本日、3月4日は山本リンダの誕生日~ミノルフォン時代のリンダは必聴

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【大人のMusic Calendar】

1951年(昭和26年)の本日3月4日は、山本リンダの誕生日。彼女の生い立ちや人となりについて触れるより、さっさと音楽の話題に進みたい。何しろ、率直な思いは「遂にミノルフォンのことが書ける!」だから。

と言いつつも、筆者のリンダとの出会いは、当然ミノルフォン時代ではない。同世代の方々の大半と同じく、1972年6月リリースされた大ブレイク作「どうにもとまらない」によってである。とにかく、派手。子供心に抱いていた「歌」のイメージが豹変した。当然、デヴィッド・ボウイもT.レックスも、エルトン・ジョンさえも、まだ我が視界に現れる前の話。山本リンダこそが我が「グラム」原体験である。この後、「狙いうち」「きりきり舞い」などヒットが続き、さらに夏木マリ、金井克子といった「変身組」が次々とアクション歌謡路線に参戦して来る。これが筆者のグラム・ロック体験に免疫を打ち付けたのは確実だ。
その頃、ちょい懐メロという感じでラジオの電波に時折乗っていたのが、「こまっちゃうナ」だ。普段聴いているド派手なリンダの歌とは全然違うし、当時百恵や淳子が歌っていた純真なアイドル歌謡とも違う。不思議な歌だと思った。同時期のリンダの曲と同じくらい、幼心に強烈に残ったのである。それこそが、1966年9月リリースされた彼女のデビューシングルであった。リンダ15歳の時のことである。

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後々歌謡史をおさらいするうちに、「どうにもとまらない」でブレイクする前、彼女がミノルフォンに残した作品がシングル18枚(アルバムも1枚あるが、全てシングルでリリース済みの曲から成っていた)に及んでいたことを知った。やがて筆者は、ふとしたきっかけでミノルフォンレコードの泥沼にハマってしまう。しかし、アニメ「ちびまる子ちゃん」がきっかけで再びリンダブームが盛り上がり、新作やリミックスアルバムがリリースされるという90年代の風潮とは裏腹に、「リンダは後回しでも構わないよね」と割り切り、ビートルズ来日騒ぎの影に隠れて自ら命を絶った悲運の青春少女歌手・丘千恵子や、のちに波乱万丈の歌手生活を送ることになる花里あけみ(=麻丘めぐみの姉・藤井明美)といった、ミノルフォン色がより濃厚な歌手の方に進んで惹かれていた。

その視点が一変するのは、1995年のことだ。当時のカルトGS再評価の中、GS研究の第一人者・黒沢進氏から「GSファンの食指をそそらない女性歌手」というお言葉を頂いていた初期のリンダだったが、確かに楽曲そのものにGS的イメージが皆無だった上、その育ちの良さはのちに「一人GS」として括られる当時の混血女性歌手の多くとは全く異質だった。実際には、クラウンより単独デビューしていたGS、ザ・ターマイツを従え、ジャズ喫茶でライヴ活動を行なっていたのだが。
そんなリンダの初期録音が、黒沢氏と中村俊夫氏の合同監修による、「一人GS」ものの真髄を集大成したコンピレーションCDシリーズ『60sキューティ・ポップ・コレクション』の徳間ジャパン編に何と11曲も収録され、同年リイシューされたのだ。最初、徳間編は出せるほどネタがあるのかと不思議な気持ちになったが(他社編に比べて曲数が少ないのは、ただ単に曲そのものの演奏時間が相対的に長いものが多かったからだ)、聴いてみてびっくり。GSとは程遠いものの、60年代でしか成し得ない不思議な異国情緒が、歪んだ歌謡ポップスのフィルターを通して次々と押し寄せてくる。65年のレーベル設立以来、演歌や純和風青春歌謡をメインにシングル曲を量産しまくり、孤高の求道者と化していた遠藤実のペンが見た「乙女の本懐」。その中心にいたのがリンダだった。「こまっちゃうナ」のタイトルそのものが、遠藤とリンダが初顔合わせした時のやりとりに由来しているのは有名な話。

