2019年10月

  • 2019年10月18日

    台風19号被災地取材記(郡山市)

     台風19号が関東甲信越から東北にかけて甚大な被害をもたらしました。もともと史上最大級の台風がやってくると、台風接近の段階で気象庁などが盛んに警告を出していましたが、誠に残念なことにその危惧が現実のものになってしまったということです。

     台風が過ぎさった当初は首都圏近郊での被害に焦点が当てられました。大手紙各紙やテレビのキー局が豊富な人員を投入し、氾濫した多摩川の様子や内水氾濫で浸水した武蔵小杉の様子などを紙幅や時間をとって大きく報じていました。

     次にクローズアップされたのが、千曲川の氾濫です。堤防が決壊し、長野市の北部から須坂市、小布施町、中野市など大規模に浸水しました。北陸新幹線のE7W710編成が水に浸かってしまった映像は覚えている方も多いと思います。今回の台風の爪痕を表す印象的な映像でした。

      そうした報道の裏で、当初あまり注目されませんでしたが深刻な被害を受けたのが福島県と宮城県にまたがる阿武隈川流域です。

     特に福島県は、南北に流れる阿武隈川が県内複数地域で氾濫、堤防決壊が相次ぎ、家屋や工場、田畑への浸水、停電、断水など生活面への甚大な影響が出ました。執筆時点で各報道機関が独自に集計していますが、福島県内だけで25人以上の方が亡くなっており、台風19号に関連する死亡者数としては都道府県別で福島県が最も多かったことになります。

     台風19号は関東を通過後、12日の深夜から13日の未明にかけて福島県を襲いました。水源地に大量の雨を降らせたことで阿武隈川やその支流に大量の雨水が流入。短時間であっという間に水位が上昇し、深夜であったことや折からの激しい雨で足止めを食っていた住民の方々が多数孤立したようです。

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     取材当日は久しぶりに良く晴れ、被災した家屋の片づけに追われていました。阿武隈川に面した郡山中央工業団地は成人男性の胸の高さぐらいまで浸水。写真の郵便ポストの下で壁の色が変わっているところまで水が来たということです。工場内の書類やパソコンなどの機器のほとんどが水に浸かり、それらを外に出して災害ゴミとして集めていました。

     工場主の方にお話を伺うと、かつての8.5水害よりも深刻なのではないかと指摘しました。8.5水害とは、1986年84日から5日にかけて東海・関東・甲信・東北に渡って発生した豪雨災害で、福島県内でも3名の死者を出しました。各市町村や県、それに国はこの水害を教訓として阿武隈川の堤防を強化やハザードマップの策定などの対策を取ってきました。さらに、工場主の方にお話を伺うと、郡山中央工業団地では排水工事を進め、雨水は支流に流してできるだけ工業団地内の水はけを良くする工事をしたばかりだったのだそうです。その上、目の前を流れる阿武隈川は決壊したわけではありません。にもかかわらずこの被害、釈然としない表情でインタビューに応じてくれたのでした。

     

     一方、そこから南に下った郡山市田村町徳定下河原地区はさらに進水が激しく、成人男性の背丈ほど、170センチほどの浸水があったそうです。片付け中の住民宅を取材しましたが、冷蔵庫は横倒し、家中グシャグシャになってしまっている。水が引いたのは発災から丸1日経った14日の午後になってから。一面ヘドロが覆っていた。まずこのヘドロを掻き出すだけで一仕事。水に浸かった家具や畳、家電製品の運び出しはまだ先の話です。郡山市もご多分に漏れず高齢化、過疎化が進み若い人が少ない。今は子や孫、親族が来て手伝っている家庭が多かったが、今後もかなりの人手が必要になりそうだということが見て取れました。写真のお宅も、写っている家具すべて浸水。ヘドロで覆われた絨毯や炬燵などを高齢の家主夫婦で運び出せるわけもなく、ただただ途方に暮れていました。

