報道部畑中デスクの独り言

1.17 災害の記憶を次世代につなぐ【みんなの防災】

「報道部畑中デスクの独り言」(第109回)では、ニッポン放送報道部畑中デスクが、2019年1月17日に日比谷公園で行われた、阪神・淡路大震災追悼行事について解説する。

午後3時過ぎ 日比谷公園・小音楽堂に参加者が集まり始めた

先週1月17日、阪神・淡路大震災の発生から24年となり、被災地となった兵庫県の各地では追悼行事が行われました。発生時刻の午前5時46分に黙とうが行われたのはもちろんのこと、東日本大震災や熊本地震、西日本豪雨の被災地からも多くの人が訪れ、6,434人に及んだ犠牲者の方々を悼みました。

私は1995年当時、アナウンサーでした。震災発生の直後、報道部の記者とともに現地に入りました。阪神高速道路の巨大な構造物は大きくねじれ、神戸市の須磨区では屋根の瓦で押しつぶされたような住宅を何軒も見ました。当時は地震が少ない地域とされ、住宅はむしろ、台風などの風水害に耐えるようなつくりになっていたと聞きます。

西宮市では辛うじて倒壊は免れたものの、本来、地面に垂直に立っているべき柱が傾いた住宅を目の当たりにし、平衡感覚がおかしくなったこともありました。交通の大動脈、国道2号線は大渋滞、フロントガラスが割れた車が“目張り”をしながら走っていました。命からがらの避難だったことがうかがえます。

「1.17のつどい」の「希望の灯り」から分灯された“種火”

地震は建物の倒壊にとどまりません。発生から2日が経った朝、倒壊した住宅から何らかの原因で火が出て、真冬の乾燥した天気のなか、一帯を焼き尽くしたこともありました。これまで見たことがない光景が次から次へと飛び込んできたこと、脳裏に焼き付いています。

一方で震災をきっかけに爆発的に普及したものもありました。携帯電話です。このころはNTTのほかにIDO(現KDDI)、デジタルホン(現ソフトバンク)、ツーカー(後にKDDIに吸収)と、新たな携帯電話の会社が発足したばかりでした。私は震災発生の2ヵ月ほど前に友人から誘われて加入したのですが、それが放送でも威力を発揮しました。その後の携帯電話の普及、技術の進歩はもはや説明するまでもありません。

1995年の震災発生から24年。今回は東京都内でも初めて追悼行事が開かれました。震災後、就職や転勤で首都圏に移った被災者らの要望を受けて、実施されたということです。

ニッポン放送の近く、日比谷公園・小音楽堂のステージには参加者が集まり、東京はもちろんのこと、大阪のメディアも取材に駆け付けました。参加者は被災地の出身者のほか、東日本大震災の被災地、岩手県陸前高田市から駆け付けた人もいました。

俳優の 堀内正美 さん(中央 メガネをかけたコートの男性)

午後4時過ぎ、毎年、神戸市中央区の「東遊園地」で開かれる「1.17のつどい」の「希望の灯り」から分灯された灯りが約100個のろうそくに次々と灯され、「1.17」の形に並べられました。灯りが参加者をほのかに照らすなか、午後5時46分に黙とうがささげられます。まさに「手づくり」のイベント、俳優の堀内正美さんも姿を見せました。

堀内さんは今回の行事を主催したNPO法人「阪神淡路大震災『1.17希望の灯り』」の前代表。一貫して支援活動を行って来ました。「こういうときにこういう場ができることによって、記憶のスイッチが入る。みんなが語り出す」という意義を語る堀内さん。今回ろうそくは主催者側で用意しましたが、来年以降はプリンの空き瓶などを持ち寄り、みんなで参加するイベントにしたいと呼びかけました。

ちなみに堀内さんは、私の記憶では往年の人気ドラマ「赤いシリーズ」の“ナイーヴ”な男性役が印象に残っていますが、ここでは一本筋の通った骨太な姿がありました。

参加者が次々とろうそくに火を灯す

堀内さんを引き継いだNPO法人の現代表・藤本真一さんは、今回の日比谷公園を「発信の拠点。ここはきょうからスタート」と話します。その上で「阪神・淡路大震災を経験した人たちからすれば、様々な地域で起きている災害というのは決して他人事ではない。災害が起きたときに少しでも皆さんが助かるように、生き残るためには阪神・淡路大震災の経験をいまから伝えていく必要性があると思う」と訴えました。

災害の記憶を1人1人のものとするために、営みはこれからも続きます。そして「あすが我が身」…いつどこで起こるかもしれぬ災害への備えにつながって行きます。

「1.17」の形に並べられたろうそくを参加者が囲んだ

今回、各地で行われた追悼行事も「平成最後」と言われます。1.17=阪神・淡路大震災、3.11=東日本大震災だけでなく、熊本地震、北海道南西沖地震、新潟県中越地震及び中越沖地震、北海道胆振東部地震など…そして近年、毎年のように起こる豪雨災害…平成は「災害の時代」であったと言っても過言ではないでしょう。

しかし、阪神・淡路大震災から24年ということは、例えば今年の新成人にとってはもはや“歴史上の出来事”となっているわけです。以前「黒柳徹子ケーキ」を紹介した小欄で、時代につれて変わるべきものは何か、受け継ぐべきものは何か…伝えて行くのもジャーナリストの役割だと申し上げましたが、震災の記憶を“証言者”として語り続ける…これも時代を受け継ぐことなのだと思います。(了)

ニッポン放送 ニッポン放送
Copyright Nippon Broadcasting System, Inc. All Rights Reserved.