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こうして、ラジオの懐メロ特集では殆ど無視されていたミノルフォン時代のリンダの偉業が、遂に脚光を浴びる時がやってきた。『キューティ~』に収録されたものの中では、68年6月発売された10枚目のシングル「フリ・フリ5」が昭和歌謡再発見派に与えた衝撃は大きい。当時のヤング・ポップス界にアピールする「ニューリズム商法」に乗っ取ってはみたものの、タイトルが示唆する通り「5拍子」である(8分の10拍子といった方が正しいか)。踊りやすいわけがない。牧村三枝子「みちづれ」を筆頭に、屈折した譜割りに定評がある遠藤先生の面目躍如たる1曲であった。同曲はのちに、英国で編成された一人GSメインのコンピレーション『Nippon Girls 2』(2014年)にも収録され、世界的にも注目を浴びた。

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『キューティ~』に続き、2003年にはミノルフォン時代の全録音を集めた『山本リンダ ミノルフォン・イヤーズ』が発売された。GS時代という呪縛を解いて、こうして彼女の初期録音をまとめて聴いてみると、更に興味深い全体像が見えてくる。「こまっちゃうナ」に続く2枚目のシングル「夢みるわたし」に於ける、「花嫁人形」の鮮やかな引用。当時の歌謡界では異端と見られた故か、連続ヒットにはならなかったものの、今聴き返してみれば、80年代以降を予見させる「遠藤流サンプリング」と形容すべき手法ではないか。3枚目「涙がとまらない」は、一聴して「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイヤモンズ」に影響されたのかと思いきや、『サージェント・ペパーズ~』より3ヶ月発売が早い。遠藤先生恐るべし。以下、どの曲にもミノルフォンらしい泥臭さと、GS時代独自のハイソないじらしさが、絶妙のバランスで同居している。

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69年からは、ミノルフォンとは別にポップス系レーベルとして新規スタートしたハーベストに籍を移し、より洗練された楽曲に取り組み始めたが、中でも異色なのが70年3月リリースされた16枚目のシングル「トンボのメガネ」だ。正に、全ての遠藤作品中最もサイケデリックな曲。続く2作品「涙は紅く」「水に流すわ」では、徳間音工となる前のミノルフォンでは異例となる外部の血=筒美京平を起用。彼らしい王道歌謡ポップスに取り組んでいる。前者は68年、鍵山珠理がデビュー曲としてリリースした「涙は春に」を改作したもので、こちらの方がはるかにノリも良く、殆ど話題にならなかったのが不思議。後者は辺見マリ「経験」の線上にあるフェロモン歌謡で新機軸を打ち出したが、ここでミノルフォン~ハーベスト時代は打ち止めとなった。なお、『ミノルフォン・イヤーズ』では何と、8トラック・テープでしかリリースされなかった洋楽カバーまで発掘されており、スタンダード・ナンバーに取り組む彼女の真剣なヴォーカルは出自を思い知らせてくれる聴きものだ。
そして71年10月、新天地キャニオンに移籍し、翌年出した2枚目(通算20枚目)「どうにもとまらない」で怒涛の進撃が始まるのだが、そこからの話はまた別の機会にということで。

本日、3月4日は山本リンダの誕生日~ミノルフォン時代のリンダは必聴
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山本リンダ「こまっちゃうナ」「フリ・フリ5」「夢みるわたし」「涙がとまらない」「トンボのメガネ」「水に流すわ」「どうにもとまらない」「狙いうち」「きりきり舞い」ジャケット撮影協力:鈴木啓之

【著者】丸芽志悟 (まるめ・しご) : 不毛な青春時代〜レコード会社勤務を経て、ネットを拠点とする「好き者」として音楽啓蒙活動を開始。『アングラ・カーニバル』『60sビート・ガールズ・コレクション』(共にテイチク)等再発CDの共同監修、ライヴ及びDJイベントの主催をFine Vacation Company名義で手がける。近年は即興演奏を軸とした自由形態バンドRacco-1000を率い活動、フルートなどを担当。 2017年5月、初監修コンピレーションアルバム『コロムビア・ガールズ伝説』の3タイトルが発売、10月25日にはその続編として新たに2タイトルが発売された。
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