    郡山市1.JPG

     このお宅は70代のご夫婦と90代の母親という3人暮らし。母を介護しながらの生活でした。夜になって徐々に水位が増していき、床上浸水の直前、このままではまずいと夫婦で寝たきりの母を何とか2階に上げたんだそうです。折からの豪雨で外に避難することは叶わず、垂直避難が精一杯。さらに水位が上がって2階にまで及んだ場合には逃げ場は無かったと、半ば呆然としながら語ってくれました。それを聞きながら、老老介護という過疎地の現実をまざまざと見せつけられた思いがしました。今回の水害では、各地の河川で堤防が決壊し、治水のインフラ整備が重要だと盛んに報じられています。インフラ整備が必要なことは言うまでもありませんし、そのために財政出動を行うことに関しては私も大賛成です。事ここに至れば、補正予算や単年度予算にとどまらず、複数年度でしっかりとしたインフラ整備を行うべきであろうと思います。

     ですが、それだけに終わらせず、事前の避難をどこまで早く、機動的にできるのか、災害ゴミの片付けの問題などの課題も山積しているのです。このあたりは高齢化や過疎化といった地方に以前から存在していた問題が、大きな災害を契機にして噴出しているとも言えます。こうしたところに手を打っていかないと、いつまでも自衛隊頼みになってしまうのではないでしょうか?彼らは黙々と仕事をしていますが、便利屋ではありません。復旧どころか片付けだけでも時間がかかりそうでした。

  • 2019年10月11日

    韓国取材報告

    今回の韓国取材出張、反日報道や不買運動の実際だとか、チョ・グク法相をめぐる韓国国内政治の対立などの論点もありましたが、私が最も勉強になったのは安全保障についてです。
     まず、自力で行ける最も北朝鮮に近い場所とも言われる、臨津閣国民公園に電車とタクシーを乗り継いでいってきました。ここは軍事境界線まで7キロ、軍事境界線のおおむね2キロずつ設定されている非武装地帯からも多少距離のある、民間人制限区域の端にあります。
     私も不勉強であったのですが、軍事境界線に向けて3段階のテリトリーが分けられているんですね。民間人制限区域は許可された人間以外は入れないというエリアで、その中に韓国側には統一村という人が住み生活している集落が存在します。私が行ったのはそのさらに外側の端というわけです。
     ここは、臨津江にかかる破壊された鉄橋がそのままになっていて、一部残された橋脚を使って臨津江ギリギリまで近づける(=合法的に民間人制限区域に少しだけ入ることが出来る)スカイウォークという施設があります。周りは鉄の柵と有刺鉄線で囲まれる中の物々しい空中散歩です。

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    そして、現地紙を見るとこの民間人制限区域の向こう、非武装地帯(DMZ=DeMiritalized Zone)が今話題になっていました。


     日本でも豚コレラが問題になっていますが、韓国ではもっと感染力も高くワクチンもない(要確認)アフリカ豚コレラの家畜への感染が確認されています。しかも、北朝鮮から軍事境界線を越えてやってきたイノシシが感染源とされていて、対策が急務。そこで韓国政府はヘリを飛ばして消毒液を散布し対策しようとしていますが、自国だから即座に対策というわけにはいかず、非武装地帯には手続きが必要であることが記事から読み取れます。さすがに敵対的な行動ではないだけに、北朝鮮も反対というわけではないでしょうが、通告なしでいきなりヘリを飛ばすとなると軍事作戦と勘違いされる恐れが大いにあります。そこで、国連軍の司令官に許可を取り、北朝鮮側にも通告してようやく薬剤の散布が可能となるわけです。生活と安保がこれだけ密接に関係していることをまざまざと思い知らされました。 それだけ、最前線に韓国はあるということですね。

