り勤務のときのエピソードを紹介した。当時、泊まり勤務のときに、先輩アナウンサーのために食事を作る必要があった。料理が苦手な東海林は、料理作りに熱中してしまい、生放送のニュースに間に合わないような事態になってしまい、当時履いていた三寸(約9cm)の高さのハイヒールを脱ぎ捨てて、スタジオに走りこんでニュースを読んでいたそうだ。

当時のエピソードを語る東海林に対して、パーソナリティの上柳昌彦アナウンサーは、「東海林のり子さんはアナウンサーの世界遺産です」と発言あり、東海林も照れる場面もあった。出演の最後に、「これからもずっと喋り続けます」という力強い言葉があった。

ニッポン放送開局記念日スペシャル「おかげさまで65周年”あなたとROCK&GO”」
FM93AM1242ニッポン放送 2019/7/15 5:00-21:50

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