看板娘ホッピー・ミーナのHOPPY HAPPY BAR
まもなく一日が終わろうという夜10時前。
ホッと一息ついているアナタに向けて、ホッピー・ミーナが、明日の活力を充電するための秘訣を届けます。
ホッピー・ミーナとは、ホッピーのPRのために日本全国を駆け回っている“空飛ぶ看板娘”こと、ホッピー・ビバレッジの代表取締役社長・石渡美奈。
垣花正アナウンサーと一緒に、軽快で元気なトークと、聴くだけでハッピーになる話題をお送りしていきます。

番組に対するご意見はhoppy@1242.comに

Hoppy Happy Bar ポッドキャストはじめました!
HOPPY
ラジオ大阪 東海ラジオ
石渡 美奈(いしわたり・みな)
68年、東京生まれ。90年立教大文学部卒、日清製粉、広告代理店を経て97年に家業のホッピービバレッジ(旧コクカ飲料)に入社し広報宣伝を担当。2010年に社長に就任。
垣花 正(かきはな・ただし)
1972年、沖縄生まれ。ニッポン放送アナウンサーとして入社以来、昼間から深夜までの様々な番組を担当。人懐っこい性格で、幅広い層のリスナー、特に熟年女性からの人気を掴んでいる。
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10/2ホッピーとシーザーサラダの不思議なご縁 bacnumberlist
今週は、「池袋西口ホッピー祭り」の会場からお伝えしてきました
「戦後70年企画、戦後池袋〜ヤミ市から自由文化都市へ〜」
を考える一週間として、昨日は、戦後の復興の中で
ホルモン焼きや餃子が広まっていったという話題を紹介しました

今日はもう一つ、意外なメニューも実は戦後の混乱の中で
流行したというお話しを調べてきました
宮崎正勝(まさかつ)さんの「知っておきたい「食」の日本史」
という本によれば、日本人がサラダとして野菜を大量に食べるようになったのは、
戦後日本に進駐したアメリカ軍とアメリカ人の影響だそうです。

1949年12月24日に当時GHQの宿舎として接収されていた帝国ホテルの
クリスマス・イヴのパーティで、
レタスなどの生野菜の上にホワイト・ドレッシングをかけ、
パルメザンチーズとクルトンをトッピングしたシーザー・サラダが
出されたのが公の席でサラダが登場した最初とされているとか。

ちなみにシーザーサラダは古代ローマの英傑ジュリアス・シーザに
由来していると思っている人も多いと思いますが、実は無関係です。
禁酒法時代にハリウッドの人達が酒を飲むために出かけた
メキシコの国境の町でシーザー・カルディーニーというシェフが
あり合わせの食材でつくった簡単な料理に由来しているそうです。

ホッピーも赤坂の進駐軍の宿舎に捨てられた空き瓶を回収して
製造されたという歴史もあります。
進駐軍の食卓がきっかけという事は、ホッピーとシーザーサラダは
遠い親戚のような関係といえなくも知れないですね。
 

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