今週は、「池袋西口ホッピー祭り」の会場からお伝えしてきました
「戦後70年企画、戦後池袋〜ヤミ市から自由文化都市へ〜」
を考える一週間として、昨日は、戦後の復興の中で
ホルモン焼きや餃子が広まっていったという話題を紹介しました
今日はもう一つ、意外なメニューも実は戦後の混乱の中で
流行したというお話しを調べてきました
宮崎正勝(まさかつ)さんの「知っておきたい「食」の日本史」
という本によれば、日本人がサラダとして野菜を大量に食べるようになったのは、
戦後日本に進駐したアメリカ軍とアメリカ人の影響だそうです。
1949年12月24日に当時GHQの宿舎として接収されていた帝国ホテルの
クリスマス・イヴのパーティで、
レタスなどの生野菜の上にホワイト・ドレッシングをかけ、
パルメザンチーズとクルトンをトッピングしたシーザー・サラダが
出されたのが公の席でサラダが登場した最初とされているとか。
ちなみにシーザーサラダは古代ローマの英傑ジュリアス・シーザに
由来していると思っている人も多いと思いますが、実は無関係です。
禁酒法時代にハリウッドの人達が酒を飲むために出かけた
メキシコの国境の町でシーザー・カルディーニーというシェフが
あり合わせの食材でつくった簡単な料理に由来しているそうです。
ホッピーも赤坂の進駐軍の宿舎に捨てられた空き瓶を回収して
製造されたという歴史もあります。
進駐軍の食卓がきっかけという事は、ホッピーとシーザーサラダは
遠い親戚のような関係といえなくも知れないですね。
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