看板娘ホッピー・ミーナのHOPPY HAPPY BAR
まもなく一日が終わろうという夜10時前。
ホッと一息ついているアナタに向けて、ホッピー・ミーナが、明日の活力を充電するための秘訣を届けます。
ホッピー・ミーナとは、ホッピーのPRのために日本全国を駆け回っている“空飛ぶ看板娘”こと、ホッピー・ビバレッジの代表取締役社長・石渡美奈。
垣花正アナウンサーと一緒に、軽快で元気なトークと、聴くだけでハッピーになる話題をお送りしていきます。

番組に対するご意見はhoppy@1242.comに

Hoppy Happy Bar ポッドキャストはじめました!
HOPPY
ラジオ大阪 東海ラジオ
石渡 美奈(いしわたり・みな)
68年、東京生まれ。90年立教大文学部卒、日清製粉、広告代理店を経て97年に家業のホッピービバレッジ(旧コクカ飲料)に入社し広報宣伝を担当。2010年に社長に就任。
垣花 正(かきはな・ただし)
1972年、沖縄生まれ。ニッポン放送アナウンサーとして入社以来、昼間から深夜までの様々な番組を担当。人懐っこい性格で、幅広い層のリスナー、特に熟年女性からの人気を掴んでいる。
インターネットで聴く
7/10石渡光一会長列伝・疾風のサラリーマン時代 bacnumberlist
今週は ホッピー65周年記念企画!
ホッピー社の二代目 石渡光一会長物語をお届けしています

お父さんで、創業者である秀さんに、社会勉強してこい!と言われ
慶応大学を卒業したミーナさんのお父さんが選んだのは
ホッピー社に入社…ではなく証券会社でした

ちょうど高度成長がはじまりの頃で その先陣を切るように
活気があったのが証券業界だったとか。

初任給は低かったものの、やり甲斐のある仕事で
大きな取引も少しづつ成功し、これから、さらに大きな仕事を
任せられるようになるぞ!
と光一さんも腕まくりをした頃
お父さん秀さんから「そろそろ証券マンを辞めてうちに入れ」
という命令が下ったとか。

その直後に株式相場が急騰!
社員の給料もぐんと上がったそうで
「今頃、同僚は仕事も楽しくやってるんだろうな」と思いながら
ホッピーを作り続けていたとか。

昭和45年には、赤坂にあった工場の目の前で
千代田線の工事がはじまったのをきっかけに
高度成長と共に水も汚れる都心から
きれいな水を求め、交通の便がいいところといって探したのが
調布だったそうです。

新設した調布工場では3トンタンクが7基あったそうですね。
それが次第に拡張し、2011年には最新の設備も導入され
生産能力も飛躍的に上がりました!

当たり前ですが、ホッピー社の変革の歴史は、
常に光一会長の苦労と努力の結晶といえますね。
 

ネクストナンバー ページトップへ バックナンバー