1977年の今日10月25日、原田真二が「てぃーんずぶるーす」でデビュー

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【大人のMusic Calendar】

1977年10月25日は、日本のポップ・ミュージックが次のレベルへ向かった重要な1日である。この日、原田真二がリリースしたデビューシングル「てぃーんずぶるーす」は、それまでの国産ポップ音楽にはなかった躍動感と瑞々しさに溢れ、まるで海外のシンガー・ソングライターが作ったポップスのようなクオリティの高さを持っていたという意味において、日本のポップ・ミュージック史に残るエポックメイキングな1曲であった。戦後間もない頃のカバーポップスや歌謡曲、GSやフォークの流れとは異なる日本のポップスの新しい歴史がここから始まったと言っていいだろう。

1977年の今日10月25日、原田真二が「てぃーんずぶるーす」でデビュー
当時、筆者は音楽のことなどまるで分らない小学生でありながら、原田真二という新人アーティストの登場を鮮烈に覚えている。他の子どもらと同じように、テレビから流れるキャンディーズやピンク・レディー、山口百恵、ジュリーなどのヒット曲に親しみ、口ずさんでいた日常に、さっそうと現れたシンデレラボーイ。まず、“まるで少女マンガから飛び出してきたような美少年”(松本隆談)なルックスに男ながらハッとさせられ、次にピアノの弾き語りというスタイルに驚き、そして親しみやすいメロディと美しいボーイソプラノのボーカルにノックアウトされた。当時の原田真二の後ろに吉田拓郎や松本隆、アミューズ大里洋吉氏やフォーライフ後藤由多加氏といった音楽界の大立者の存在があり、彼らの手によってディレクションしていたと知るのは後のことで、そのときは、純粋に原田真二というキャラクターと音楽の斬新さに魅了されていた。1ヶ月後に「キャンディ」、さらに「シャドー・ボクサー」と立て続けにヒットを飛ばし、一躍時代の寵児に上り詰め、ファーストアルバム『Feel Happy』もチャート1位に輝くなど、翌78年は原田真二を中心に音楽シーンが回っていたと言っても過言ではない。

1977年の今日10月25日、原田真二が「てぃーんずぶるーす」でデビュー
1977年の今日10月25日、原田真二が「てぃーんずぶるーす」でデビュー
しかしなぜ、原田真二がそこまでの現象になったのか、と考えると、それは日本においてシンガー・ソングライターやロックバンドがまだアンダーグラウンドな存在だったことが挙げられる。もちろん、すでにユーミンや山下達郎などのポップメイカーは名作をリリース、吉田拓郎や井上陽水などのフォーク出身のアーティストも大物としてシーンに君臨し、ヒットチャートを賑わしていた。しかし、彼らのメインの活動は、アルバム制作やコンサートが中心で、登場するメディアも音楽雑誌とラジオに限られていた。基本的にテレビへの出演を拒んでいた彼らの音楽は、学生を中心に支持は得られていたものの、お茶の間にはダイレクトに届いてはいなかった。そんななかで原田真二はテレビに積極的に出演し、自前のバンドをバックに自作曲を演奏し、お茶の間のテレビスターとして人気を得た。それが実に新鮮に映ったのだ。同時期に人気を博していた若手アーティストのチャーとツイストとともにロック御三家と呼ばれるようになり、ロックを大衆にアピール。まもなくして、原田真二が作った道を続々と新しいアーティストが駆けていくようになる。サザンオールスターズ、ゴダイゴ、甲斐バンド、八神純子等々、79年のヒットチャートはニューミュージックと呼ばれる自作自演アーティストが席巻するようになる。

1977年の今日10月25日、原田真二が「てぃーんずぶるーす」でデビュー
デビュー当時の原田真二の曲の作詞を手がけた松本隆は、原田真二のツアーパンフへの寄稿でこう記している。「真二は僕がはっぴいえんどで行った実験などおかまいなしに、僕の詩をあたかも植物が光をむさぼるように吸収して自分の身にまとってしまう。それを自然な形でさらりとやってしまった音楽の革命にいったい何人が気づいているのか」とその才能を手放しで絶賛するとともに、ルックス先行で人気が拡大し、才能への評価がおろそかになっている状況を危惧している。そして、「ぼくと真二はエルトン・ジョンとバーニー・トーピン以上の関係になる」と締めくくっている。事実、松本隆との共作で作り出された曲は駄作が1曲もない、名曲率100%の完璧なコンビネーションを見せており、なかでも「タイム・トラベル」は歴史的名曲としていまも多くのアーティストに歌い継がれている。残念ながら、2人の共作はシングル5枚とアルバム1枚を残して、コンビを解消してしまう。原田真二が自身で作詞を手掛けることになったためだが、このときの成功の自信が、80年代の作詞家・松本隆の躍進につながり、松田聖子などのヒットを通して、大家として名を残していくことになる。

70年代後半に現れた原田真二という存在と才能、松本隆とのコンビで作られたヒット曲の数々は、80年以降のロックと歌謡曲の橋渡しとなり、いまに続くJポップの礎となったことは間違いない。

原田真二 「てぃーんずぶるーす」「キャンディ」「シャドー・ボクサー」ジャケット撮影協力:鈴木啓之

【著者】竹部吉晃(たけべ・よしあき):編集者。音楽業界誌の編集を経てフリーに。現在は雑誌「昭和40年男」、歌謡曲専門サイト「歌謡曲リミテッド」、ラジオ番組「ラジオ歌謡選抜」、ムック「ビートルズ・ストーリー」などに関わる。また、原田真二のCDやDVD、コンサートパンフなども企画制作も手がける。
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