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     今回、韓国の安全保障の専門家にも話を聞きました。国民大学政治大学院教授のパク・フィラク教授です。陸軍士官学校を卒業後、大佐に当たる大領まで務められました。現在は大学教授として後進の指導に当たる一方、積極的に情報発信をされていて、日本のメディアの取材にも数多く応じています。
     通訳の方を挟みながら1時間半ほど議論したのですが、非常にリアリズムでドライな分析に驚きました。
     日本では北朝鮮の核ミサイルは日本に向いている。韓国は同じ民族なのだからそちらには向いていないだろうという言説が一定の説得力を得ています。ところがパク教授は、私の北の核は日本を向いているのか韓国を向いているのか?という端的な質問に対して、
    「韓国でしょう」
    と断言しました。さらに、
    「(北は韓国に対し核を)十分使えると思います。在イギリス北朝鮮大使館元公使であるテヨンホさんはこう言いました。「金正恩は核武器を使うかもしれないし、統一のためなら必ず使う」と言いました」
    と、付け加えました。その上で、ではどう守っていくかについて聞くと非常に悲観的で、
    「今の政府が存在する限り何も手はない」
    と首を横に振りました。

     そして、日本政府に望むこととして、
    「できるだけ今の政府(文在寅政権)とは何かを協議して決めることは先送りしてほしい。次の政権、国民の意見を代弁する政府が生まれてから日韓関係に関する問題を決めてほしい。」
    「日韓関係を悪くするそういった決定もしてほしくないですし日韓関係を発展させることもできるだけ先送りしてこの政府による日韓関係の影響を最小限にしてほしい」
    と言及しています。つまり、政権交代があるまでは放っておいてくれ。対韓国で圧力をかけるようなことをしても、無体な日本に戦っている文政権というイメージで支持率が上がってしまうから、とにかく何もしないでほしいという訴えでした。元来愛国者であるはずの元軍人がこうした発言をするという重み、それだけ国を憂いているし、追い詰められているということをひしひしと感じました。

     安全保障の面から考えると、日韓関係は特に軍事面で良好であることが望ましいと思います。ただし、今のように国民感情の面でも軋轢が生まれている以上、無理して友好を装うよりも冷静に見ていけばいいのではないでしょうか。今の政権がどうかはさておき、北朝鮮という全体主義国家、その先にいる中国の圧迫にたいし、価値観を同じくする自由主義国家の最前線にいる韓国。
    「ここが共産化してしまったら日本はどうするのですか?イメージしたことありますか?」
    パク教授はインタビューの最後にそう問題提起されました。

     日韓双方に、ある意味の平和ボケがあるのかもしれません。放送に協力いただいた産経新聞の名村支局長は日韓GSOMIA(軍事情報包括保護協定)の破棄について、韓国の街場の実感として「ほとんど気にもしていない」と言っていました。いざ南北の有事となれば、朝鮮戦争の例を引くまでもなく日本の協力が不可欠なはず。ところが、そこにまで韓国の一般国民は意識が行かないし、メディアもそれを報じない。
     日本でも、チョ・グク法相の家族構成やら玉ねぎというアダ名やらは面白おかしく、不必要に詳しく報じますが、安全保障という国の根幹の部分でこの韓国という国がどういった存在なのかを報じることはない。双方地に足がついていなかったのではないかということを強く思いました。

     地元の記者に話を聞くと、文政権の軍に対する締め付けも相当に厳しく、イエスマン以外は出世できないのも事実なのだそうです。主権国家の世論や政治に手を突っ込むのはあまり行儀がいいとはいえませんが、「韓国だから仕方ないよ」で済まさずに、韓国軍や政界、財界、官界の良心派と連携しながら機が熟すのを待つしかなさそうです。文政権の批判はしても、「韓国はさぁ」といった十把一絡げの韓国批判は結果として文政権を利することになるのかもしれません。

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書籍
プロフィール

飯田浩司(いいだ・こうじ)

1981年12月5日生まれ。
神奈川県横須賀市出身。O型。
2004年、横浜国立大学経営学部国際経営学科卒業。
現在、ニッポン放送アナウンサー。
ニュース番組のパーソナリティとして政治経済から国際問題まで取材活動を行い、ラジオでは「議論は戦わせるものではなく、深めるもの」をモットーに情報発信をしている。
趣味は野球観戦(阪神タイガースファン)、鉄道・飛行機鑑賞、競馬、読書。

■出演番組
≪現在≫
「飯田浩司のOK!COZY UP!」

≪過去≫
「ザ・ボイス そこまで言うか」
「辛坊治郎ズーム そこまで言うか」

■Twitter
「飯田浩司そこまで言うか!」

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