看板娘ホッピー・ミーナのHOPPY HAPPY BAR
まもなく一日が終わろうという夜10時前。
ホッと一息ついているアナタに向けて、ホッピー・ミーナが、明日の活力を充電するための秘訣を届けます。
ホッピー・ミーナとは、ホッピーのPRのために日本全国を駆け回っている“空飛ぶ看板娘”こと、ホッピー・ビバレッジの代表取締役社長・石渡美奈。
垣花正アナウンサーと一緒に、軽快で元気なトークと、聴くだけでハッピーになる話題をお送りしていきます。

番組に対するご意見はhoppy@1242.comに

Hoppy Happy Bar ポッドキャストはじめました!
HOPPY
ラジオ大阪 東海ラジオ
石渡 美奈(いしわたり・みな)
68年、東京生まれ。90年立教大文学部卒、日清製粉、広告代理店を経て97年に家業のホッピービバレッジ(旧コクカ飲料)に入社し広報宣伝を担当。2010年に社長に就任。
垣花 正(かきはな・ただし)
1972年、沖縄生まれ。ニッポン放送アナウンサーとして入社以来、昼間から深夜までの様々な番組を担当。人懐っこい性格で、幅広い層のリスナー、特に熟年女性からの人気を掴んでいる。
インターネットで聴く
7/8ホッピー社会長・石渡光一会長列伝! bacnumberlist
先日のホッピー社の創業者、石渡秀さんの足跡に続いて
今週はホッピー65周年記念企画
ホッピー社の二代目!ミーナさんの父上にもあたる
石渡光一会長の半生を駆け足で紹介して参ります。

光一会長は、1936年 昭和11年2月8日生まれ。
     
イラストレーターの和田誠さん 毒蝮三太夫さん 横尾忠則さん、桂歌丸さん 
映画字幕の戸田奈津子さんらと同じ年にあたります。

もちろん、赤坂生まれの赤坂育ち
生まれて18日後に赤坂界隈も揺るがした 2・26事件が発生しますが
ミーナさんの誕生日が2・26というのもご縁なのかもしれません。

昔は、赤坂5丁目交番の近くホテル陽光さんがある場所に
家と工場があったそうですね。

実は石渡家の次男坊で、お兄さんがいらしたけれど
戦時下に 不慮の事故で18歳で亡くなられたことで
その後、お父さんの仕事を手伝われることになります。

戦後、長野から東京まで機械を運ぶ手伝いをしたのが小学4年の時
そしてホッピーが生まれるわけですが、空き瓶不足を解消したのが
赤坂に駐留していた進駐軍から出るガラス瓶。

今のミッドタウン東京にあった場所にお父さんと一緒に出かけて
瓶を回収し、洗浄して使ったそうです。
ホッピーのボトルがどことなくアメリカンなイメージがあるのも
当時の名残りなんですね。
     
 

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