江戸時代まで「鍋」は「つつく」ものではなかった

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皆で鍋をつつく文化ができたのはいつ? 鍋料理の歴史を解説

「ハロー千葉」では、千葉のイベント情報にあわせて耳より情報を紹介する。今回は「鍋料理の歴史」と、成田ゆめ牧場にて行われる「赤ちゃんハイハイ競争」「3種のホクホク鍋野菜オーナーになろう」の話題だ。

江戸時代まで「鍋」は「つつく」ものではなかった

8月が過ぎて秋に入ると、あっという間に年末…と感じることも多いですよね。急に涼しくなってきて、温かいものが恋しくなる……そんな季節ではないでしょうか。

皆で鍋をつつく文化ができたのは、一説には江戸時代末期から明治時代頃

「鍋」といえば冬の風物詩ですが、秋に食べる鍋料理もおいしいものです。「皆で食卓を囲み、煮炊きしたままの状態で鍋をつつく」のが現在確立されている鍋料理のスタイルですね。しかし、この「皆で鍋を囲んでつつく」という文化は、江戸末期から明治時代頃にできたと言われています。

鍋をつつく文化が誕生する前の「鍋料理の歴史」とは?

いわゆる鍋料理が日本の記録に登場するのは、江戸時代初期

日本では、鉄器が登場した弥生時代以降に鍋状の調理器具が使われ始めました。しかし、この頃はできた料理を各自別々の器に取り分けていたため、皆で鍋をつつく文化はありませんでした。

「料理を器に盛らず、調理した鍋のまま食べる」という「鍋料理」が日本の記録に現れ始めたのは、江戸時代初期にあたる17世紀中頃です。江戸時代に入ると都市部の人口が多くなり、狭い長屋に住む人が増えていきます。そこで、比較的小さくて軽く、容易に持ち運べる七輪が普及しました。

調理が簡単で栄養のある鍋料理は、江戸の庶民の質素な生活にぴったりだった

「火事と喧嘩は江戸の花」という言葉にもある通り、木製の長屋は燃えやすく火事は常に心配されていました。そうなると、できれば1日に何度も火をおこしたくありませんよね。

また、当時の庶民の生活は質素で、かまどの数が少ないうえ、薪や水も貴重でした。その点、鍋料理に使う調理器具は鍋・火鉢・七輪だけ。栄養があり、汁物なのでお腹もふくれます。こういった背景があり、鍋料理は江戸の生活にぴったりだったのです。

鍋料理の歴史に想いを馳せながら、鍋をつつくのも楽しい

現代でも鍋はおいしく、調理が簡単で無駄がありません。せっかちな江戸っ子たちに好まれるのも分かります。秋から冬にかけて、いろいろな鍋を食べる機会がありますが、そういった鍋料理の歴史を考えながら食べるのも楽しいものですね。

まとめ ~皆で鍋をつつく文化は、いつできた?

皆で鍋をつつく文化は、江戸時代末期から明治時代頃にできたと言われています。

鍋料理そのものの歴史は、日本では江戸時代初期にあたる17世紀中頃から記録されているものの、複数人で鍋をつつく文化はまだありませんでした。しかし、調理が簡単で栄養のある鍋料理は、江戸時代の質素な庶民の生活にぴったりだったのです。

成田ゆめ牧場のイベント情報(イベント終了)

江戸時代まで「鍋」は「つつく」ものではなかった
成田ゆめ牧場では、「赤ちゃんハイハイ競争」が2018年9月8日(土)9日(日)に開催されます!

「恒例」のイベントなのに毎回大盛況。その秘密はと申しますと、参加するチャンスが「生涯この時期だけ」という稀少イベントだから、なんです。何しろ元気よくハイハイする機会は、人生でこの時期だけ。つまり人生最初にして最後の競争です! ご家族皆さんにとって、生涯の宝物ですね。

鍋をつつくなら「3種のホクホク鍋野菜オーナーになろう」に参加しよう

さらに「食欲の秋」ならぬ、「食欲の冬」に向けてのイベントも2018年9月8日~9日にかけて開催します。その名も「3種のホクホク鍋野菜オーナーになろう」

植えつけと収穫のW体験が楽しめるイベントとして、牧場内の畑の一画をお客様専用の「マイ畑」としてお貸し出しします。植えていただくのは白菜・大根・水菜の3つ。その後はスタッフが愛情込めて育てますので、皆さんは収穫の冬を楽しみに待つだけ。自分で植えつけた野菜をお鍋に入れて温かい鍋料理を楽しむ…。ぜひ、ゆめ牧場にお越しくださいね。
詳細は成田ゆめ牧場の公式サイトをご覧ください。

成田ゆめ牧場
〒289-0111 千葉県成田市名木730-3
詳しくはこちら

【ハロー千葉】

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