大人のMusic Calendar

新生フィンガーズのデビュー曲「愛の伝説」は、ザ・タイガース「廃墟の鳩」のプロトタイプ!?

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1962年、慶應高校の生徒たちによって結成されたアマチュア・バンド「クール・ボーイズ」は、翌63年に当時まだ日本では一般的な知名度の低かったシャドウズやベンチャーズ等のエレキ・インスト・ナンバーもレパートリーに取り入れるようになり、主に仲間内のパーティーなどで演奏。グループ名も「ザ・サベージ」(のちに「いつまでもいつまでも」でデビューする同名グループとは無関係)、「ブルー・サウンズ」と改名をくり返し、メンバー全員が慶應大学への進学が決まった64年初頭に「ザ・フィンガーズ」という名前に落ち着いた。

エレキ・ブーム前夜とも言える64年4月、エレキ・ギターの拡販を目論んだ銀座YAMAHAの関係者が発起人となって、学生アマチュア・エレキ・バンドのサークル『東京インストゥルメンタル・サークル』(通称T・I・C)が結成されると、慶応のプラネッツ、立教のビートニクスなどと共にフィンガーズも参加。T・I・C主催の定期コンサートをはじめ、都内各地で開かれていたダンス・パーティーなどで頭角を現し、特にリード・ギター担当の成毛滋の驚異的な早弾きプレイが注目を集めていた。

66年5月、エレキ・ブームの象徴とも言うべきアマチュア・バンド・コンテスト番組『勝ち抜きエレキ合戦』(フジテレビ系)に出場したフィンガーズは、第1週目から満点を獲得。見事4週勝ち抜いてグランド・チャンピオンに輝き、翌月の『グランド・ チャンピオン大会』でも優勝。これがきっかけとなり、翌67年3月1日にテイチクのユニオン・レーベルより「灯りのない街」でレコード・デビューした。以後「ゼロ戦」(67年10月)、「ツィゴイネルワイゼン」(68年2月)の計3枚のシングルをリリースするが、全曲エレキ・インスト・ナンバーであった。



しかし、すでに時代はGSブームの真っ只中。フィンガーズのような古色蒼然としたエレキ・インスト・バンドは時代遅れの感を否めず人気も伸び悩み、成功を収めるには至らなかった。バンド内でも大学卒業を控え、一般企業への就職を希望するメンバーが脱退するなど、67年末には活動停止状態に陥っていたのである。

68年4月、残留メンバーである成毛滋(リード・ギター)、高橋信之(サイド・ギター)、クリストファー・レン(本名・蓮見不二男/ヴォーカル、キーボード)の3人に、シー・ユー・チェン(ベース、ヴォーカル)、松本幸(ドラムス)を加えた新生フィンガーズは、シャンソン界の大御所・石井好子率いる石井音楽事務所と契約。再スタートを切ったが、エレキ・バンド時代のイメージを払拭し、ヴォーカルをメインにしたGSへの転身にこだわった石井音楽事務所は、成毛にステージでギターを弾くことを禁じ、キーボード奏者への転向を命じた。不本意ながら独学でピアノとオルガンをマスターした成毛は、当面はギターを封印。しぶしぶ鍵盤に向かわざるを得なかったのである。

そして、今から51年前の今日1968年6月20日、キングレコードの洋楽レーベル「ロンドン」より、新生フィンガーズのデビュー曲「愛の伝説」がリリースされた。作曲を手がけたのは、前年夏にザ・スパイダース「あの虹をつかもう」で作曲家デビューしたばかりの村井邦彦。「愛の伝説」の5日前にリリースされたテンプターズの「エメラルドの伝説」(村井にとって初のオリコン1位曲)も彼の作品で、クラシカルなテイスト溢れるGSソフト・ロックを創作し始めた時期の「エメラルド~」に続くGSクラシカル第2号作品でもある。


村井のGSクラシカル路線は、この後、アダムス「旧約聖書」→ザ・タイガース「廃墟の鳩」→ザ・テンプターズ「純愛」→アダムス「眠れる乙女」と続いていくが、「愛の伝説」はまさに「廃墟の鳩」のプロトタイプと言える作品である。68年11月発売の2ndシングル「少女へのソナタ」も村井邦彦作品で、弦楽四重奏を全面的にフィーチャーしたバラード。村井のGSクラシカル路線の集大成とも言えるタイガースのアルバム『ヒューマン・ルネッサンス』にも通じる格調高い作品だ。バンドの思惑はともかく、事務所とレコード会社が目論んだ“ソフト・ロックの貴公子”というイメージ戦略はここに完成したと言えるだろう。


69年1月、クリストファー・レンが脱退。後任ヴォーカリストとしてクロード芹沢が参加した初シングル「失われた世界」(69年6月)では、成毛のギター・プレイが復活。ジャズ喫茶のステージでも、ジミ・ヘンドリックス、クリームなどニューロック系の曲を中心に演奏しており、バニラ・ファッジやディープ・パープルの曲では、成毛が右手でオルガン、左手でハンマリング奏法を駆使してギターを弾くという、のちにストロベリー・パスで披露して話題を呼んだ“曲芸弾き”をすでに完成していた。

こうした新しいロックの潮流に対応したフィンガーズに、ファン(若き日のユーミンもそのひとりだった)も増えつつあったが、商業的な成功を得ることはできず、「失われた世界」を最後に事務所とレコード会社から契約を打ち切られ、ついにバンドは解散してしまう。解散後、 成毛滋とシー・ユー・チェンは渡米して『ウッドストック』を体験。帰国後、成毛は伝説の『10円コンサート』の主催や様々な演奏活動で、日本のニューロック黎明期を代表するミュージシャンとして活躍した(07年没)。

シー・ユー・チェンとクロード芹沢は、69年にロック・ミュージカル『ヘアー』の日本版公演に出演。現在シー・ユー・チェンは実業家として活躍中だ。高橋信之(高橋幸宏の実兄)は作・編曲家として、BUZZ「ケンとメリー~愛と風のように~」(72年)のヒットを放った他、音楽プロデューサーとして数多くのCM音楽作品を手がけている。

ザ・フィンガーズ「灯りのない街」「ゼロ戦」「愛の伝説」ザ・タイガース「廃墟の鳩」ジャケット撮影協力:中村俊夫&鈴木啓之

【著者】中村俊夫(なかむら・としお):1954年東京都生まれ。音楽企画制作者/音楽著述家。駒澤大学経営学部卒。音楽雑誌編集者、レコード・ディレクターを経て、90年代からGS、日本ロック、昭和歌謡等のCD復刻制作監修を多数手がける。共著に『みんなGSが好きだった』(主婦と生活社)、『ミカのチャンス・ミーティング』(宝島社)、『日本ロック大系』(白夜書房)、『歌謡曲だよ、人生は』(シンコー・ミュージック)など。最新著は『エッジィな男 ムッシュかまやつ』(リットーミュージック)。

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